僕は迫りくるその時に怯えている。どうしようもない恐怖。自分が自分じゃなくなる。そんな途方もない恐怖。別に死ぬわけじゃないなんて思う人がいるのかもしれない。それでも、死ぬことよりも恐怖なのだ。死ぬというのは無くなるということ。でも僕の場合は違う。無くなることはないけど無くなってしまう。あまりにも短すぎるリミットが近づいてきていた。神様は非道だ。
リミットが後6日となってしまった午前10時。
玄関を開けるとそこには瑠璃がいた。すっとした冷たい空気が流れ込む。
普段見る制服ではなく、水色のセーターを身に纏い、昨日と同じマフラーを身に付けた私服姿の瑠璃。普段とは違う姿に新鮮味を覚える。
「あ、ちゃんと起きてた。おはよう」
「え、あ、おはよう」
土曜日の朝早くから、淡々と挨拶する瑠璃がいて戸惑ってしまう。
結局、昨日は瑠璃の言葉に唖然としたまま、日常を過ごした。昨日はひたすらに考えた。瑠璃の言った言葉の意味を。別れようと思っていた理想が瑠璃の言葉に打ち砕かれた。嬉しいという感情は湧いてこなかった。ただただ困惑するだけだった。結局答えは出ずにそのまま眠りについた。
一つ分かっていたことと言えば、また明日。って言葉くらいだ。その言葉に些細な予感を危惧していたから自然と目が覚めたし、何があってもいいように軽い支度は済ませておいた。
「ほんとに来るなんて」
「昨日言ったよ。また明日って」
「そうだけど」
外は快晴。昨日の大雪が嘘のように空は晴れ渡っていた。
陽光が雪解け水に反射して道路はきらきらと輝きを放っている。それを背景に僕の視界に映る瑠璃はとても綺麗だった。
「さ、行こ」
瑠璃にぐっと手を引っ張られて、玄関から連れ出される。
僕の危惧していた予感が的中した。なんとなく瑠璃が来るかもという予感が。我ながら感心する。
「ちょ。まって。行くってどこに」
「うん?遊びにいくんだよ」
「なんで急に。それに僕は...」
言いかけた言葉を発しようとしたときに瑠璃の人差し指が口元を遮ってくる。
瑠璃はそのままにこっとした笑顔を僕に向けて、手を引っ張ってきた。さすがに母さんに何も言わずに出ていくわけにもいかないから、瑠璃と出てくるとだけ伝える。母さんはいってらっしゃいと普段通りの言葉を投げかけてくれた。そのまま瑠璃の変に強引な謎めいた行動に僕は戸惑いながらもされるがままに瑠璃の後ろについていった。
しばらく歩くと駅前の喫茶店に着いた。
早々と二人で入り、いや、瑠璃に連れられて席に着く。ゆったりとしたBGMが店内に流れ包み込んでいる。店内にはお客さんはおらず閑散としていた。
むしろいない方が落ち着くのから嬉しいけど。お店的にはどうなのかとも思ってしまう。
「ふぅ、ここで一息つこうか」
「一息どころか連れられるがままだったから疲れた。二息ぐらいさせて」
別にそこまで疲れてはないけど少しの冗談を交える。
ここに来るまでに瑠璃と少し話したけど、いつも通りだった。特にあれについての会話もない。この前の本読み終わった?とか、普段の会話だった。瑠璃と話すことが心地よかった。
「ふふっ。元陸上部でしょ」
「あれは半強制的にだよ」
「続ければよかったのに」
「僕は蓮みたいなスポーツオタクじゃない」
それを聞いて瑠璃はくすくすと笑っている。
間違いなく蓮はスポーツオタクだ。体育会系って感じが似合っている。
一方、僕は反対に何の変哲もない普通のオタク。オタクって言っても特定のコンテンツが好きなオタクじゃないけど。いわゆる平凡な人間ってやつだ。
「頼むもの決まった?」
「うーん、コーヒーで」
「大人だね。私はココアにしようかな。ホットでいい?」
「もちろん」
そのまま瑠璃は呼び出しボタンに手を伸ばし押し込んだ。
店員さんが来てスラスラと注文していく瑠璃を見ながら思う。瑠璃は何を考えているんだろうって。要因として僕の状態っていうのがあるだけでそれ以外は検討もつかなかった。
というかまぁこの状況に変に順応してしまっている僕も僕なのだけど。瑠璃の言う通りこういう面は大人なのかもしれない。昨日あれだけ吐き出してしまったら今更思うこともない。もちろん恐怖が消えたわけじゃないし、未だに実感も湧いてこない。でも、瑠璃との二人の空間は容易に僕の心を溶かしていた。コーヒーイコール大人はあまりに偏見が過ぎるけど。
「ふぅ。あったまるね」
「そうだね。特に冬のココアは最高だろうね」
「飲む?」
瑠璃はそう言うと僕の方にココアが入ったカップを差し出して来た。
間接キス。なんて余計なことが頭によぎったけどこういうのは恥ずかしがらない方がいいって蓮に教えてもらったからお言葉に甘えて、カップに口を付ける。確かにこういうのは男子という立場からしたら結構意識してしまうけど、女性からしたら何も思っていないのだろうと思う。ましてや付き合っているのだから。そんな思考をしながらココアを口に流し込んだ。
「うん、美味しい」
ほんのり甘い味が口の中いっぱいに広がる。
「でしょ?」
「瑠璃もコーヒー飲む?」
「ううん。甘いもの飲んだ後だととても苦そうだし」
ちょっとまて。よく考えたらそうじゃないか。
「ちょ。瑠璃。もしかして分かって飲ませた?」
「さぁ?」
瑠璃があからさまに悪魔の微笑みをしながら首をかしげる。
「絶対仕組んだだろ」
瑠璃の策士な部分に引っかかる。
なんというか見かけによらずいたずらもしてくる時があるのはつい最近知ったことだ。それさえも可愛いと思ってしまう自分がいるのは余程、瑠璃に恋しているからなのだろう。
好きになった人の一つ一つの仕草が気になるのと同じことなんだろう。
「やっと笑った」
「え」
「昨日から隼人の笑った顔見てなかったから」
やっぱり瑠璃は策士だ。
「そうかな」
「うん。昨日は主に泣き顔しか」
「それはすぐにでも忘れてほしい」
彼女の前で大泣きするなんて僕としてはすぐさまに忘れてほしいものだ。
