新人公演本番。小ホールにて。
孝人演じる旅人が姫を引き止める場面。

『ここにずっといませんか。ここなら平和に過ごせます。もし危険が迫っても、私が守ります。追放された者など忘れて私と一緒に―』
『ちょっとまってください!何を言っているのですか?』
『私は一目見てあなたに惹かれました。あなたを欲しくなりました。この気持ちをどうすることもできないのです』
『…あなたには助けてもらい、感謝しています。ですが、私もあなたと同じように彼を愛しているのです。…もう行かないと』
行こうとする姫を後ろから抱き止める。
『お願いです、行かないで』
『ごめんなさい』

この場面は結羽を複雑な気持ちにさせていた。もちろん演技だということはわかっている。そして彼の演技は素晴らしかった。それ故に、自分もされたことないのにと、やきもきしていた。
(羨ましい)


公演後舞台挨拶。
大会ではないので、役者はステージで一言づつコメントをすることになっている。
「姫役、1年の柳未来です。初めて観客の前で演技をして、もちろん緊張もとてもしましたが、何よりここまでの道のり、そしてこの舞台を楽しむことができました。これからも頑張りますのでよろしくお願いします!ありがとうございました!」
未来から始まり、次々とコメントをして、孝人まで回ってきた。
(光が眩しい)
素の姿で観客の前に立つ。注目を浴びる。普段の孝人なら我慢ならない状況。実際去年は本当に一言で終わらせていた。
だが、今の彼には伝えたいことがあった。
「旅人役、2年夜野孝人です」
軽く息をする。
「俺ははじめ、役者をすることに乗り気ではありませんでした。やるからにはもちろん、全力で取り組みましたが、そんな思いがあったからか、上手くいかず、焦っていました。そんな時、ある先輩がアドバイスをくれました。その言葉のおかげで俺は、この舞台に、キャラクターに、しっかりと向き合うことができました。先輩の言葉が俺を変えたんです。この場を借りて、感謝の気持ちを。ありがとうございました」
その人物にいつもより少し長く視線を向ける。
同時に、彼女の隣に誰もいないことに密かに安堵していた。
「長々とすみません」
お辞儀をし、次の人にマイクを渡す。
孝人は平然としているようだったが、内心鼓動が鳴り止まないでいた。

***

片付け、が終わった頃にはもう空が暗くなり始めていた。

「たかちゃーん!俺、たかちゃんの言葉マジ感動した!」
「…泣いてんの?」
「だって、今年のマジで良かったと思ったし、たかちゃんの成長見られたし」
「お前は変わらないな。…でもまぁ、そんなお前にいつも助けられてる。…ありがとな」
一瞬信じられない言葉を聞いた気がして、頭の中で反芻する。
「たかちゃんやっぱ変なもんでも食った?」
「前言撤回」
「うそだよ!もっかい言って!」
そんなことを言っていると。
「や、おつかれさま」
自転車置き場の影から、ステージから見た姿が現れた。
「結羽先輩!この時間までずっと?」
「まぁね。どうしても今日言いたくて」
その様子に。
「じゃあ、俺は先帰るとするっすかね。あ、先輩ちのお菓子また食べたいっすね〜」
「明日いっぱい持ってきたげる」
「あざす!結羽先輩、たかちゃんまた明日ー!」
相変わらず、元気いっぱいで帰っていった。

見送った後、結羽は笑顔で感想を言い始める。
「私、演劇初めて見たけどすごく面白かった。君も別人だったよ!」
「どうも」
「あの旅人かっこよかったなぁ。今の君と違いすぎてなんかおもしろいね」
「…」
「でも、ちょっとみくちゃんには嫉妬しちゃった。私も君にあんなこと言われたいし、されたいのになぁって……!」
自分の小さいところを見せてると感じ、背を向けて話していると、いきなり後ろから抱きしめられた。まるで舞台のあの姫のように。
「え、ちょ、」
予想もしてなかったことで心臓がうるさくなる。
「あれは演技でしたけど、今は違います」
勇気ある一歩を踏み出したら、二歩目は案外簡単なのかもしれない。

