【午前九時三十分】

 僕の知っている森川(もりかわ)静香(しずか)は、随分活発な女の子だった気がする。
 男子と混ざって対等に勝負したり、泥だらけになっても気にせず遊ぶ、ボーイッシュな子。そういえばあの時くらいから、そこら辺の男子と同じくらい髪を短くしていたっけ。
 三組から一組までの短い距離で、雪路は彼女が中学の時に女子バスケット部の部長を背負っていたことを教えてくれた。彼女とは小学一年生の時しかクラスが被っていないから僕のことなんてわからないだろうけど、雪路や大ちゃんと唯一クラスが離れた五年生の年は彼女と一緒だったらしい。
「大輔とは二年から四年までクラスが離れたけど……あれ、俺と天馬がクラス違ったのってその時だけだっけ?」
「うわぁ……気持ち悪っ!」
「俺の台詞だっつーの。腐れ縁ってヤバイな」
 雪路の言うとおり、幼馴染みの縁か腐れ縁なのかはわからないけど、これって結構すごいことじゃない? 何十、何百、何千何万……この広い世界で同じ学校で、同じ学年でクラスがほぼ一緒って考えたらすごいことだと思う。それが二人だけ、じゃなくて、何十人も同じ状況。
 世間って案外狭いモンなんだな。
 一組の教室に着いた時には、反対側から担任の先生らしき人が教室に向かってきていた。そろそろ朝のホームルームの時間らしい。
 雪路は教室の出入り口近くの男子生徒に声をかける。
「ごめん、森川いる?」
「いるよ。ちょっと待って。おーい、森川ぁ!」
「え? なにー? ……って、あれ?」
 男子生徒の呼び掛けに答えてくれたのは、ショートボブヘアの女子生徒だった。ぱっちりした目やちょっとだけ艶がある唇に圧倒されながらも、間違いなく静香ちゃんだ。
「……天馬、どうした?」
「いやぁ……三年で変わるもんなんだねぇって」
「ジジ臭いこと言うなよ。お前も同じ十五歳だろ」
 あ、そっか。
「静香ちゃん、なんか可愛くなった。……かわいい? いや、大人っぽくなったというか……」
「なにしてんの……?」
 腕を組んで考えていると、いつの間にか目の前に静香ちゃんが立っていた。身長も、僕とあまり変わらない。
「珍しいね、雪路がこっちくるなんて」
「ちょっとね。時間無さそうだから単刀直入に聞くけど、お前、小学校の頃『しーちゃん』って呼ばれてた?」
「……はい?」
 首を傾げる静香ちゃん。それはそうだろう。もう少しまともな言葉のチョイスはなかったのか、雪路。
「ちょっと待って、話が飛び過ぎてわからないんだけど」
「えーっと……ちょっと待って。俺も結構テンパってるからどこから話せばいいか……」
「俺が話そうか?」
「天馬はちょっと黙ってて。また唐突なこと話されても俺がついていけないから」
 雪路は後頭部を掻いて、話を掻い摘まみながら説明する。僕の名前が出ると、静香ちゃんは納得したかのように笑う。
「天馬君って……全然知らないんだけど、雪路の友達だよね。クラス被ったことあったっけ……?」
「あるよ! 一年の時だけ!」
「入学して早々、かくれんぼして遊んだ奴。一番はっちゃけてた……」
「あー……あ! 思い出した! でも『しーちゃん』は私じゃないよ。だって引っ込み思案のしーちゃんが私だとしたら、かなり違うでしょ?」
 小さく笑う静香ちゃん。確かに当時から元気な彼女としーちゃんが同一人物には思えない。
「盲点だった……静香ちゃんがあんな大人しい子じゃないって僕、わかってたのに……!」
「おい天馬、思っていても口に出すんじゃねぇよ」
「雪路だって思ってるじゃん!」
「それは……まぁ、少しは」
「失礼ね! ……でもしーちゃんって呼ばれてた子とは仲良かった方だよ」
「え!?」
 静香ちゃんの言葉に二人同時に顔を向ける。勢いがよかったのか、静香ちゃんが少し引いているのを察した。
「小学四年生の頃だったかな、県外に引っ越ししちゃったんだよね。その時くらいから電話してて、卒業間近ってところで途絶えちゃったんだけど」
「え、なんで電話?」
「その時の連絡手段は電話か手紙くらいだったでしょ。最近の子みたいに小学生からスマートフォンを持たされることなかったし。それにしーちゃんの家、転勤族っぽかったからすぐに住所変わったんだと思う。最後に電話したときに、隣の県にある中高一貫の学校に行くって聞いたよ」
「県外?」
「そう。学校の名前聞いて調べたらローカル線で行けるみたい。会おうよって言いたかったけど、私も部活があったから言えなくて。ここから電車で二時間くらいなんだけど」
「二時間……」
 時間を聞いて僕の頭によぎったのは、タイムリミットを告げる声だった。
 夕方の五時なんて行って帰ってきて終わるかももわからない。ましてやローカル線だ。時間がかかって当然なものに、雪路を巻き込んでしーちゃんを探したらかなりの負担になってしまう。
 俯いて手を強く握る。あと少し、時間が長ければいいのに。
 すると、頭に誰かの手が乗って軽く叩かれた。

「――森川、その学校の住所わかる?」

「え?」
 顔をあげると、雪路が真剣な表情で静香ちゃんに言う。
「わかったら俺のスマートフォンに送って。大輔経由でもいいから。できればすぐ。天馬、行くぞ!」
「え、ちょっ――」
 雪路に手を引かれ、僕らは廊下を走って階段を一気に駆け降りる。後ろから先生らしき大人から制止の声が聞こえてくるが、一切聞こえないフリをして走った。学校の敷地から出ても、手を離すことなく駅がある方向へ走る。
「雪路っ無理しなくても……!」
「お前の!」
 彼を止めようと声をかけると、遮るように叫ぶ。
「お前の自分勝手に巻き込まれた俺の身にもなってみろ! 天馬に今日しかないように、俺にも今日しかねぇんだよ! 手ぇ貸してやるから、最後まで付き合えよバーカ!」
 ――ああ、なんて。
 なんて僕の相棒はこんなにもかっこいいんだろう。
 叫ぶ雪路の隣に立ちたくて、僕もめいいっぱい足を動かして並走する。
「……バカは余計だ、バーカ!」
 僕がそう叫ぶと、満足そうに雪路も笑った。