というか、そこだけをピックアップする必要はないと思う。少なくとも泣いていたのは瑠璃といた時間を考えると2割くらいだろう。
「大丈夫。誰にも言わないから」
ココアをの飲み口から口を話した後に瑠璃は自分の口に人差し指を当てて言った。
こういうのをひと時の幸せとでも言うのだろうか。昨日あれだけ考え込んでいたことが一瞬だけ今の今まで頭から離れていた。この日常が一生続くと錯覚してしまうほどに。この瑠璃との日々が一生続くと思うほどに。
「瑠璃。昨日も言ったけど僕は記憶がなくなる」
そう。日常は続かない。
どれだけ続いてほしいと願っても、時計の針は動き続け、やがてその日が来る。
「こうして瑠璃と喫茶店でお茶してる思い出さえなくなる」
「分かってるよ。隼人が聞きたいのはなんでこんなことをするのかってこと?」
聞きたいことはその通りだ。
この目的と意味を知りたい。だって僕からしてみればこの瑠璃との思い出すらも残らないのだから。
「うん」
「昨日は強引に結んだ契約を改めて結ぼうと思って」
昨日の契約。
僕の時間を瑠璃にあげるという契約のことだろう。確かに昨日は理解が追いつく前に瑠璃が帰ってしまったけど、一日置いた今だからなんとなく理解はできる。ただこの契約の理由を知りたい。瑠璃にはなんのメリットもないこの契約の理由を。
「改めてね。隼人の時間、私にくれる?」
既視感のある真剣な瞳をこちらに向けてくる瑠璃。
とんでもない契約だ。
もちろん嬉しいという感情も少なからずある。でもそれ以上に瑠璃への負担が頭をよぎってしまう。二つ返事で返せるものではなかった。沈黙が僕らの間を包み込む。
「隼人がどんなことを考えているのかはなんとなく分かる」
瑠璃が口火を切る。
「私のことを心配してくれているのも分かる。でもお願い。隼人。何も言わずにこの契約を承認してほしい」
懇願と強気が入り混じった声が入り込み、瞳はまっすぐに僕の方に伸びてきていた。
「自分から改めてなんて言っておいて、何も言わずにていうのも変な話だけど、お願い」
この契約は天使が差し出す悪魔の契約だ。
絶対に幸せな結果はない。待っているのは辛い結果。それも、瑠璃だけが傷つくという。僕も傷つくのだろうけど、僕の記憶はなくなる。瑠璃には残り続ける。天秤にかけても圧倒的に瑠璃の方が重い。どんなに神様に願おうとハッピーエンドはないこの契約。二つ返事で断るのは簡単だ。
でも、瑠璃のその真剣な瞳が僕の心を容易に揺らがせた。
「相当、辛いとおもう。僕も瑠璃も。いや瑠璃のほうが辛いよ確実に」
「うん」
「瑠璃には記憶に残っても僕には残らない」
「うん」
「僕は6日後に瑠璃に向かって誰?って聞くことになるんだよ」
「うん」
「今は付き合ってるけど、その関係も消えてしまうと思う」
「うん」
改めてこれから起こるであろうことを自分でも確かめるように悪い例ばかり出していく。
分かっててほしかった。これから起こりうるであろうことを。
それさえも真剣に瑠璃は頷き、呑み込んだ。射貫くような瞳は覚悟というものを纏っていた。
「...分かった。その契約結ぶよ」
結んだ。結んでしまった。結局、理由は分からない。いや、聞けなかった。
この選択は正解なのだろうか。多分、不正解なのかもしれない。
「ありがとう。隼人」
胸に手を当ててほっと肩を撫でおろしながらお礼をする瑠璃がなぜか見ていられなかった。
お礼をされるのは僕なんかじゃないからだ。
この契約は正直きつかった。瑠璃に折れてほしかった。こんなにも罪悪感に駆られる契約なのだから。
「瑠璃。ごめん」
「ううん。隼人は何も気にしなくていいよ。私のわがまま。それに隼人は被害者だから」
先ほどまで湯気を放っていたコーヒーはすっかりぬるくなってしまった。
喉の渇きを取るためにコーヒーを口に運ぶとやはり苦さが広がっていった。僕らはもう甘酸っぱい恋なんてできない。このコーヒーみたいに苦い恋になるんだろうと思った。
「あ、りーに本屋さん!」
「え、あ、ほんとだ。隼人!」
聞き覚えがあるうるさい声が店の入り口から聞こえてくる。
声のする方に目を向けるとそこには紗南とそして蓮が立っていてこちらに手を振ってきている。
僕らはすぐにこの重い空気を切り替える。
「紗南ちゃんに翡翠くん!」
蓮が店員さんにあの二人と同じ席でと指さしてこっちの方に向かってきた。
「隼人。昨日休んでて今日はデートですか。うらやましいですな」
そう言いつつ、蓮は僕の隣にどさっと座ってきた。それに乗じて紗南も瑠璃の隣の席に腰を下ろす。
「はぁ、別にいいだろ。すぐに治ったんだよ」
少しばかりの罪悪感を感じつつ、蓮に返答する。
蓮の言葉を冷たい言葉で返すのは今までの経験上慣れっこだと思ってたけど、この嘘はさすがに気が引ける。今後これが続くと思うとかなりきつい。蓮は友達。いや親友だから。
「紗南ちゃんと翡翠くんはどうしてここに?」
「えーと、それはですね」
「まぁ、いろいろと」
急に歯切れが悪くなる蓮と紗南。
「お前らもデートか?」
冗談交じりに聞いたつもりだったけど、空気が一変。そんなわけないだろってすぐさま返事が返ってくるかと思ったけど返ってこなかった。え、どういうこと。この空気。
「あはは。私、蓮と付き合うことにしたんだ」
「え、ほんとか?」
「隼人。割とまじだ」
「いや、まじか」
「うん、まじだ」
「好きなのか?」
「好き...だな」
「紗南ちゃん。おめでとう。よかったね」
「りー、ありがとね。いろいろ」
おい、待て。
女子二人組は話が噛み合ってるんだが。
「蓮。瑠璃は知ってたみたいだが」
「ああ、らしいな」
「らしいってお前な」
「俺だって驚いたよ。紗南に告白されて。でも、普通に嬉しかったし、なんか瑠璃にも相談してたらしいし」
どんどん声が小さくなっている。いつもの威勢はどうしたんだと思うくらいに。
