「うわあ、嫌なこと思い出した」
「え、なに。どうしたの」
突然テンションの下がった私に、莉子は不思議そうな顔をする。
「この話をするにはお酒がいるわ」
ジョッキに残っていたビールをすべて飲み干して、おかわりをお願いする。すぐに用意してもらった新しいジョッキを受け取って、グビグビッと喉を鳴らした。
「すっごくダサい看板を見つけたの」
ドン、とカウンターにジョッキを置いた。気の抜けたような「はあ」という莉子の声が返ってくる。
「あんまりにもセンスがなかったから、つい辛口で評価した私も悪かったけど。でも初対面でいきなり『おい』だの『お前』だの、ちょっと失礼だよね? なんなの、あいつ」
「んーっと、状況がさっぱり読めないけど……」
「しかも、向こうが言えって言うから失礼を承知で私の個人的な意見を述べただけなのに、最終的に塩持ってきたからね、塩! 聞き流せないなら最初から聞くなって話よ」
グイッとビールを呷る。あっという間に空いたジョッキを掲げて「おかわりください」と頼めば「はやっ」と莉子が目を丸くした。
「いや分かってるのよ、私に非があったことは重々反省してるの。さすがに二十五歳は大人だからね。だけど向こうも私と同い年くらいだったし、あんな言い方しなくていいと思わない? こんな気が合わない人に出会ったの初めてでびっくりしたわ、本当に」
「……飲みすぎじゃない?」
苦笑いを浮かべた莉子から新しいジョッキを受け取りながら、「大丈夫」だのなんだの口にしたような。それ以降の記憶があまりないということは、まあ大丈夫ではなかったわけだ。
* * *
ふわふわする。
三月下旬のまだ少し冷たい夜風に当たって、ちょっとだけ冷静さが戻ってきた。
「ここ……どこだっけ」
『泊まっていきなよ』という莉子のありがたい言葉になぜか虚勢を張り、ホテルを予約していると嘘をついて店を出てきた……気がする。
春休み期間中の土曜日、観光地のホテルなんて空いているはずもない。もともと新幹線の中では莉子の家に泊めてもらおうと思っていたくせに、どうして強がってしまったのだろう。
酔っ払った自分の行動が不思議だけれど、莉子と店主の順調そうな雰囲気を邪魔したくなかったのもあるし、ほんのちょっと惨めな気持ちが湧いたのかもしれない。
ホテルまで送ると申し出てくれたふたりの善意も振り切った……気がする。
なんとも曖昧である。