「俺、先輩のこと誰にも取られたくないって思いました。ずっと一緒にいたいって思いました。……好きに、なりました」

静かだが、熱を持った告白。結羽は宣言通り、彼の気持ちを変えたのだ。
だけど、1つ孝人には不安があった。
「……でも俺、俺の記憶は長くても1年しかもたないんです。小中学校の記憶は全くありません。だから―」
「たかと」
「!」
結羽は背伸びをして孝人の頬にキスをした。

「ここにはたかとからだよ?」
自分の唇を指し、イタズラな笑み。一瞬何をされたのか理解できなかった。だんだんと孝人の頬が熱を持つ。無意識に口に手をやり、
「…調子に乗りすぎです」
意識して彼女が触れたところをそっとさわった。
この時にはもう不安は消え去っていた。
結羽は嬉しさにルンルンと足を動かしていると、
「わっ」
周りはだいぶ暗くなり、足元が見えづらくなっていたために小石に躓いたようだ。
咄嗟に彼女の体を支える手が伸びる。
「何やってんですか。気をつけてください」
「ありがと。前にも同じようなことなったよね」
「前とは違いますよ。それより月明かりが目立ってきました。先輩歩きですか」
「うん。ここから割と近くて」
「送ります」
「いいよ。ほんと近―」
「ダメです」
いくら近くても女子高生が1人で夜道を歩くのは危険でしょう。もし何かあったらどうするんですか。
彼が口に出した4文字はこう言っていた。

「思えば初めてだね。2人で帰るの」
「そうですね」
結羽の横を孝人は自転車を押しながら歩く。
いつもよりゆっくりと歩く2人を月明かりが照らしていた。

何となく口数が少なくなる中で、孝人はずっと考えないように、思っても無視してきた気持ちを初めて口にした。
「俺、今日の日のこと忘れたくないです。いや、今覚えてること全部、忘れたくないです。本当は過去がないことすごく不安なんです。後ろを見ると真っ暗で。同時に未来で今が消えることも怖い。とても。今こんなに、楽しいのに…幸せを、感じてるのに…」
言葉にしているうちに気持ちが溢れ出し、いつの間にか涙がこぼれていた。
「すみません」
立ち止まり、涙を拭く。
正直戸惑っていた。テレビや本で涙腺が緩むことはあるが、少なくとも覚えてる範囲では人前で泣いたことがなかった。
結羽はゆっくり彼の手を握る。
「君の不安も、怖いも、多分君にしかわからない。でも、そんな君を私は隣で支えたい。この記憶は私がいつまでも覚えてるから。たかとの分も私がしっかり。だから、たかとはもっと周りを見て、感じて、毎日を送ってみない?現実から目を背けるんじゃなくて、向き合うの。辛かったらその都度言葉にして。そっちの方が絶対生きていて楽しいから。ね?」
「……はい」
素直に応じた孝人を満足そうにみる。
また歩き始め、少しすると結羽の家に着いた。
「あ、ここ。じゃあ、また学校でね」
「結羽先輩」
「!」
行こうとした結羽の手を掴み、振り返った彼女の額にキスを落とす。

「今はこれで勘弁です…」
結羽の目を見つめ、ぎこちなく微笑む。
「では、また」
だがそれも一瞬のこと。すぐにまた視線を逸らし、自転車をこぎだした。
何も言えない結羽を残して。
孝人にとってまだそれが精一杯だった。
(顔が熱い)
そのせいか夜風が気持ち良かく感じた。


「ずるいよ…もう」
遠くなっていく背中に呟き、嬉しさのあまり泣いてしまった結羽のことを、彼は知らない。

***

彼女と出会って少しづつ俺の世界は色づいていった。
前は日陰からサングラス越しに日向を見ていたが、今はその障害物を取り日向に出ている。例えるとそんな感じに。眩しいけど、多くのものがよく見えた。多くのものを感じられた。
もちろん不安や恐怖が消えたわけではない。
だが、俺には直人、それに結羽先輩がいる。2人がいれば俺は大丈夫だと、不思議とそう感じられた。