どうやら告白したのは紗南の方らしい。そして、見た感じ蓮も紗南のことが好きだったのだろう。学校で見てる分にはそんな素振り一度も見せなかったから分からなかった。というか聞いた今でも信じられない。あの蓮と紗南が付き合うなんて。そしてここまで委縮する蓮を見るかぎり、恋って人を変えてしまうと改めて実感する。あれほどうるさい蓮がここまでおとなしくなっているのだから。
「ちょっと!蓮!恥ずかしがらないでよ!こっちまで恥ずかしいじゃん」
威勢よく言った紗南も後半は声が小さくなって、頬を赤く染めている。
前に瑠璃と話してたようになんだかんだお似合いで、似た者同士って感じだ。
「そんなこと言われてもなー」
先ほどまでとは打って変わって賑やかになる空間。
この二人はほんとに僕らには織りなすことができない楽しい空間をつくることができる。二人で言い合ってる様子が微笑ましかった。蓮も紗南も恋愛関係を築いた後も築く前も本質は全然変わっていなかった。瑠璃も微笑ましい笑顔で二人に相槌を打っている。
そして、同時に二人が羨ましく思えてしまう。僕らとの決定的な違いに。
紗南も蓮も今後、この関係が続いていくんだ。制限なく。でも瑠璃と僕は違う。僕らもこんな風に続いたらなんて考えてしまう自分がいた。
ふと瑠璃に目を向ける。口パクでなにか伝えようとしていた。
その口は音を発することはないが、僕には分かった。大丈夫だよ。って言ってくれているのが。なんだろう。なんだかやるせなくなる自分がいた。
「じゃあ、今日はダブルデートしようよ!」
紗南が立ち上がり名案というように自身気に提案してきた。
「ダブルデート?」
「そう!私と蓮、りーと本屋さんでばっちりじゃん!どう?」
「いいんじゃないか。紗南と二人だけは気恥ずかしいし」
「どういう意味よ。蓮」
「そのまんまだ」
「そうですかー!」
紗南が口を開いてべーっと下を出して蓮に向けている。
なんだかんだ、付き合ってもこの感じは二人の味って感じがする。
「本屋さんとりーはどう?」
「私はいいけど、隼人は?」
「瑠璃が決めていいよ」
なぜなら僕の時間はもう瑠璃のものなのだから。
わざわざ僕に確認を取る必要はない。というように瑠璃に目を向ける。
「じゃあ、一緒にデートしようか」
少しだけ寂しそうな顔をした後に瑠璃は応じた。
瑠璃に判断を委ねてしまうのは辛い。でも、僕に回答を求めても色々考え込んでしまうのが目に見えている。
「やった!ダブルデート決定だね!」
「紗南。はしゃぎすぎだ」
「蓮だけには言われたくない」
そうして今日の予定はダブルデートに決まった。
まさか、蓮と紗南と一緒にデートをする日が来るなんて思いもしなかったけど、内心僕はテンションが上がっていた。仲の良いグループで遊べるのだから。そういえば、この4人で遊ぶのは初めてかもしれない。最初で最後になるのかもな。
そのあとは賑やかな時間がカフェ内を包み込んだ。
僕の記憶が消えてしまうことは極力考えないようにした。契約を結んだからには少しでも考えないように瑠璃に負担をかけないようにしたかったから。
他愛もない雑談をして、そうしているとお昼時になったのでそのままそこでお昼ごはんを食べて、カフェを後にした。
先のカフェよりもさらに賑やかな空気が4人を包み込む。
蓮と紗南が前を歩き、瑠璃と僕は二人の後ろについて歩いていく。
両サイドを見ると、親子連れだったり、中学生だったり、また大学生のカップルだったり、様々な人がいて色んな声が飛び交っている。
今、僕らは電車を使って隣町の大型ショッピングモールに来ている。デートと言えばここでしょと言って紗南が提案した。いや、デートと言えば遊園地とかではないのかって僕も蓮も声を合わせたが、僕らが住んでいる近くに遊園地なんてものはないし、よくよく考えたら必然的にここが一番最適解になる。
それに、紗南も瑠璃も楽しそうにしてるから来た甲斐はあったと思う。それだけで充分だった。
「ねぇ、どうこの服?」
お店の待機場所の椅子に座っている僕と蓮のもとに紗南と瑠璃が駆け寄ってくる。
ここはモール内のファッションフロアの一角にあるお店。紗南がまるで赤ずきんのような服を見つけて試着していた。
このお店はどうやら童謡に出てくる服をモチーフにしているらしい。そして珍しい試着を売りにしているお店だった。もちろん服を買うこともできるが大抵のお客さんは試着で満足している姿が伺える。写真を撮ったり、紗南みたいに他人に意見を求めたりしている人など様々だ。
「可愛いんじゃないか?」
「ああ、似合ってると思う」
「ほんと?」
「嘘言ってどうするんだ」
「やった。りー、蓮と本屋さんが可愛いって!」
「紗南ちゃん。よかったね。ほんと可愛いよ!」
蓮と紗南の惚気を見た後に、瑠璃は紗南の衣装を見て目を光らせている。
女子という生き物はほんとにこういうところが好きだなと身を染みて感じる。男子からしたら絶対に来ない場所だろうけど、こういう場所に来れるのは少し新鮮な気持ちになった。
「今度はりーの番だよ。ここでさらに本屋さんをメロメロにさせないと」
紗南。どういう目的を持ってるんだ。
ここに来た目的が少し垣間見えた気がした。
「えー、私はいいよ」
「そんなこと言わずに。えーとっ」
瑠璃は恥ずかしがりながら拒んでいるけど、それを気にも留めずに紗南はラックにかかった服を漁っている。
「楽しそうだな。あいつら」
「ああ、そうだな」
「まさか隼人達とダブルデートする日が来るなんてな」
「それはこっちのセリフだ。ほんと驚いたよ」
「まぁ、そうか」
「いつから好きだったんだ」
「んー、中学生くらいからかな」
「お前もだいぶこじらせてたんだな。全然気づかなかったよ」
「俺は隼人と違って隠すの得意だからな」
「誇って言うなよ。同じだろ。ぐずぐずしてたのは」
「まぁな。ほんとなんだかんだ俺ら似てるよな」
