六年前、中学一年生だった頃の冬の初め。
 大好きだったお母さんが交通事故で死んだ。飲酒運転の車が、お母さんが運転していた車に突っ込んできたからだった。私も後部座席に乗っていたのだけれど、奇跡的にカスリ傷程度で済んだ。その代わり、お母さんは即死だった。
 その時のことはあんまり覚えていない。大事をとって入院していたせいで、お葬式にも出なかったし、退院した頃には全て終わっていたからだ。
 退院した後に待っていたのは、ただお母さんがいないだけのいつも通りの日常だった。だからだろうか、私にはお母さんが死んだという事実がうまく飲み込めなくて、悲しんだり泣いたりできなかった。ただ、なんだか気力が湧かなくて、ずっとぼんやりし続ける……そんな私は、周りの人には相当無理しているように映ったらしい。見兼ねた母の姉が、自分たちの住むニューヨークに遊びにおいで、と言ってくれた。叔母は母が亡くなってからそのまま日本に滞在して、私たちの面倒を見てくれていたのだけれど、私を置いていくのは不安だと、帰るときに一緒に連れて行ってくれたのだ。少し環境を変えてみたほうが、気分転換になるだろう、と言って。
 学校の許可を得て長めの春休みを取ると、叔母と二人、ニューヨークへ旅立った。初めての海外で、もっとドキドキするかと思ったけど、私の壊れかけの感情はあんまりうまく働いてくれなかった。久しぶりに会う叔父もとても親切にしてくれたし、叔母と二人、いろんなところに連れて行ってくれたけれど、見るもの全て、なんとなく霞がかった印象しか持てなかった。
 そんな時に連れていかれたのが、叔父の知り合いの画廊で開かれていた個展だった。ニューヨーク在住の日本人のフォトグラファーの個展だったと思う。私にはあんまり興味が持てなくて、画廊のオーナーと話しながら見て回る叔父夫妻から一人離れて、見るともなしにぼんやり眺めながらぶらぶらしていた。個展の片隅には、そのフォトグラファーのアシスタント達の写真も飾られていて……。
 そこで目に飛び込んできたのが、その部屋の中の風景の写真だった。
 他の写真と何が違ったのか、今でも全くわからない。
 だけどその写真は、強く強く私の心を引っ掻いた。
 いきなりぶわっと悲しい気持ちが溢れ出して、その写真の前で、涙腺が崩壊したかのようにひたすら泣いた。驚いた叔父夫妻が泣き止ませようとするのだけれど、どうしても止まらなくて、結局帰りの車で泣き疲れて眠ってしまった。
 その日以降、麻痺していた心が反動で過剰反応を起こすように、全ての感情がいつもの何倍もの鮮やかさで私に襲い掛かった。何を見ても何をしても、全てが悲しいくらいに美しく感じられた。母が死んでからの涙を全部溜め込んでいたのかと思うくらい、私は涙を流し続け、ようやく落ち着いたのは日本に帰ってきてからだった。
 それまで頭にかかっていたもやもやが嘘のように消えて、私はそこで、ようやく母が亡くなったという事実を納得できたんだと思う。日常生活に戻っても、楽しい時は笑えるようになり、母を思い出しては悲しむことができるようになった。父と二人、頑張っていかなきゃ、と思えるようになり、そして徐々に、母がいなくなった寂しさを乗り越えていくことができたのだ。