桐原さんはその姿を見送ってから、今度は私の前に屈んで目線を合わせる。
「ちゃんと前を見て歩くこと」
「ごめんなさい」
 ぺち、と両手で頬を挟まれる。注意力散漫な私のせいで、桐原さんには迷惑かけてばっかりだ。
 そんなうなだれる私の手を、すっと桐原さんが握った。
 自然に繋がれた手を引いて、桐原さんがまた歩き出す。
「あのっ……」
「また転ばれたら困るから」
 嬉しすぎて死ねる。手、繋いでるよね、今。私。
 真っ赤になった私の顔とは反対に、桐原さんは全く動じる気配もなく、平然としていた。きっとこの程度のこと、桐原さんにとってはなんでもないことに違いない。
 冷静になろう。ちょっと落ち着こう。
 ちっちゃく深呼吸を繰り返す。そうだ、空気を変えよう。
「あの、お腹、空きませんか?」
「そうだな、ちょっと空いたかも。一周したらさっきのとこでなんか食べる?」
「私、お弁当作ってきたんです。たいしたものじゃないけど、よければ食べてください」
 そう言って片手に持っていた荷物を見せると、手を繋いだ時はちっとも動かなかった表情が、嬉しそうにほころんだ。
「ほんとに? いいの?」
「はい。でも、そんな期待しないでくださいね。簡単なものばっかりで申し訳ないくらいなんで」
 喜んでくれるのは嬉しいけど、実物を見てがっかりされるのは困るので、先に釘を刺しておく。でもよかった。頑張って作ったはいいけど、他人の手作りが苦手だったらどうしようかと若干不安だったのだ。
「誰かが作った弁当なんて、何年ぶりだろ。ガキの頃以来じゃないかな」
「高校の時とか、お弁当じゃなかったんですか?」
「育ててくれた叔母が働いてたから、いつも購買で何か買ってた。その時、弁当いるの俺だけだったし、一人のために作ってもらうのもなんか申し訳なくて。だから、手作りの弁当って、昔死んだ母親が作ってくれたやつのイメージが強いんだ。遠足とか運動会とか、やたら張り切ってたな」
 そうなんだ。深く考えずに作ってきたけど、特別なアイテムだったんだな。
「優衣さんは、作ってくれたりしなかったんですか?」
「あいつ、あんまり料理得意じゃなかったし。弁当持ってどっか出かけて、っていうのはなかったな」
「てことは、こういうピクニックみたいなデート、私が初めて?」
 嬉しくなってつい聞いてしまって、我に返って慌てて訂正する。
「デート、なんて大それたものじゃないですよね、すみません」 
「デートでしょ、どう考えても」
 驚いてまじまじと顔を凝視する私を、面白そうに見ていた。
「早く行こう。なんかすごい腹減ってきた」