俺から誘った食事は、特に盛り上がることなく粛々と進んでいった。

 何度か話題を振ってみたのだが、どの問いに対しても「うん……」とか「そうだね……」しか返って来ず、弁当の中身が半分を切る頃には、俺も話しかけるのを止めてしまった。

 薬品の香る白い部屋に、時計の針と咀嚼音だけが響く。

 気まずいには気まずいが、これでもまだ教室よりもマシなんだろうなあと思うと、気まずさよりむしろ空しさが募った。

「あの……新山君。ちょっと、聞いてもいい?」

 食事も終わりかけの頃、初めて並榎の方から話を振ってきた。

「ん、何? 答えられる範囲のことであれば答えるけど」

「うん。えっと……その怪我、どうしたの?」

「うぐっ」

 含んでいた米が喉に詰まる。

 ゆっくりと水で流し込みながら、そりゃあ気になるよなあと思いつつ息を吐いた。

「……自分のポリシーを、曲げずに貫き通した結果かな」

「へぇ……。なんかカッコいいね」

 素直に感心する並榎。いや、一応嘘は言ってないから。

「どんなポリシーか、聞いてもいい?」

「別にいいけど……」

 つーか思ったよりグイグイ来るなコイツ。

 話し方から受ける印象こそ最初と変わらないが、話してみると意外に面白いかも。

「一度やったことは、どんなことでも二回やる」

「……ふぇ?」

「俺のポリシーだよ。つっても、兄貴からの受け売りだけど」

 ハハハハー、と乾いた笑い声を出す。

 直前の行為を思い返すと堂々と言えるようなポリシーでは決してないが、並榎は真剣に聞いてくれていた。

「……すごいね、新山君は」

「いやー、そのせいで痛い目にあってるし、決して褒められたことじゃないんだけどね」

「でも、私には無理、かな。二回どころか、一回もできてない」

 消え入りそうな声で並榎が呟く。

 恐らくは自分の現状のことを言っている……のだろう。

 でも俺は、どうしても並榎を悲観する気持ちにはなれなかった。

「並榎は、変わりたいと思うのか?」

「……どうかな。分かんない。でも、今の私はあんまり好きじゃない、かも」

 会話の歯切れが悪い。

 これは性格の問題というより、並榎自身が答えを出すことを求めていないように思えた。

「良いと思うけどな、自分が選んだ答えなら何でも」

「……え?」

 だから俺は、並榎にではなく、自分が納得するための言葉を吐いた。

「俺なんかはさ、どっちかっていうと考えるより行動するタイプなんだよ。で、やってからあれこれ考えて落ち込んだりもするけどさ。それで後悔することは、あまりないかな」

 昔の俺は、全く逆の性格だった。

 行動するより思考ばかりが先走って、勝手に分かった気になっていた。

 兄貴に言われて、逆にしてみてからは……今度は考えるより先に行動しすぎて失敗することも増えた。

 それでも、この生き方に変えてからの方が俺はずっと生きやすくなった。

「少しくらい失敗したって、それで全てが駄目になるわけじゃない。俺はそう思ってるよ。そりゃあ勿論、女子の着替えを二回も覗いたのはどうかと思うけど……」

「……え、新山君、女子の着替えを覗いたの?」

「…………」

 調子に乗って喋り過ぎた結果、自分から墓穴を掘ってしまった。

 明らかに並榎は引いている。

「……いや、違うよ? 別に覗きじゃなくて、一回目は本当に偶然だったんだって。でも偶然とはいえ、それは明らかに俺の過失なわけじゃん? だったらもう一回、ちゃんと見ることによって、パンチを打たれる正当性を俺の中で確立させたかったわけで……」

 しどろもどろになりつつも、俺は必死で並榎に説明をする。

 考えるより先に行動するようになったことで、俺は必然的に行動の意図を後から振り返ることが多くなっていった。

 二度やる、といっても習い事の範疇から今回のような一件など、範囲は多岐に渡る。

 そのため、一つ一つに例外を作っていくよりも、行動の後で理由を考えた方が俺にはやりやすかったのだ。

 結果として俺の中には、新しい思考が芽生えていった。

 簡単に言えばそれは、グレーなものを白黒はっきりさせるという意味合いのものだ。

 例えば、水泳にしても、一度の試行では自分に適性があるかは分からない、二回、あるいはそれ以上試すことによって得意不得意、好き嫌いの白黒が付けられる。

 俺は一度したことをもう一度繰り返すことで、自分の中にある基準を明確にしていったのだ。

 そういう意味では、着替えの二度見も一応は「覗き犯としての立場を明確にした」ということで、理にかなっている……ということに俺のルール上はなっている。

 ただ、こんな自分ルールをわざわざ周りに吹聴する必要は全くないし、話したところできっと理解もされないだろう。

 それでも並榎には、俺のことを知って欲しかった。

「そっか……。だから保健室……シップ…いらない……一人で食事……」

 一通りの説明を何とかし終えると、並榎が考え込みながら独り言を呟きはじめた。

 断罪の時間、正直俺には不穏な予感しかない。

 独り言の後で無言の時間が続く。

 呆れているのだろうか、それとも怒っているのだろうか?

 沈黙に耐え切れず何かを発してしまいそうになった時、並榎が小さく息を漏らした。

「フッ……フフフッ」

 堪え切れない、とばかりに並榎が笑い出す。

 あれだけ話しかけても特に反応がなかった並榎が、なぜか急に大笑いをし始めた。

「あ、あの……、並榎、さん?」

「ご、ごめんね。でもなんか、おかしくって……フフッ。そっか、だから頬、赤くなってたんだね、フフッ」

「……え、並榎……怒ってないのか?」

「ふぇ? 怒るって……なんで?」

「いや、俺が女子の着替え覗いたこととか……」

 何となくおとなしい印象を持つ並榎は、覗きなどの性的な行為に潔癖なような気がした。

 だからてっきり、引かれたり嫌われたりするものだとばかり思っていたが……。

「うーん……。確かに、自分が覗かれていたら嫌は嫌だけど」

 少し考えて、並榎が言う、

「でも、新山君優しいし、色々考えてるんだって分かったから」

 その時の俺は、どんな顔をしていたのだろう。

 表情が見えないよう口を手で抑え、誤魔化すようなるべく軽い口調で言った。

「……いやーでもクラスでのポジションはもう完全に覗きだから。高校生活失敗したーって感じだよ」

「それでも、きっと新山君なら分かってもらえるよ」

「ハハハ……だといいけどね」

 予想よりも大分穏やかな着地をしたが、別の意味で気まずかった。

 チャイムが鳴って、部屋を出ようとした時並榎から声がかかる。

「あ、もう行くの?」

「授業は元々受ける予定だったからね。正直サボりたいけど、一応」

 そっか、と言う並榎の声は少し低くくぐもって聞こえた。

 それから何か思い付いたのか、短く「あ」と呟いて、

「……今日のこれって、一回に入るのかな?」

「これって?」

「その……昼休み、一緒に食べたこと」

「俺は、そのつもりだけど」

 背を向けたまま、俺たちは会話を続ける。その続きの言葉を、あえて遠回し
に伝えるように。

「そっか……。じゃあ、また……ね」

「ん」

 聞こえるか聞こえかくらいの返事をして、ドアを閉める。

感情の置き場が分からないまま、とりあえず明日の昼に予定が入ったことだけ喜んだ。

 歩きながら頬に鈍い痛みが走り、「顔を洗わなきゃな」と思った。

 男子トイレで見た自分の顔は、予想通り少しにやけていて、殴られていない方の頬も同じように赤くなっていた。