コンビニの駐車場で紗綾樺を見送った尚生は、一度は紗綾樺に言われたとおりに帰宅するべく車を走らせたが、すぐに思い留まって車をUターンさせた。
紗綾樺を一人で帰宅させるには、電車の乗り換えは複雑だったし、第一、デート相手の自分が紗綾樺をこんな遠くに置き去りにするなんて、尚生の騎士道精神にもとる行いを自分自身で許すことができなかったからだ。
とりあえず、紗綾樺が最寄り駅に向かう事を考え、病院から駅へと向かうルートを確認すると、駅の近くのコインパーキングに車を停めた。
ちょうど駅に向かう人が通る道沿いなので、紗綾樺が迷わず駅に向かって歩いてくれれば、必ず出会う事ができる場所だ。
「紗綾樺さん、大丈夫かな・・・・・・」
具体的に何を心配しているのかと訊かれたら、尚生にも答えられない。そんな漠然とした不安に尚生の心は囚われていた。それは、紗綾樺を失うかもしれないというような大それたことではなかったが、それでも、紗綾樺が県警に連行されるかもしれないというリスクと紗綾樺の今後を心配する気持ち違いなかった。
以前の尚生なら、おそらく自分の進退を一番に心配したことだろう。それは、自分が可愛いというのは言うまでもないことだが、母に与える不安や心配を一番に考慮する癖が身に染みていたからだ。しかし、いまの尚生には母に不安や心配をかける事よりも、何よりも紗綾樺の身の安全が一番だった。
万が一、県警に連行され、その職業が『スピリチュアリスト』というマスコミの恰好の餌食にされやすいものだという事実が漏れたら、紗綾樺に対してマスコミがどのような攻撃をするかも尚生には想像できなかったし、それこそ宗嗣にも迷惑をかけ、仕事を失うようなリスクになってしまうかもしれないという事を理解していながら、あのコンビニの駐車場から紗綾樺を一人で行かせたことを尚生は心の底から後悔していた。
邪魔だと言われても、迷惑だと言われても、紗綾樺の細い腕を掴み、その手を振り払われてもついていくべきだったと尚生は後悔していた。
「紗綾樺さん・・・・・・」
尚生は声に出して紗綾樺の名を呼んだ。
「紗綾樺さん、許してください。僕は、あなたに迷惑ばかりかけて・・・・・・」
尚生はハンドルに額をつけるようにして呟いた。
俯いていては紗綾樺の姿を見失ってしまうと、尚生が顔を上げた瞬間、誰かが運転席の窓を軽く叩いた。
驚いて尚生が窓の外を見ると、そこには紗綾樺が立っていた。
先程、コンビニで別れた時と何一つ変わらない姿で、紗綾樺は窓越しに絶望的な表情を浮かべている尚生に微笑みかけていた。
「紗綾樺さん」
尚生は慌てて車から降りようとして、留めたままのシートベルトに引き戻された。
「焦らなくても、消えていなくなったりしませんよ」
紗綾樺の言葉に、尚生はシートベルトを外して車から降り立った。
「先に帰ってくださいってお願いしたのに」
「ここからじゃ、紗綾樺さんの家は遠いので・・・・・・」
「じゃあ、送ってください」
「はい。お送りします」
尚生が答えると、紗綾樺は慣れた様子で助手席に乗り込んだ。
「あ、清算してきます」
車に乗り込もうとした尚生は、コインパーキングの清算をするため、慌てて精算機に向かい、小銭を取り落としそうなほど不器用な手つきで清算を済ませて車に戻ってきた。
「あの・・・・・・」
エンジンをかけながら尚生が問いかけると、紗綾樺は『今日は、まっすぐ帰りたいです』と答えた。
それは、このまままっすぐ帰るのではなく、お茶を飲みながら話をしたいという尚生の心を読んでの事だった。
「少し疲れたので、休んでも良いですか?」
助手席のシートに持たれた紗綾樺の顔色は、さっき気付かなかったのが不思議なくらい蒼かった。
「はい。ゆっくり休んでいてください」
尚生は言うと、安心したように瞳を閉じた紗綾樺の横顔を見てから車を発進させた。
いつもの場所に車を停めて紗綾樺を起こすと、熟睡していた紗綾樺は、眠りたりなさそうに目を開けた。
