PROLOGUE


「次のニュースです。桜ヶ丘市のアパートの一室で昨日、5歳の男の子が死亡しているのが見つかりました。警察では、両親による虐待も視野に入れー…」


空虚なような静寂が広がるリビングに、テレビアナウンサーの淡々とした味気のない声が響く。

「…またこんなニュースか、全く」

そう言いながらも手にした新聞から顔を上げることもなく、父はブラックコーヒーを口に含んだ。

『子供は、神様からのギフトなんだよ』

そんな言葉が口癖だったとは到底思えない、無機質な表情で。


昔から愛用している黒縁メガネは、この光景をどう映しているのだろうか。

想像もつかないが、それ以上、特に興味も湧かなかった。



「…行ってきます」

誰に向かって言った訳でもないその言葉は、もはやただの習慣でしかない。

ソファーの上に用意していたカバンを手に取り、玄関へと向かう。すると、慌てて後を追ってくる小さな足音が廊下に響いた。

「忘れものはない?」

リビングでは殆ど口を開かなかった母が、手にした紺色の折り畳み傘を差し出しながら言った。

「今日はお昼前から雨みたいだから」

「……」

「あなた、最近ずい分頑張っているみたいだけど大丈夫?そんなに無理をしなくても…」

「平気だよ。そんな大したことないし」

「大したことないって、そんな…」

「行ってきます」

施錠を外し、表へ出る。

閉まりかけたドアの向こうで、「あ…」という小さな声を聞いた。


4月の早朝はまだ肌寒い。


(親の話もまともに聞かないなんて)

まるで思春期真っ只中の中学生のようだと思った。

突っ跳ねるような態度を取ってしまった事に多少の罪悪感は感じている。けれど、ギクシャクとした不協和音漂うこの家の空気は時に、自分の中に眠っていた反抗心を無性に煽るのだ。



母親の言った通り、表の空は重たい灰色の雲に覆われていて、この後雨が降る事は容易に予測できた。

が、あえて傘立てにある長傘は持たずに歩き出す。


渡された、小さな折り畳み傘をカバンに入れて。





新学期、高2の始まりの朝だった。