「違いない」
そう言って二人で笑い合う。
「隼人。瑠璃を幸せにしてあげろよ」
いつも蓮に言われるこの言葉。
普段なら分かってるよって返すのにためらってしまう。
「そういう蓮こそ紗南を大切にしてあげろよ」
言えない。
もう自信を持って幸せにするなんて。
「当たり前だろ。なったからには幸せにする」
反対に蓮は自信をもって宣言した。
心の中がすこしざわめきを纏った頃に、試着室の方から大きな声が聞こえてくる。
「わーっ!りー!可愛すぎ!めっちゃ似合ってるよ!」
声のする方に目を向けるとシンデレラのようなドレスを纏った瑠璃がいた。綺麗だ。
「ねぇねぇ、本屋さんどう?」
二人が近寄ってくる。
「もう恥ずかしいよー。紗南ちゃん」
綺麗だった。いや綺麗すぎた。まるでほんとに童話の中にでてくるような。いや、童話に出てくるシンデレラはこんな感じなのだろうと思わせるくらいに。真っ白なドレスを身に纏い、ガラスの靴を履いている。これがもし童話の世界なら僕がガラスの靴の持ち主を見つけたい。シンデレラが瑠璃ならなおさら。
でも僕はその靴の持ち主を見つけることができない。だって僕は...
「なーに見とれてんだよ」
蓮の言葉で現実世界に引き戻される。
「ねぇ、隼人。どう...かな?」
頬を真っ赤に染めて目線を斜め下に下げ、恥ずかしがりながらも僕に返答を求めてくる。
「とても似合ってるよ。物語に出てくるみたいに」
「よかったね。りー」
「うわー、惚気だ」
「蓮。お前には言われたくない」
「相変わらずつめたーい」
僕と蓮の言い合いには目もくれずに紗南と瑠璃が顔を合わせて喜んでいる。
ごめんね。瑠璃。僕は王子様にはなれないや。
その後はショッピングモール内を目一杯楽しんだ。
ゲームセンターに行って、僕と蓮で協力してぬいぐるみをゲットして紗南と瑠璃にあげたり、4人で一生無縁だろうなと思っていたプリクラを取ったり、バイキング形式のレストランで夜ご飯を食べたり、とても充実した時間が流れていった。
「最後にあれ乗ろうよ!」
紗南はモールのすぐ隣にある観覧車を指さして言った。
季節が季節ということもあり6時でもあたりはずいぶん暗くなっていた。観覧車のイルミネーションがきらきらと輝きを放っている。
「観覧車か。久しく乗ってないな」
「でしょでしょ。りーも乗りたいよね?」
「うん。せっかく来たんだし乗りたいかな」
3人の中ではもう意見が固まっていて、僕に聞くまでもなく決定事項になっていた。
確かに蓮の言う通り、観覧車なんて小学生以来乗っていない気がする。高校生になって乗るなんて思ってもみなかったな。
僕らはすぐに観覧車の麓まで行き、受付を済ませる。
「ねぇねぇ、せっかくだしペア同士で乗らない?りーは本屋さんと私は蓮と」
紗南にしては思い切った提案だった。カフェでは恥ずかしそうにしていた面もあったのに。
紗南と蓮のペアが先に箱に入り込む。その次に流れてきた箱に瑠璃と一緒に乗り込む。
二人きりの空間。4人でわいわいしてる空間も好きだけど、瑠璃と二人でいる空間も同じくらい好きだった。
「ねぇ見て。隼人。すごく綺麗だよ」
瑠璃の方に近づいて瑠璃が見つめる先を見る。
隣町ってこともあって僕らが住んでいる田舎では見れない色んなお店のライトが景色として一つのイルミネーションを作り上げていた。ほんとに綺麗だ。この空間のせいか今日の思い出に浸ってしまう。
とても楽しかった。大人になった時にそういえばこんなダブルデートしたなって言えるくらいに。濃い1日だった。永遠に残り続けてほしい思い出だった。でも、残らない。消えてしまう。どうしようもない現実が襲う。
考えないようにしていてもやっぱり考えてしまう。濃い時間を過ごせば過ごすほどこれは顕著に表れてしまう。
あの契約はほんとに結んでよかったのだろうか。ふと頭の中をよぎり瑠璃の方に目を向ける。
「隼人。この契約、クーリングオフはないからね」
瑠璃は夜景を見ながら口を開く。
クーリングオフ。契約を一方的に解除できること。昔、推理小説で読んだことがある言葉だ。
「どこでそんな言葉覚えたんだよ」
「隼人に貸してもらった本に書いてあったよ」
にやっと笑いながらこっちを向いて自慢気に応える。
瑠璃には僕の考えてることはなんでもわかるらしい。そんな僕って分かりやすいのかな。
「隼人。私ね今日とっても楽しかったよ。紗南ちゃんに翡翠君、そして隼人と4人で遊べて」
「うん、そうだね」
「隼人は楽しかった?」
「もちろん。楽しかったよ。ほんとに一生の思い出にしたいくらい」
悔しいくらいの本音を吐き出す。
もう瑠璃にはばれてることだし、なんのためらいもなく僕が本音を吐き出せるただ一人の存在となった。
「隼人。大丈夫だよ。私がずっと一緒にいてあげる。隼人の苦しみを一緒に感じてあげるから」
観覧車の箱がちょうどてっぺんに差し掛かり、静かな空気が包み込む中、瑠璃が僕の肩を引っ張ってくる。
そのまま、瑠璃が背伸びをする。瑠璃の顔がすっと近づいたと思ったら、唇が重なった。これが僕らのファーストキスだった。
リミットが後6日となってしまった午前10時。
玄関を開けるとそこには瑠璃がいた。すっとした冷たい空気が流れ込む。
普段見る制服ではなく、水色のセーターを身に纏い、昨日と同じマフラーを身に付けた私服姿の瑠璃。普段とは違う姿に新鮮味を覚える。
「あ、ちゃんと起きてた。おはよう」
「え、あ、おはよう」
土曜日の朝早くから、淡々と挨拶する瑠璃がいて戸惑ってしまう。
結局、昨日は瑠璃の言葉に唖然としたまま、日常を過ごした。昨日はひたすらに考えた。瑠璃の言った言葉の意味を。別れようと思っていた理想が瑠璃の言葉に打ち砕かれた。嬉しいという感情は湧いてこなかった。ただただ困惑するだけだった。結局答えは出ずにそのまま眠りについた。
