「じゃあ、まずはその爪をどうにかしろ」

「……え?」


予想外の言葉に首を傾げる。


「そんなゴテゴテの爪で飲食業が務まるかよ」


『葉月の爪は綺麗だな』と付き合いたての頃に彼が言った。そのひとことが嬉しくて、ネイルサロンには二週間に一度通った。


「あと、髪もうっとうしいな」


『葉月は長い髪が似合うよ』と彼に褒められてからずっと伸ばしていた。結婚式のときにもいろんなアレンジができると楽しみにしていた。

だが、春っぽくピンク色を中心にデザインしてもらったネイルも、垢抜けを意識したかき上げ前髪のロングヘアも、もう誰のためでもない。この際、さよならを告げるのも悪くないかもしれない。


「うちで働くなら、気合い入れろよ」


カウンターの中で、拓実がフンと鼻を鳴らす。

ツキヨミさんは呆れたような笑みを浮かべていた。キュキュ丸たちは「キュッキュッ」と掃除を再開したようだ。ガラス戸の外では、荒れた庭でモンキチョウを楽しそうに追いかけるお塩ちゃんがいた。

大きく息を吸ってから、私はこう答えた。


「……上等だよ」


お茶の香りが鼻腔をくすぐる。

清々しい春が、私たちのもとに訪れようとしていた。