【午前十二時】

 二時間ほど電車に揺られてようやく目的の駅に着くと、スマートフォンのマップを開きながら学校へ向かった。
 立派な門構えの校門には私立とかかれている。敷地内には少し大人びた制服姿の男女が楽しそうに談笑していた。さすが中高一貫、と言うべきだろうか。
「うわー……入りづらいんだけど」
「入る以前の問題な気がする」
「どういうこと?」
「だって俺たち、しーちゃんの顔を覚えてないし、フルネームもわからないのにどうやって探すんだよ?」
 それもそうか。勢いできたはいいものの、探す手段を考えるのを忘れていた。
「手当たり次第、近くを歩いてきた人に聞き込みするか……」
「でも初っぱなから『しーちゃんですか?』はダメだからね?」
「それはー……わかんない」
 雪路は頭の中でキャパオーバーすると混乱して文章がおかしくなる。小さい頃の人見知りも、これが原因らしいって自分で言っていたな。
 すると雪路のスマートフォンにまた大ちゃんから連絡が入った。これも静香ちゃんからのメッセージらしい。
『しーちゃんの名前は、はるかだよ』
 文面をみて二人して驚く。静香ちゃん――大ちゃんからかもしれない――の言葉が正しければ、しーちゃんの由来はどこにある?
「しーちゃんって、名前からもじったものじゃなかったの?」
「知るか。……でも厄介だな」
「え? なんで?」
「『し』で始まる名前なら絞れるかもしれないけど、『はるか』なんて名前の付く女子が何人いると思ってるんだ?」
 言われてみればそうか。特に僕らが小学生の時、クラスに似たような名前が何人もいたし、その中にも漢字は違えど「はるか」の名前は少なくとも三人はいた。
「こんなことになるなら小学校の卒業アルバムから探せばよかったな」
「卒業アルバム? そんなのあったっけ?」
 雪路の言葉に首を傾げる。
 確か卒業式に賞状は渡されたけど、アルバムに関しては印刷会社のトラブルの関係で間に合わなかったはずだ。必ず届けますと言われて以来、僕の手元には届いていない。
「中学に入学した最初の夏休み中に立派なのが届いたよ。全員に送れたって、担任だった先生から電話がかかってきたけど」
「……あー……そう、だっけ?」
「…………まぁ、どのみち四年生の時に引っ越ししてたなら名前が載っている確率は低いな」
 小さく溜め息を吐いてそっぽを向く。その横顔はどこか寂しそうだった。
「とはいえ、ここで立ち往生している暇はない。どうしたら探し出せる……?」
 僕は学校の方を向いた。この学校には何があるんだろう。雪路が通っていた学校と何が違うんだろう。中に入ったら何が待っているんだろう。――そう思うだけで、ワクワクしてきた。
 しーちゃんは本当にこの中にいるのかな?
 また前みたいに物陰に隠れて……。
「……あ」
「天馬?」
「思い出した」

 ――あの時遊んでいたのはかくれんぼだった。
 何回かやった後、雪路が鬼になった時に僕としーちゃんは一緒に昇降口の下駄箱の影に隠れたことがあった。校庭と指定された中で校舎内に入るのはルール違反だったが、僕は無視してしーちゃんの手をひいた。雪路が近くでうろうろしているのを遠目で見ながら、二人してクスクスと笑ったっけ。
 その時に確か、僕は彼女に問いかけていた。
『なんでしーちゃんなの?』
 薄らぼんやりとしか覚えていないが、彼女はしーちゃんは自分の口許に人差し指を立てると、笑って教えてくれた。
『上のお名前がしーななの。それにしぃーってするのが得意だからしーちゃんって、友達がつけてくれたんだ』