「つきましたよ、紗綾樺さん」
尚生の言葉に窓の外を一瞥した紗綾樺は、尚生の瞳をじっと見つめた。
「紗綾樺さん?」
見つめる紗綾樺に、尚生は心臓の鼓動が早まっていくのを感じた。
「尚生さん、もう崇君の事は忘れてください」
紗綾樺の言葉は、尚生の予想とは全く異なる内容で、早まりかけていた心臓が不協和音を立てる楽器のように急に鼓動を緩めた。
「紗綾樺さん、それは一体・・・・・・」
「何も訊かないでください。でも、依頼は果たしました」
紗綾樺の言葉の意味が分からず、尚生は混乱した頭で問いかけた。
「それは、崇君が見つかったってことですか? 帰って来たんですか?」
「尚生さん、私を信じてください。最初から、崇君は居なくなったりしていないんです」
狐につままれたような尚生を残したまま、紗綾樺はするりと車から降りて行った。
「待ってください!」
尚生も慌てて車を降りて紗綾樺を追うと、今度こそ放すまいと、紗綾樺の手を掴んだ。
「依頼料は戴きません」
あくまでもビジネスライクに言う紗綾樺に、尚生は少し乱暴かなと思いながら、紗綾樺の腕を引っ張って抱き寄せた。
「何を・・・・・・」
戸惑う紗綾樺を腕に抱き、尚生はじっと紗綾樺の瞳を見つめた。
紗綾樺ならば、見つめた瞳の奥にある思考や記憶と言った物を読むことができるのだろうが、尚生にはそんな特技はない。ただ、そうして見つめることで紗綾樺に自分の疑問や想いを読み取って欲しいという願いがあるだけだった。
コンビニで別れた時とは違う、寂しげな紗綾樺の瞳は、まるでこれで尚生との関係が終わりだと告げているように見えた。
「これで、おわりです」
とどめを刺すような紗綾樺の言葉に、尚生は抱きしめる腕に力を込めた。
「嫌です。僕は紗綾樺さんを放しません」
「でも、依頼は終わりです。だから、婚約も交際も・・・・・・」
静かな紗綾樺の声を尚生が遮った。
「違います。自分は、紗綾樺さんと結婚を前提にお付き合いする許可を宗嗣さんに戴いたんです。その気持ちに変わりはありません」
「でも、それは・・・・・・」
二人の関係の終わりを再度宣言しようとする紗綾樺の唇を尚生が自分の唇で塞いでしまおうとした瞬間、まったく予期していなかった声が聞こえた。
「あの~お二人さん、家の前で恥ずかしい事・・・・・・。自分たちは恥ずかしくないの?」
ギョッとして振り返ると、買い物袋を両手にぶら下げた宗嗣が立っていた。
「俺はかなり恥ずかしいけど・・・・・・。痴話げんかは犬も喰わないんだから、車の中でやるか、部屋ん中でやったらどうだ? ご近所さんに丸聞こえだよ」
諦めたような声で言うと、宗嗣はそれ以上なにも言わずに階段を上がっていった。
『痴話げんか』と宗嗣が言う以上、紗綾樺が口にした『依頼』という言葉は聞かれていなかったのだろう。尚生は胸をなでおろしたい心境のまま、仕方なく紗綾樺を抱きしめる腕を解いた。
「明日、もう一度ゆっくりお話しさせてください」
尚生は言ったが、紗綾樺は何も答えないまま逃げるように階段を駆け上がっていった。
☆☆☆
紗綾樺を一人で帰宅させるには、電車の乗り換えは複雑だったし、第一、デート相手の自分が紗綾樺をこんな遠くに置き去りにするなんて、尚生の騎士道精神にもとる行いを自分自身で許すことができなかったからだ。
とりあえず、紗綾樺が最寄り駅に向かう事を考え、病院から駅へと向かうルートを確認すると、駅の近くのコインパーキングに車を停めた。
ちょうど駅に向かう人が通る道沿いなので、紗綾樺が迷わず駅に向かって歩いてくれれば、必ず出会う事ができる場所だ。
「紗綾樺さん、大丈夫かな・・・・・・」
具体的に何を心配しているのかと訊かれたら、尚生にも答えられない。そんな漠然とした不安に尚生の心は囚われていた。それは、紗綾樺を失うかもしれないというような大それたことではなかったが、それでも、紗綾樺が県警に連行されるかもしれないというリスクと紗綾樺の今後を心配する気持ち違いなかった。
