底なしの迷宮・見捨てられた冒険者は最深部で愛する君に出逢う

「ふむ……お前達の意思と気持ちは良く分かった。とりあえず一次試験は突破というところだな」

「え?」
「お父様」

 聞き慣れた声が、唐突にした。
 抱き合うアルセーヌとツェツィリアの傍らに、いつの間にかルイが立っている。

 先ほどは、一瞬だけ慈父のような優しい表情をしたルイであったが……
 今は一変し、全く感情を表してはいない。
 冷たい氷のような眼差しで、ふたりを見つめていた。

 ツェツィリアは、アルセーヌからそっと離れ、ルイへと向き直った。

「一次試験は突破? ……では、お父様。認めて下さるのですね? 私がアルセーヌと愛し合うパートナーになる事を……」

 アルセーヌとツェツィリアがパートナーに……
 問われたルイは、肯定も否定もしない。
 軽く鼻を鳴らし、

「ふむ……だが、言うは易く行うは難し……だ」

 と意味深な言葉を述べた。
 その諺は、傍らで聞いたアルセーヌも知っている。

 ……口で言うのは簡単、しかし実行するのは難しいという意味だ。

 ルイの言う意味は、アルセーヌにも分かる。
 人間と異種族の愛を成就させるのは、不可能ではないが困難極まりない。
 更にツェツィリアは、様々な種族に忌み嫌われる夢魔なのだから……

 当然ツェツィリアも、ルイの言った事は承知している。

「はい……お父様の仰る通りですわ」

 だが……
 同意したツェツィリアへ、ルイは更に厳しく言い放つ。

「ツェツィリア、まだまだ認識が甘い……お前達の愛は、口先で言うほど簡単ではない」

「は、はい!」

 「ぴしり!」と言われ、いつもは冷静に、落ち着いて話すツェツィリアが珍しく動揺する。
 厳しい言葉を聞き、傍らでアルセーヌも唇を噛み締めていた。

 ルイは更に言う。

「片や夢魔、こなた人間という、素性の全く違うお前達ふたりが……真に、愛し愛される関係になるには厳しい試練が生じる……」

「は、はい!」

「ふたりが愛を成就させる為には、いくつもの困難と逆境を乗り越えねばならぬのだ」

「はい、お父様! 頑張ります! ツェツィリアはどんな困難も、必ず乗り越えてみせます」

 きっぱりと決意を述べるツェツィリアへ、ルイはひとつの質問を投げかける。

「だがツェツィリア……お前は私との契約を忘れてはいまいな? 魂の契約を」

「はい……それは分かっております」

 ルイとツェツィリアの会話を、見守っていたアルセーヌであったが……
 とても気になる言葉が聞こえ、つい口を挟んだ。

「け、契約!? ルイ! 契約って何だ!」

 アルセーヌは思い出したのだ。
 ……ツェツィリアも言っていた。
 それも……確か、魂の契約と……

 ルイは、問いかけたアルセーヌを鋭い眼差しで見据える。
 冷え冷えした怒りの波動が放たれ、急に辺りの大気が凍り付く……

「おい……小僧。確かに私を、その名で呼べとは言った」

「ひ!」

「だがけして呼び捨てにはするな……口の利き方に気を付けろ。二度は許さぬ」

 口調こそ平たんではあった。
 しかしアルセーヌの物言いが、ルイの機嫌を損ねたのは明らかだった。

「う!」

 ルイの恫喝を聞き、アルセーヌは全身が硬直した。
 まるで伝説の巨人の手で、強く握り潰されるような感触を覚える。

 先ほどの会話でも感じた。
 ルイは、アルセーヌなどあっさり殺すと。
 虫けらのように……

 可愛がっているらしいツェツィリアの『想い人』であったとしても、全く関係ないだろう……

 ただならぬ雰囲気に、ツェツィリアがふたりへ割って入る。

「お、お父様、申し訳ありません! 私が彼に代わってお詫び致します」

 失言したアルセーヌの代わりに、必死で詫びるツェツィリアをスルーし……
 ルイは腕組みをし、小さく頷いた。

「まあ良い……小僧、お前の気持ちに免じて特別に答えてやろう。魂の契約とは文字通り、魂を対価に結ぶ契約だ」 

「た、魂を対価に? で、ですか?」

 アルセーヌは、ルイが言った、魂を対価とする契約を聞いた事がある。
 魔導書で読んだ事もある。
 確か……怖ろしい悪魔が持ちかける……死をもたらす契約だ。

「うむ……人の時間で計る事10年前……私はツェツィリアへ問うた。生きるか? それとも死ぬかと」 

「生きるか、死ぬか……」

「その際、ツェツィリアは答えた。はっきり、生きたいとな……だが当時のこの子には素晴らしい素養はあっても、あまりに幼くひ弱だった」

 ルイがそう言うと、ツェツィリアは我慢出来なかったのか、つい口を挟む。

「はい! お父様は命を助けてくださり……更に……心身ともに弱かった幼い私を鍛え、様々なものを与えて下さいました」

 しかしルイは、ツェツィリアの言葉に反応せず、アルセーヌへ話を続ける。 

「……時を経て、ツェツィリアが夢魔モーラへと完全覚醒し、身も心も完全な魔族となった時……魂を私に渡す。つまり魔界の住人となり、私の忠実な配下となる、そう約束したのだ」

 ツェツィリアが、ルイと交わした『魂の契約』
 完全な魔族となった彼女が、魂を明け渡し、魔界に棲むルイの配下となる。

 『魂の契約』……
 それはやはり、『悪魔の契約』同様に、怖ろしい死の契約だったのだ……