一つ分かっていたことと言えば、また明日。って言葉くらいだ。その言葉に些細な予感を危惧していたから自然と目が覚めたし、何があってもいいように軽い支度は済ませておいた。
「ほんとに来るなんて」
「昨日言ったよ。また明日って」
「そうだけど」
外は快晴。昨日の大雪が嘘のように空は晴れ渡っていた。
陽光が雪解け水に反射して道路はきらきらと輝きを放っている。それを背景に僕の視界に映る瑠璃はとても綺麗だった。
「さ、行こ」
瑠璃にぐっと手を引っ張られて、玄関から連れ出される。
僕の危惧していた予感が的中した。なんとなく瑠璃が来るかもという予感が。我ながら感心する。
「ちょ。まって。行くってどこに」
「うん?遊びにいくんだよ」
「なんで急に。それに僕は...」
言いかけた言葉を発しようとしたときに瑠璃の人差し指が口元を遮ってくる。
瑠璃はそのままにこっとした笑顔を僕に向けて、手を引っ張ってきた。さすがに母さんに何も言わずに出ていくわけにもいかないから、瑠璃と出てくるとだけ伝える。母さんはいってらっしゃいと普段通りの言葉を投げかけてくれた。そのまま瑠璃の変に強引な謎めいた行動に僕は戸惑いながらもされるがままに瑠璃の後ろについていった。
しばらく歩くと駅前の喫茶店に着いた。
早々と二人で入り、いや、瑠璃に連れられて席に着く。ゆったりとしたBGMが店内に流れ包み込んでいる。店内にはお客さんはおらず閑散としていた。
むしろいない方が落ち着くのから嬉しいけど。お店的にはどうなのかとも思ってしまう。
「ふぅ、ここで一息つこうか」
「一息どころか連れられるがままだったから疲れた。二息ぐらいさせて」
別にそこまで疲れてはないけど少しの冗談を交える。
ここに来るまでに瑠璃と少し話したけど、いつも通りだった。特にあれについての会話もない。この前の本読み終わった?とか、普段の会話だった。瑠璃と話すことが心地よかった。
「ふふっ。元陸上部でしょ」
「あれは半強制的にだよ」
「続ければよかったのに」
「僕は蓮みたいなスポーツオタクじゃない」
それを聞いて瑠璃はくすくすと笑っている。
間違いなく蓮はスポーツオタクだ。体育会系って感じが似合っている。
一方、僕は反対に何の変哲もない普通のオタク。オタクって言っても特定のコンテンツが好きなオタクじゃないけど。いわゆる平凡な人間ってやつだ。
「頼むもの決まった?」
「うーん、コーヒーで」
「大人だね。私はココアにしようかな。ホットでいい?」
「もちろん」
そのまま瑠璃は呼び出しボタンに手を伸ばし押し込んだ。
店員さんが来てスラスラと注文していく瑠璃を見ながら思う。瑠璃は何を考えているんだろうって。要因として僕の状態っていうのがあるだけでそれ以外は検討もつかなかった。
というかまぁこの状況に変に順応してしまっている僕も僕なのだけど。瑠璃の言う通りこういう面は大人なのかもしれない。昨日あれだけ吐き出してしまったら今更思うこともない。もちろん恐怖が消えたわけじゃないし、未だに実感も湧いてこない。でも、瑠璃との二人の空間は容易に僕の心を溶かしていた。コーヒーイコール大人はあまりに偏見が過ぎるけど。
「ふぅ。あったまるね」
「そうだね。特に冬のココアは最高だろうね」
「飲む?」
瑠璃はそう言うと僕の方にココアが入ったカップを差し出して来た。
間接キス。なんて余計なことが頭によぎったけどこういうのは恥ずかしがらない方がいいって蓮に教えてもらったからお言葉に甘えて、カップに口を付ける。確かにこういうのは男子という立場からしたら結構意識してしまうけど、女性からしたら何も思っていないのだろうと思う。ましてや付き合っているのだから。そんな思考をしながらココアを口に流し込んだ。
「うん、美味しい」
ほんのり甘い味が口の中いっぱいに広がる。
「でしょ?」
「瑠璃もコーヒー飲む?」
「ううん。甘いもの飲んだ後だととても苦そうだし」
ちょっとまて。よく考えたらそうじゃないか。
「ちょ。瑠璃。もしかして分かって飲ませた?」
「さぁ?」
瑠璃があからさまに悪魔の微笑みをしながら首をかしげる。
「絶対仕組んだだろ」
瑠璃の策士な部分に引っかかる。
なんというか見かけによらずいたずらもしてくる時があるのはつい最近知ったことだ。それさえも可愛いと思ってしまう自分がいるのは余程、瑠璃に恋しているからなのだろう。
好きになった人の一つ一つの仕草が気になるのと同じことなんだろう。
「やっと笑った」
「え」
「昨日から隼人の笑った顔見てなかったから」
やっぱり瑠璃は策士だ。
「そうかな」
「うん。昨日は主に泣き顔しか」
「それはすぐにでも忘れてほしい」
彼女の前で大泣きするなんて僕としてはすぐさまに忘れてほしいものだ。
というか、そこだけをピックアップする必要はないと思う。少なくとも泣いていたのは瑠璃といた時間を考えると2割くらいだろう。
「大丈夫。誰にも言わないから」
ココアをの飲み口から口を話した後に瑠璃は自分の口に人差し指を当てて言った。
こういうのをひと時の幸せとでも言うのだろうか。昨日あれだけ考え込んでいたことが一瞬だけ今の今まで頭から離れていた。この日常が一生続くと錯覚してしまうほどに。この瑠璃との日々が一生続くと思うほどに。
「瑠璃。昨日も言ったけど僕は記憶がなくなる」
そう。日常は続かない。
どれだけ続いてほしいと願っても、時計の針は動き続け、やがてその日が来る。
「こうして瑠璃と喫茶店でお茶してる思い出さえなくなる」
「分かってるよ。隼人が聞きたいのはなんでこんなことをするのかってこと?」
聞きたいことはその通りだ。
この目的と意味を知りたい。だって僕からしてみればこの瑠璃との思い出すらも残らないのだから。
「うん」
「昨日は強引に結んだ契約を改めて結ぼうと思って」
昨日の契約。
