一度やったことはどんなことも二回やる。

 何事にもやる気を出せなかった俺に兄貴がくれた言葉であり、俺のポリシーなわけだが、では三回目以降は? という話もある。

 それについては、「二回やった上で更にやりたいなら続ける」くらいにしか定義付けてないため、二回のみで終わっていることも多々あった。

 話は変わるが、俺と並榎が出会ってから今日で一週間になる。

 俺と並榎は、相変わらず保健室で一緒に昼を過ごしていた。

 話すことは特にない。

 たまに並榎が俺に質問してくることに答えるくらいだ。

 それでも、並榎と過ごす時間は居心地が良かった。

 あくまで相対的な話かもしれないが、高校生活が始まってから最も安らげる時間が、保健室で過ごす昼であることには間違いはない。

「並榎はさ、何で保健室に来てるの?」

 ある日の昼休みのことだ。

 保健室に着いてから、並榎は俺に教室のことばかり聞いた。

 授業は面白いか、仲の良いクラスメイトはいるのか、女子に可愛い子がいるのか……など。

 自然に話が教室に寄って行ったので、俺も今がチャンスと少しだけ踏み込むことにしたのだ。

「…………あぅ」

 俺が質問すると、普段より多弁だった並榎の口が止まる。

 やっぱマズかったかなと思いつつも、一回踏み込んだ以上もう一歩目も出すことにした。

「折角だしさ、興味あるんなら教室も一緒に行ってみない? 行ってみると意外に楽し……くはないかもしれないけど、うん。でも、何とかはなるはず」

 実体験に基づいてフワッと伝える。

 一週間経って、俺の愚行は話題の渦中から消えていった。

 一部の女子はまだ敵視しているっぽいが、それ絡みの弄りも含めて俺の存在はクラスに溶け込みつつある。

 だから、問題があるにしても早めのうちなら何とかなるように思えた。

 何かあっても俺は並榎の味方になれるし、俺としても並榎と一緒に授業を受けたかった。

 保健室の限られた時間だけじゃなくて、しっかりと高校生活を送ってみたい。

「……一回だけ、顔は出したんだよね。入学式の時」

 小声で、並榎が独り言のように呟く。

 俺もその日のことは覚えていた。

「教室に集まって、式も出て……でも、その後教室に行けなくなっちゃって」

 並榎は、自己紹介の時にはすでにいなかった。

 朝は前の席にいたはずの生徒が、式を挟んで姿を消したのだ。

「最初は、頑張ろうって思ったんだけど。やっぱり怖くて……。でも、ずっと休んでるのも駄目だから……一回、ズルもしちゃったし」

「ズル?」

 ビクッと、並榎が肩を揺らす。

 きっとそれが、並榎が保健室から出られない理由なのだろう。

「これは……まあ俺の理屈だけど」

 並榎をここから出すことが、本当に彼女のためになるかは分からない。

 だけど、不登校じゃなく保健室まで来て、教室のことも色々聞いてきて。

 少しでも並榎にも教室に来る意思があるのなら、あとは背中を押してあげるだけだ。

「一度のミスが並榎を苦しめているなら、俺だったらもう一回同じミスをやってみると思う。そうすると、過去の失敗が意外と馬鹿らしくなってくるんだよ。より強い失敗で上書きするイメージでさ」

 恥の上塗り、というわけじゃないが。

 偶然起こってしまった悲劇に苛まれて過去を悔やむより、今を生きるため自分の意思で失敗に飛び込んでいった方が、諦めも付くし納得もできる。

「並榎はさ、一回は教室に来たわけでしょ? だったら、もう一回だって来れるよ。0を一にするのは難しいけど、一を二にするのはそこまで難しくないからさ」

 そして、一と二の差というのは思っている以上に大きい。

 その行為は、過去の自分とそのまま向き合うことに直結するのだから。

「……やっぱり、新山君は強いね」

 並榎が柔らかく微笑む。

 どこか達観したような、感情の伴わない笑みだった。

「教室、行きたいよ。新山君と、授業受けてみたい。休み時間に友達と喋ったり、放課後も遊び行ったり……でも、駄目なんだ」

 駄目なの、と並榎は繰り返す。

 ズルをした、と言った時と同じ表情をしていた。

「新山君、言ったよね。0を一にするのは難しくて、一を二にするのはそんなに難しくなって」

 肯定するために、相槌を打つ。

 そんな俺に、並榎はでもね、と問いかけた。

「0を一にすることより、一を0にする方が、私はずっと難しいって思うの」

 その言葉を最後に二人の会話が途切れる。

 俺が口を開こうとすると、計算したようにチャイムが鳴って、その日の昼は終わりを迎えた。