ショッピングモールの一部に、大きなフードコートがある。
 クレープ、パスタ、アイスクリーム、ラーメン、ステーキ、たこ焼き、うどん、海鮮丼と、様々な飲食店がそこに並んでいた。
 休日のお昼時は人通りが多く、五人で座れるような席は見当たらない。手分けして探すことになり、私は椅子と椅子との間をするりと抜けて行く。
 現実世界に足をつけながらも、私の思考は未だ先程の()の中にいた。
「ぎゃああああ!」
 突然、すぐ近くから叫び声が響く。何事かと思い、一瞬肩が跳ねるも、それは小さな子供の泣き声だった。
「あーもう、はいはい! ほら、行くよ!」
 抱き上げられた子と、その家族が席を立つ。荷物を抱えてテーブルから一歩離れた瞬間、私は椅子に鞄を置いた。
 席を取ることができた。そう伝えなければならなかった。
 でも近くには日彩も三人組も居なくて、私は一人椅子の前に立ち、辺りを見回す。
 隣の席の人が、挙動不審な私を見ているのがわかった。
 私は思わず俯く。小さなリュックと、椅子の背に置かれた手だけが見えた。
 探しに行けばいいことはわかっていたけれど、どうにもあの三人に話しかけられる気がしない。心の中で、情けなく妹の名を呼んでいた。
「あ、お姉ちゃん! 席見つけたの?」
 聞きなれた優しい音に、私は顔を上げて振り返る。いつだって彼女は私の救世主だった。現れた時の安心感といったら。私は思わず彼女につられて笑みを零す。
「うん、丁度空いたから」
「良かった! さっき赤ちゃんの泣き声が聞こえたから来てみたら、お姉ちゃんが居たからびっくりして。あ、先輩たちも呼ばないと!」
 日彩は狭い道をスキップするように軽々と通り抜けていく。その度に、左右に揺れるポニーテールが、彼女の感情をそのまま表しているように見えて仕方がなかった。
 椅子を引き、腰を下ろすと、タイミングが良いのか悪いのか、上原くんが目の前に現れる。
「あ、永遠。席取ってくれたんだ、ありがとう」
 閉じられた口の中で「うん」と呟く。周りの声に、私の咲きかけた蕾を潰されることなど分かりきっていた。
 上原くんは何も言わず、向かいのソファーに座る。二人の間だけ、時空が歪んだように気まずい空気が渦巻いていた。
 私は膝の上に乗せた荷物を、半分抱えるような体制で、真っ白な机を見つめる。
「なあ、あれどう思った?」
 突然、声が降ってきた。その反射で「え?」と喉が鳴る。黒縁眼鏡のレンズの向こうに、私を掴む眼があった。
「感想とかさ。普通の人から観た意見が聞きたい」
 まるで自分は普通じゃないと言うような話し方だったが、真意は理解出来た。上原くんは最早純粋で漠然とした面白さよりも、作り手としての捉え方が色濃く表れてしまうのだろう。
 でもそれは、私も同じだった。
「……モヤモヤした」
 未だに抜けない余韻のせいで、私はまだおかしな気分が晴れなかった。ゴムベラでねっとりとした生地を混ぜるように、胃の中がぐるぐる回ってお腹が減らない。
 顔は熱く、ぼうっとしていた。
「モヤモヤ?」
「うん。……多分悔しかった」
 そこでようやく気がついた。
 凄いと思った、感動した。そしてその分、悔しくて仕方なかったのだ。
 私もこんな作品を作りたいと、その手法を盗むことに集中して、隅々まで観れば観るほどその技術は素晴らしくて。感動して悔しかった。
「永遠って、何か作ってんの?」
 正直に頷いた。そこで映画研究部に興味を持った理由を何となく察したのだろう。上原くんは先程より声を大きくして話し始めた。
「マジか、それは知らなかった。俺もすげぇ悔しかった。やっぱり、プロとアマの差って結構大きいよな」
 また何かを考え込むように、今度は宙を見上げた。
 上原くんには何が見えているのだろうか。文化祭で、あれだけのものを披露する実力があるにもかかわらず、それでも及ばないと考える理由は何だろう。
 最初からそうだった。その技術や答えを知るためだけに、映画研究部を訪れていたのだから。
「ぶ、文化祭のも凄かったと思う」
 私が急に話し始めたせいか、ゆっくりとその表情に目をやると、キョトンという言葉がぴったりと当てはまるくらい、目が点と化していた。
「文化祭?」
「そう。あれは誰が描いたの?」
 普段なら、ここまで話すこともできないはずなのに、何故か私は口に出していた。まだ私の意識は映画の世界にいるからだろう。
 私はあれほどの作品を作ることはできない。そんなことは百も承知だ。だからこそ、もっと上手くなりたい。もっと色んな技術を盗んで、素晴らしい作品を作りたい。
 唯一私にできることだ。それだけは、何故か負けたくなかった。
 欲だけは強い。他ならぬ自分のためだから聞けたのだ。
「描いたのは主に俺。スピード調整とか音楽とか、そういうのは吉岡と大賀メインかな。でも主にってだけで、どれも全員担当してた。テストとかで時間が無かったから、中学の時コンテストに出したものをちょっと改善したくらいなんだけど」
 コンテスト、という言葉を耳にして、誰かの会話を思い出した。
『ねぇ、あれ作った人、中学の時どこかのコンテストで入賞したらしいよ』
 その時、隣の椅子が動いた。驚いて見上げると、日彩が「お待たせ」と手に持つノートを机に寝かせている。後ろには吉岡くんと大賀くんもいて、二人は上原くんの隣に並んで座った。
「二人ともまだ注文してないのか?」
 大賀くんが、上原くんの方へ壁でも作るように荷物を置いてそう言った。
 そこでようやくここが昼食を取るために来た場所であると思い出す。理解した瞬間から、お腹が空いてきたような気がした。
「そうだよお姉ちゃん! 私にステーキ奢ってくれるんでしょ?」
 そう言って私の顔を覗き込む日彩の瞳は、天井から降り注ぐ無数の照明によって、更に輝きを増していた。
「よし! じゃあ皆それぞれ買いに行くっすか!」
 疎らに席を立つ中、上原くんだけは荷物を見ていると言って残る。私は日彩に奢らなければならないため、財布を手に持ち、椅子と別れた。
 日彩はすぐさまステーキ店の前に並ぶ。昼間からステーキだなんて、贅沢だなぁと、心の中で財布に話しかけながら私も並んだ。
「見て! 期間限定チキンステーキ定食だって! 食べたことないから、あれにしようかなぁ!」
 大きくオススメと表示されたそのメニューは、中々のお値段だった。アルバイトもしていない高校生が、映画を観て、自分と妹の分の昼食となると、少々痛い。
 それでも自分が言い出したため、容赦のない注文に応えるしか無かった。
「わ、わかったよ……」
 手に持つ財布は、内臓を引き抜かれたように薄くなって泣いていた。