予感はなかったわけではない。でも、そこには目を向けないでうまく乗り越えていこうとしていたのに。


「どこで間違えたかなあ……」


ぽつりと呟いて、グイッとジョッキを呷る。

「飲みすぎないようにね」と莉子がカウンターの向こうで苦笑いを浮かべた。

彼と同棲していた部屋に閉じこもりたくなくて、会社の人たちにも会わないような場所に行きたくて、だけど誰かに話を聞いてほしくて。伊勢で働いている莉子を思い出し、衝動的に新幹線に飛び乗ったのだ。


「それにしても葉月、よくこの店までたどり着いたね」

「いや、けっこう迷ったけどね。おはらい町の通りにあるのかと思ったら路地裏だし、料亭って聞いてたけど居酒屋だし」

「それはごめんって。伊勢の路地裏にある居酒屋で働いてるって正直に言ったら、前職とのギャップが激しすぎて心配かけるかなって」

「まあ、いいんだけど。元気そうだし」


大学を卒業してすぐの頃、東京のOLとして働いていた莉子はげっそりしていた。仕事を辞めてニートになりながら再び就活をして、縁あってこの居酒屋で働くようになったという話は聞いていたけれど、そんな彼女は今、とても生き生きしている。

軒先で揺れる紺色の暖簾と、優しい明かりが灯る赤提灯。趣があるというか、渋いというか。そんな店の雰囲気にぴったりの若草色の作務衣は、莉子によく似合っていた。


「はい、唐揚げ。お待たせしました」


店員である莉子に絡む私を咎めることなく、カウンターにお皿を置くのは紺色の作務衣を着た店主の男性だ。

名前は以前、莉子から教えてもらったような気もするけれど、記憶から抜けている。ふたり揃って住み込みで働いているため、『ひとつ屋根の下の彼』と勝手に呼んで、よく莉子を冷やかしていた。

そんな彼の頭には白いタオルが巻かれている。その下からは短い金髪が見え、耳には無数のピアス穴が開いていた。つり目で強面で一見とっつきにくそうだけれど、この店主と莉子が最近本当にいい感じの関係であることを私は知っている。


「わ、おいしそう! ありがとうございます」


ゴツゴツと大きな唐揚げに歓声を上げる。千切りキャベツと一緒に盛られたそれはほわんと湯気が立っていて、まさに揚げたてといった感じだ。

箸をつける前にスマホのカメラアプリを起動する。飲みかけのビールジョッキも入るように写真を撮ってから、すでに数品食べてはいたけれど「いただきます」と改めて手を合わせた。