僕の時間を瑠璃にあげるという契約のことだろう。確かに昨日は理解が追いつく前に瑠璃が帰ってしまったけど、一日置いた今だからなんとなく理解はできる。ただこの契約の理由を知りたい。瑠璃にはなんのメリットもないこの契約の理由を。
「改めてね。隼人の時間、私にくれる?」
既視感のある真剣な瞳をこちらに向けてくる瑠璃。
とんでもない契約だ。
もちろん嬉しいという感情も少なからずある。でもそれ以上に瑠璃への負担が頭をよぎってしまう。二つ返事で返せるものではなかった。沈黙が僕らの間を包み込む。
「隼人がどんなことを考えているのかはなんとなく分かる」
瑠璃が口火を切る。
「私のことを心配してくれているのも分かる。でもお願い。隼人。何も言わずにこの契約を承認してほしい」
懇願と強気が入り混じった声が入り込み、瞳はまっすぐに僕の方に伸びてきていた。
「自分から改めてなんて言っておいて、何も言わずにていうのも変な話だけど、お願い」
この契約は天使が差し出す悪魔の契約だ。
絶対に幸せな結果はない。待っているのは辛い結果。それも、瑠璃だけが傷つくという。僕も傷つくのだろうけど、僕の記憶はなくなる。瑠璃には残り続ける。天秤にかけても圧倒的に瑠璃の方が重い。どんなに神様に願おうとハッピーエンドはないこの契約。二つ返事で断るのは簡単だ。
でも、瑠璃のその真剣な瞳が僕の心を容易に揺らがせた。
「相当、辛いとおもう。僕も瑠璃も。いや瑠璃のほうが辛いよ確実に」
「うん」
「瑠璃には記憶に残っても僕には残らない」
「うん」
「僕は6日後に瑠璃に向かって誰?って聞くことになるんだよ」
「うん」
「今は付き合ってるけど、その関係も消えてしまうと思う」
「うん」
改めてこれから起こるであろうことを自分でも確かめるように悪い例ばかり出していく。
分かっててほしかった。これから起こりうるであろうことを。
それさえも真剣に瑠璃は頷き、呑み込んだ。射貫くような瞳は覚悟というものを纏っていた。
「...分かった。その契約結ぶよ」
結んだ。結んでしまった。結局、理由は分からない。いや、聞けなかった。
この選択は正解なのだろうか。多分、不正解なのかもしれない。
「ありがとう。隼人」
胸に手を当ててほっと肩を撫でおろしながらお礼をする瑠璃がなぜか見ていられなかった。
お礼をされるのは僕なんかじゃないからだ。
この契約は正直きつかった。瑠璃に折れてほしかった。こんなにも罪悪感に駆られる契約なのだから。
「瑠璃。ごめん」
「ううん。隼人は何も気にしなくていいよ。私のわがまま。それに隼人は被害者だから」
先ほどまで湯気を放っていたコーヒーはすっかりぬるくなってしまった。
喉の渇きを取るためにコーヒーを口に運ぶとやはり苦さが広がっていった。僕らはもう甘酸っぱい恋なんてできない。このコーヒーみたいに苦い恋になるんだろうと思った。
「あ、りーに本屋さん!」
「え、あ、ほんとだ。隼人!」
聞き覚えがあるうるさい声が店の入り口から聞こえてくる。
声のする方に目を向けるとそこには紗南とそして蓮が立っていてこちらに手を振ってきている。
僕らはすぐにこの重い空気を切り替える。
「紗南ちゃんに翡翠くん!」
蓮が店員さんにあの二人と同じ席でと指さしてこっちの方に向かってきた。
「隼人。昨日休んでて今日はデートですか。うらやましいですな」
そう言いつつ、蓮は僕の隣にどさっと座ってきた。それに乗じて紗南も瑠璃の隣の席に腰を下ろす。
「はぁ、別にいいだろ。すぐに治ったんだよ」
少しばかりの罪悪感を感じつつ、蓮に返答する。
蓮の言葉を冷たい言葉で返すのは今までの経験上慣れっこだと思ってたけど、この嘘はさすがに気が引ける。今後これが続くと思うとかなりきつい。蓮は友達。いや親友だから。
「紗南ちゃんと翡翠くんはどうしてここに?」
「えーと、それはですね」
「まぁ、いろいろと」
急に歯切れが悪くなる蓮と紗南。
「お前らもデートか?」
冗談交じりに聞いたつもりだったけど、空気が一変。そんなわけないだろってすぐさま返事が返ってくるかと思ったけど返ってこなかった。え、どういうこと。この空気。
「あはは。私、蓮と付き合うことにしたんだ」
「え、ほんとか?」
「隼人。割とまじだ」
「いや、まじか」
「うん、まじだ」
「好きなのか?」
「好き...だな」
「紗南ちゃん。おめでとう。よかったね」
「りー、ありがとね。いろいろ」
おい、待て。
女子二人組は話が噛み合ってるんだが。
「蓮。瑠璃は知ってたみたいだが」
「ああ、らしいな」
「らしいってお前な」
「俺だって驚いたよ。紗南に告白されて。でも、普通に嬉しかったし、なんか瑠璃にも相談してたらしいし」
どんどん声が小さくなっている。いつもの威勢はどうしたんだと思うくらいに。
どうやら告白したのは紗南の方らしい。そして、見た感じ蓮も紗南のことが好きだったのだろう。学校で見てる分にはそんな素振り一度も見せなかったから分からなかった。というか聞いた今でも信じられない。あの蓮と紗南が付き合うなんて。そしてここまで委縮する蓮を見るかぎり、恋って人を変えてしまうと改めて実感する。あれほどうるさい蓮がここまでおとなしくなっているのだから。
「ちょっと!蓮!恥ずかしがらないでよ!こっちまで恥ずかしいじゃん」
威勢よく言った紗南も後半は声が小さくなって、頬を赤く染めている。
前に瑠璃と話してたようになんだかんだお似合いで、似た者同士って感じだ。
「そんなこと言われてもなー」
先ほどまでとは打って変わって賑やかになる空間。
この二人はほんとに僕らには織りなすことができない楽しい空間をつくることができる。二人で言い合ってる様子が微笑ましかった。蓮も紗南も恋愛関係を築いた後も築く前も本質は全然変わっていなかった。瑠璃も微笑ましい笑顔で二人に相槌を打っている。
そして、同時に二人が羨ましく思えてしまう。僕らとの決定的な違いに。
