自分の家に近づいてきた頃、見知った顔とすれ違った。


「――蓮。どうした? 暗い顔して」


 軽く首を傾けて訊いてきたのは、千尋だった。買い物にでも出かけるところなのか、ラフな私服姿だ。


「デートの帰りなんだろ。それにしては悲壮な顔つきだな」

「……もう、終わりにしたんだ。結衣のことは」


 千尋は一瞬、眼鏡の奥の目を見開き、それから皮肉げに笑った。


「また、諦めるんだな。中学のときみたいに」
「……そうだね。今度こそ忘れようと思う」
「意気地無し。ヘタレ」
「何とでも言って」


 怒る気力もなく、千尋の傍らを通り抜ける。
 それ以上、千尋は何も声をかけてこなかった。




 アトリエに戻り、窓際の絵に白い布をかけ、この部屋から存在を隠す。

 もう二度と続きを描くことのない、空の絵。

 忘れ去られた約束は、果たされることはなく。
 長年の自分の想いにも蓋をすることにした。


 彼女との思い出を消すことなら、自分にも簡単にできると――
 沈みそうになる心を奮い立たせて。






***