「……しいな」
「へ?」
 僕がとぼけた顔をして呟いたからか、雪路は眉をひそめると僕の方へ向き合った。
「しーってするのが得意だからしーちゃんだって、言ってた」
「言ってたって……いつ?」
「かくれんぼの時。雪路が鬼で皆を探してたとき」
「俺が鬼……? ちょっと待って、そこまで思い出せないんだけど」
「思い出してよ! 僕としーちゃんが一緒に下駄箱の影に隠れてるところに、息切れしながら捜しにきたじゃん!」
「じゃんって言われても……」
「とにかく! その時に僕が聞いたんだよ、しーちゃんの由来!」
 この際雪路が思い出せなくてもいい。今重要なのはしーちゃんの本当の名前だ。焦る僕に、雪路は落ち着けと促すように背中を叩く。
「まぁ、お前の言うとおり名前がわかればこっちのもんだけど……どうやって会う?」
「……正面突破?」
「天馬はできても俺ができないだろ」
「え? なんで僕?」
「そんなの……!」
 首を傾げて問うと、雪路は言葉を詰まらせた。
「雪路?」
「……ほ、ほら、俺って制服じゃん? さすがに他校の奴が学校サボって何やってんだってなるだろ?」
「まぁ、そりゃそうだろうけど……」
 ズボンは似ているから、ブレザーをスクールバッグに詰めれば隠し通せなくはないと思うけど。
「……あの、どうかしましたか?」
 僕らが二人で考え込んでいると、不思議そうにリュックを背負った女の子が声をかけてきた。風で黒髪がなびくと、擽ったそうに目を細め、顔にかかった髪を手で押さえる。その仕草がとても綺麗に見えた。
「あ……えっと、すみません。えーっと……」
「なにかお困りですか?」
 雪路が返答に困っていると、彼女が問う。これはチャンスかもしれない。
「僕たち、友達に会いに来たんだ!」
「ちょ、バカかお前!」
 代わりに僕が答えると、雪路が反射的に僕の頭をはたく。パチンとはたいた音が響くと、彼女は何度も瞬きをする。
「いった! え、なんで僕叩かれたの!?」
「ちょっと黙ってて!」
「えーっと……?」
「っと……ごめんなさい! この学校の生徒さんですか?」
「そうですけど……」
「実は小学校の友人を探していて……『しいなはるか』さんって人、知りません?」
 雪路にしては丁寧な口調で的確に用件を話すと、彼女は驚いた表情のまま口を開いた。
「知っているもなにも……私が、椎名春佳です」

 椎名(しいな)春佳(はるか)の家庭はいろんな地方に飛んでは移住し、一定の期間が終わればまた別の場所へ移るという、転勤族だった。
 僕らと出会った頃は丁度住み始めた時期だったけど、四年間という過去最長な年月での入学だったらしい。
 学校から離れた公園に僕らは移動すると、椎名春佳――改め、しーちゃんはベンチに座って懐かしそうに話してくれた。
「保育園の時にお父さんが買ってくれた赤いワンピースが嬉しくて、着てたら『花子さん』って呼ばれちゃって。ちゃんと否定してくれたのは天馬君と雪路君だったね。嬉しかったよ」
「……四年生で別の学校に行ったって、森川から聞いた」
「森川……ああ、静香ちゃん? 私に唯一電話をかけてくれたの、静香ちゃんだけだったな。今も元気?」
「元気だよ。また連絡してやってよ」
「そうだね……うん。今日あたりにしてみるね」
 柔らかく笑った彼女はどこか嬉しそうだった。
「そういえば、なんでこの時間から登校してるの? 普通に平日だろ?」
「この間の休日に授業があって、その振り返りで午後からなの。学校が少し賑やかだったでしょう? 授業が始まるまで遊んでる人が多いみたい」
「……確かに、どっかの誰かさんみたいに授業サボって来る奴よりかはマシか」
 雪路はそう言ってちらりと僕の方を見る。しーちゃんは僕の方を見て小さく首をかしげた。
「天馬、君?」
「そう。『しーちゃんに渡したいものがある』んだって」
 僕は彼女の前に立つと、ポケットから鍵と星が付いたキーホルダーを取り出す。光に反射した星が揺れると、しーちゃんは思わず両手で口許を押さえた。
「えっ……? これ、なんで……?」
「ずっと持っててごめんね」
 僕がそう言うと、しーちゃんは恐る恐る手を伸ばしてキーホルダーに触れる。無事に本来の持ち主のもとへ戻ると、星は嬉しそうにまた輝いた気がした。
「……どうして、これを?」
「あの時のかくれんぼで落としたんだよ。すぐ返したかったけど、いつの間にかしーちゃんは消えていて、それからずっと持ってたんだ。いつか返そうなんて、絶対叶うはずないのにね」
「……無くしたと思って諦めてたの。まさか見つかるなんて思ってなかった」
 しーちゃんはとても大切そうにキーホルダーを両手で包み込むと抱き締めるように胸に当てた。
「……その鍵は、なんの鍵なの? 家の鍵や南京錠にしては、随分安っぽいけど」
 雪路の問いかけに、しーちゃんは嬉しそうに答えた。
「日記の鍵。転校するたびにいろんな人と出会ったから、小学生の頃からずっと書いてたの。鍵はスペアがあったから大丈夫だったけど、キーホルダーはお気に入りだったから、無くしたときショックだったんだ。でも……そっか。天馬君がずっと守ってくれてたんだね」
 ベンチから立ち上がり、しーちゃんは僕らに頭を下げると、震えながらもはっきりとした口調で言う。
「キーホルダーを、あの時の私を助けてくれて、ありがとう」
「ちょっ……! しーちゃん、顔を上げて! 別に僕らはなにも……」
 しーちゃんの肩をそっと添えて顔をあげさせると、しゃくりをあげながら呟いた。
「わたし……ちゃんと天馬君に会ってお礼言いたかったな」
 あまりにも唐突で、でも想定していた結末で。
 隣で見ている雪路にはどう捉えていただろうなんてふざけたことを考えながら、僕は受け止めるべき現実を目の当たりにした。