紗南も蓮も今後、この関係が続いていくんだ。制限なく。でも瑠璃と僕は違う。僕らもこんな風に続いたらなんて考えてしまう自分がいた。
ふと瑠璃に目を向ける。口パクでなにか伝えようとしていた。
その口は音を発することはないが、僕には分かった。大丈夫だよ。って言ってくれているのが。なんだろう。なんだかやるせなくなる自分がいた。
「じゃあ、今日はダブルデートしようよ!」
紗南が立ち上がり名案というように自身気に提案してきた。
「ダブルデート?」
「そう!私と蓮、りーと本屋さんでばっちりじゃん!どう?」
「いいんじゃないか。紗南と二人だけは気恥ずかしいし」
「どういう意味よ。蓮」
「そのまんまだ」
「そうですかー!」
紗南が口を開いてべーっと下を出して蓮に向けている。
なんだかんだ、付き合ってもこの感じは二人の味って感じがする。
「本屋さんとりーはどう?」
「私はいいけど、隼人は?」
「瑠璃が決めていいよ」
なぜなら僕の時間はもう瑠璃のものなのだから。
わざわざ僕に確認を取る必要はない。というように瑠璃に目を向ける。
「じゃあ、一緒にデートしようか」
少しだけ寂しそうな顔をした後に瑠璃は応じた。
瑠璃に判断を委ねてしまうのは辛い。でも、僕に回答を求めても色々考え込んでしまうのが目に見えている。
「やった!ダブルデート決定だね!」
「紗南。はしゃぎすぎだ」
「蓮だけには言われたくない」
そうして今日の予定はダブルデートに決まった。
まさか、蓮と紗南と一緒にデートをする日が来るなんて思いもしなかったけど、内心僕はテンションが上がっていた。仲の良いグループで遊べるのだから。そういえば、この4人で遊ぶのは初めてかもしれない。最初で最後になるのかもな。
そのあとは賑やかな時間がカフェ内を包み込んだ。
僕の記憶が消えてしまうことは極力考えないようにした。契約を結んだからには少しでも考えないように瑠璃に負担をかけないようにしたかったから。
他愛もない雑談をして、そうしているとお昼時になったのでそのままそこでお昼ごはんを食べて、カフェを後にした。
先のカフェよりもさらに賑やかな空気が4人を包み込む。
蓮と紗南が前を歩き、瑠璃と僕は二人の後ろについて歩いていく。
両サイドを見ると、親子連れだったり、中学生だったり、また大学生のカップルだったり、様々な人がいて色んな声が飛び交っている。
今、僕らは電車を使って隣町の大型ショッピングモールに来ている。デートと言えばここでしょと言って紗南が提案した。いや、デートと言えば遊園地とかではないのかって僕も蓮も声を合わせたが、僕らが住んでいる近くに遊園地なんてものはないし、よくよく考えたら必然的にここが一番最適解になる。
それに、紗南も瑠璃も楽しそうにしてるから来た甲斐はあったと思う。それだけで充分だった。
「ねぇ、どうこの服?」
お店の待機場所の椅子に座っている僕と蓮のもとに紗南と瑠璃が駆け寄ってくる。
ここはモール内のファッションフロアの一角にあるお店。紗南がまるで赤ずきんのような服を見つけて試着していた。
このお店はどうやら童謡に出てくる服をモチーフにしているらしい。そして珍しい試着を売りにしているお店だった。もちろん服を買うこともできるが大抵のお客さんは試着で満足している姿が伺える。写真を撮ったり、紗南みたいに他人に意見を求めたりしている人など様々だ。
「可愛いんじゃないか?」
「ああ、似合ってると思う」
「ほんと?」
「嘘言ってどうするんだ」
「やった。りー、蓮と本屋さんが可愛いって!」
「紗南ちゃん。よかったね。ほんと可愛いよ!」
蓮と紗南の惚気を見た後に、瑠璃は紗南の衣装を見て目を光らせている。
女子という生き物はほんとにこういうところが好きだなと身を染みて感じる。男子からしたら絶対に来ない場所だろうけど、こういう場所に来れるのは少し新鮮な気持ちになった。
「今度はりーの番だよ。ここでさらに本屋さんをメロメロにさせないと」
紗南。どういう目的を持ってるんだ。
ここに来た目的が少し垣間見えた気がした。
「えー、私はいいよ」
「そんなこと言わずに。えーとっ」
瑠璃は恥ずかしがりながら拒んでいるけど、それを気にも留めずに紗南はラックにかかった服を漁っている。
「楽しそうだな。あいつら」
「ああ、そうだな」
「まさか隼人達とダブルデートする日が来るなんてな」
「それはこっちのセリフだ。ほんと驚いたよ」
「まぁ、そうか」
「いつから好きだったんだ」
「んー、中学生くらいからかな」
「お前もだいぶこじらせてたんだな。全然気づかなかったよ」
「俺は隼人と違って隠すの得意だからな」
「誇って言うなよ。同じだろ。ぐずぐずしてたのは」
「まぁな。ほんとなんだかんだ俺ら似てるよな」
「違いない」
そう言って二人で笑い合う。
「隼人。瑠璃を幸せにしてあげろよ」
いつも蓮に言われるこの言葉。
普段なら分かってるよって返すのにためらってしまう。
「そういう蓮こそ紗南を大切にしてあげろよ」
言えない。
もう自信を持って幸せにするなんて。
「当たり前だろ。なったからには幸せにする」
反対に蓮は自信をもって宣言した。
心の中がすこしざわめきを纏った頃に、試着室の方から大きな声が聞こえてくる。
「わーっ!りー!可愛すぎ!めっちゃ似合ってるよ!」
声のする方に目を向けるとシンデレラのようなドレスを纏った瑠璃がいた。綺麗だ。
「ねぇねぇ、本屋さんどう?」
二人が近寄ってくる。
「もう恥ずかしいよー。紗南ちゃん」
綺麗だった。いや綺麗すぎた。まるでほんとに童話の中にでてくるような。いや、童話に出てくるシンデレラはこんな感じなのだろうと思わせるくらいに。真っ白なドレスを身に纏い、ガラスの靴を履いている。これがもし童話の世界なら僕がガラスの靴の持ち主を見つけたい。シンデレラが瑠璃ならなおさら。
でも僕はその靴の持ち主を見つけることができない。だって僕は...
