外から見えていたガラス張りの建物の中は温室だった。豊かな緑と深紅の薔薇が全てを埋め尽くし、仄かに花の匂いが香りたつ。

 そしてその温室の中心には、一つの丸い(テーブル)と二つの椅子があった。
 机の上にはスコーンを始め、ドーナツや氷菓子(アイスクリーム)などの西洋菓子がまんべんなく置かれている。
 その傍らには花柄の紅茶果物盃(カップ)があり、暖かな湯気と薔薇の香りがしていた。

 狸と仔猫は迷わず丸い机の元へと進む。

「みゃお」

 仔猫が狸の頭をペチペチと軽く叩いた。すると狸は器用に椅子を登り、ちょこんと座る。
 仔猫は狸の背中から飛び降り、机の上を歩いてもう一つの椅子へと向かった。
 二匹はお行儀よく椅子の上に止まっている。しばらくすると狸は大きなあくびをし、椅子の上で体を丸めた。仔猫も釣られてあくびをかく。
 二匹の眠気は頂点に達し、揃って微睡みの中へ──

「……みゃっ!?」

 二匹がうとうととしていた矢先、誰かが仔猫の背中に顔を埋めてきた。
 仔猫は両眼を見開き、己の体に埋まっている者をジッと見つめる。

「はあ~。このもふもふ感。ふふ。本当に、たまらない」

 顔の見えないその者は仔猫の体の毛を堪能していた。ぐりぐりと毛の中に顔を押し付けては、両手で体を触ってくる。 
 猫が顔をあげれば、そこには細くて綺麗な銀の糸が流れていた。
 それはとても長くて、仔猫にとっては心くすぐられる玩具となる。小さな前肢で銀の糸を追い、これでもかと尻尾を振った。

 銀の糸の先にいる者が困った様子で離れてしまえば、仔猫は少しだけ物足りなさを覚える。小さな前肢を伸ばし、尻尾を揺らして触れと要求。
 すると彼の者は微笑み、仔猫の頭を撫でた。

「ふふ。お使いは終わったのかい?」

 その手はとても優しく、仔猫は喉をゴロゴロと鳴らしてはお腹を見せる。

「……さて。そろそろ、妹を迎えに行かなければならない。お留守番をしていてくれるかな?」

 仔猫はこくりと頷き、大きなあくびをして銀の糸の持ち主を見つめた。

「にゃ~!」

「ふふ。十六夜と、名を呼んでくれるのかい? ありがとう」

 銀の糸の者──十六夜──は、猫の言葉を理解している素振りで優しく語る。
 そのまま机の上に小さな羊燈(ランプ)を置いた。淡い山吹色が机を包み、そこから仄かに薔薇の香りがした。
 十六夜は薔薇の匂いに鼻を動かす仔猫と狸の体に布を被せる。二匹をひと撫でし、眠る彼らに微笑みを送って園を後にした。

 * * * *

 十六夜が園から出た時には、既に視界は晴れ渡っていた。見上げた先では太陽が昇り、空には雲が泳いでいる。
 薔薇園を背に歩きながら左右を見れば、数多の田んぼが少しだけ黄に染まりならが並んでいた。家屋はあるものの密集しているわけではない。どちらかというと家よりも田んぼの方が多かった。
 その田んぼの手前では、近所の婦人が(ほうき)で道を掃いている。

「あら? 先生やないの。おはよう! 今日もええ男やねえ~」

 会釈だけで済ませようと十六夜が頭を下げた時、箒を持った婦人に声をかけられた。
 ふっくらとした体型で、どこにでもいる主婦といった雰囲気の女性である。
 彼女は十六夜を先生と呼び、気さくに話しかけては彼の背中を強く叩いてきた。

「もう、先生が姿見せへんかった数日間、うちら寂しかったんやで!? 先生みたいな潤いのある顔がうちら主婦の癒しなんやから」

 微笑みに呼びかけられた十六夜は婦人の話に耳を傾ける。

「ああ、そうそう。先生、知ってはります?」

 十六夜は婦人が放つ言葉に眉を動かしながら静かに聞き入った。

「一昨日、染め物屋さんの娘さんが行方不明になってもうたんやて。噂やと、お付き合いしてた方が監禁しとるんやないかって話やね」

 十六夜は彼女の言葉に片眉を動かす。けれど自身に関係ある事柄ではなかったため、興味は薄れていく。
 それでも噂話好きな婦人から、延々と聞かされ続けるのだった。