あ、やばいかも。
そんな危機感が頭をよぎる。
ヒヤヒヤしている私をよそに、目の前の相手はスンと真顔になって、そのままこちらに背を向けた。
「あれ?」
なんだか拍子抜けだ。絶対になにか反論があると覚悟してたのに。
スタスタと大きな屋敷の中へと消えていった背中を眺めつつ、予想外の反応にポカンと口を開ける。
もしかしたら、私の提案は受け入れてもらえたのかも……なんて、期待を抱いたのも束の間。
「おい、そこの通行人! さっさとここから立ち去れ!」
そんな言葉と共にすごい剣幕で戻ってきた相手の手には、見覚えのある赤い蓋の瓶が握られていた。
「……えっ、塩!?」
瓶の中身に気づいて声を上げた私に向かって、相手は塩をまきながら迫ってくる。
「人に塩まくとか信じられない!」
「お前の言動のほうが意味分かんねえよ! ばーかばーか!」
ひとまずここは逃げるに限る。
小学生みたいなレベルの悪口を背中に受けながら、私は全力でその場を去った。
* * *
「伊勢まで来るって突然言うから、どうしたのかと思えば」
そんなことになってたんだね、と学生時代の友人である莉子(りこ)が三杯目のビールを渡してくれる。
「勝手にだけど、葉月(はづき)たちは別れないものだと思ってたよ」
「うーん、正直私もそう思ってたんだけど……」
『ごめん、別れよう』
突然の言葉は心臓に悪かった。
同棲して半年、今どき時代遅れだとも思いつつ進めていた寿退社の手続きもすべて済んだ。彼の望んだ専業主婦になる準備は万端だったのに、学生時代から六年八カ月も続いた関係はそのひとことで幕を閉じた。
路頭に迷うとはまさにこのこと。ずっと続くはずだった道が急に途切れてしまった。