「なーに見とれてんだよ」
蓮の言葉で現実世界に引き戻される。
「ねぇ、隼人。どう...かな?」
頬を真っ赤に染めて目線を斜め下に下げ、恥ずかしがりながらも僕に返答を求めてくる。
「とても似合ってるよ。物語に出てくるみたいに」
「よかったね。りー」
「うわー、惚気だ」
「蓮。お前には言われたくない」
「相変わらずつめたーい」
僕と蓮の言い合いには目もくれずに紗南と瑠璃が顔を合わせて喜んでいる。
ごめんね。瑠璃。僕は王子様にはなれないや。
その後はショッピングモール内を目一杯楽しんだ。
ゲームセンターに行って、僕と蓮で協力してぬいぐるみをゲットして紗南と瑠璃にあげたり、4人で一生無縁だろうなと思っていたプリクラを取ったり、バイキング形式のレストランで夜ご飯を食べたり、とても充実した時間が流れていった。
「最後にあれ乗ろうよ!」
紗南はモールのすぐ隣にある観覧車を指さして言った。
季節が季節ということもあり6時でもあたりはずいぶん暗くなっていた。観覧車のイルミネーションがきらきらと輝きを放っている。
「観覧車か。久しく乗ってないな」
「でしょでしょ。りーも乗りたいよね?」
「うん。せっかく来たんだし乗りたいかな」
3人の中ではもう意見が固まっていて、僕に聞くまでもなく決定事項になっていた。
確かに蓮の言う通り、観覧車なんて小学生以来乗っていない気がする。高校生になって乗るなんて思ってもみなかったな。
僕らはすぐに観覧車の麓まで行き、受付を済ませる。
「ねぇねぇ、せっかくだしペア同士で乗らない?りーは本屋さんと私は蓮と」
紗南にしては思い切った提案だった。カフェでは恥ずかしそうにしていた面もあったのに。
紗南と蓮のペアが先に箱に入り込む。その次に流れてきた箱に瑠璃と一緒に乗り込む。
二人きりの空間。4人でわいわいしてる空間も好きだけど、瑠璃と二人でいる空間も同じくらい好きだった。
「ねぇ見て。隼人。すごく綺麗だよ」
瑠璃の方に近づいて瑠璃が見つめる先を見る。
隣町ってこともあって僕らが住んでいる田舎では見れない色んなお店のライトが景色として一つのイルミネーションを作り上げていた。ほんとに綺麗だ。この空間のせいか今日の思い出に浸ってしまう。
とても楽しかった。大人になった時にそういえばこんなダブルデートしたなって言えるくらいに。濃い1日だった。永遠に残り続けてほしい思い出だった。でも、残らない。消えてしまう。どうしようもない現実が襲う。
考えないようにしていてもやっぱり考えてしまう。濃い時間を過ごせば過ごすほどこれは顕著に表れてしまう。
あの契約はほんとに結んでよかったのだろうか。ふと頭の中をよぎり瑠璃の方に目を向ける。
「隼人。この契約、クーリングオフはないからね」
瑠璃は夜景を見ながら口を開く。
クーリングオフ。契約を一方的に解除できること。昔、推理小説で読んだことがある言葉だ。
「どこでそんな言葉覚えたんだよ」
「隼人に貸してもらった本に書いてあったよ」
にやっと笑いながらこっちを向いて自慢気に応える。
瑠璃には僕の考えてることはなんでもわかるらしい。そんな僕って分かりやすいのかな。
「隼人。私ね今日とっても楽しかったよ。紗南ちゃんに翡翠君、そして隼人と4人で遊べて」
「うん、そうだね」
「隼人は楽しかった?」
「もちろん。楽しかったよ。ほんとに一生の思い出にしたいくらい」
悔しいくらいの本音を吐き出す。
もう瑠璃にはばれてることだし、なんのためらいもなく僕が本音を吐き出せるただ一人の存在となった。
「隼人。大丈夫だよ。私がずっと一緒にいてあげる。隼人の苦しみを一緒に感じてあげるから」
観覧車の箱がちょうどてっぺんに差し掛かり、静かな空気が包み込む中、瑠璃が僕の肩を引っ張ってくる。
そのまま、瑠璃が背伸びをする。瑠璃の顔がすっと近づいたと思ったら、唇が重なった。これが僕らのファーストキスだった。