以前の尚生なら、おそらく自分の進退を一番に心配したことだろう。それは、自分が可愛いというのは言うまでもないことだが、母に与える不安や心配を一番に考慮する癖が身に染みていたからだ。しかし、いまの尚生には母に不安や心配をかける事よりも、何よりも紗綾樺の身の安全が一番だった。
万が一、県警に連行され、その職業が『スピリチュアリスト』というマスコミの恰好の餌食にされやすいものだという事実が漏れたら、紗綾樺に対してマスコミがどのような攻撃をするかも尚生には想像できなかったし、それこそ宗嗣にも迷惑をかけ、仕事を失うようなリスクになってしまうかもしれないという事を理解していながら、あのコンビニの駐車場から紗綾樺を一人で行かせたことを尚生は心の底から後悔していた。
邪魔だと言われても、迷惑だと言われても、紗綾樺の細い腕を掴み、その手を振り払われてもついていくべきだったと尚生は後悔していた。
「紗綾樺さん・・・・・・」
尚生は声に出して紗綾樺の名を呼んだ。
「紗綾樺さん、許してください。僕は、あなたに迷惑ばかりかけて・・・・・・」
尚生はハンドルに額をつけるようにして呟いた。
俯いていては紗綾樺の姿を見失ってしまうと、尚生が顔を上げた瞬間、誰かが運転席の窓を軽く叩いた。
驚いて尚生が窓の外を見ると、そこには紗綾樺が立っていた。
先程、コンビニで別れた時と何一つ変わらない姿で、紗綾樺は窓越しに絶望的な表情を浮かべている尚生に微笑みかけていた。
「紗綾樺さん」
尚生は慌てて車から降りようとして、留めたままのシートベルトに引き戻された。
「焦らなくても、消えていなくなったりしませんよ」
紗綾樺の言葉に、尚生はシートベルトを外して車から降り立った。
「先に帰ってくださいってお願いしたのに」
「ここからじゃ、紗綾樺さんの家は遠いので・・・・・・」
「じゃあ、送ってください」
「はい。お送りします」
尚生が答えると、紗綾樺は慣れた様子で助手席に乗り込んだ。
「あ、清算してきます」
車に乗り込もうとした尚生は、コインパーキングの清算をするため、慌てて精算機に向かい、小銭を取り落としそうなほど不器用な手つきで清算を済ませて車に戻ってきた。
「あの・・・・・・」
エンジンをかけながら尚生が問いかけると、紗綾樺は『今日は、まっすぐ帰りたいです』と答えた。
それは、このまままっすぐ帰るのではなく、お茶を飲みながら話をしたいという尚生の心を読んでの事だった。
「少し疲れたので、休んでも良いですか?」
助手席のシートに持たれた紗綾樺の顔色は、さっき気付かなかったのが不思議なくらい蒼かった。
「はい。ゆっくり休んでいてください」
尚生は言うと、安心したように瞳を閉じた紗綾樺の横顔を見てから車を発進させた。
いつもの場所に車を停めて紗綾樺を起こすと、熟睡していた紗綾樺は、眠りたりなさそうに目を開けた。
「つきましたよ、紗綾樺さん」
尚生の言葉に窓の外を一瞥した紗綾樺は、尚生の瞳をじっと見つめた。
「紗綾樺さん?」
見つめる紗綾樺に、尚生は心臓の鼓動が早まっていくのを感じた。
「尚生さん、もう崇君の事は忘れてください」
紗綾樺の言葉は、尚生の予想とは全く異なる内容で、早まりかけていた心臓が不協和音を立てる楽器のように急に鼓動を緩めた。
「紗綾樺さん、それは一体・・・・・・」
「何も訊かないでください。でも、依頼は果たしました」
紗綾樺の言葉の意味が分からず、尚生は混乱した頭で問いかけた。
「それは、崇君が見つかったってことですか? 帰って来たんですか?」
「尚生さん、私を信じてください。最初から、崇君は居なくなったりしていないんです」
狐につままれたような尚生を残したまま、紗綾樺はするりと車から降りて行った。
「待ってください!」
尚生も慌てて車を降りて紗綾樺を追うと、今度こそ放すまいと、紗綾樺の手を掴んだ。
「依頼料は戴きません」
あくまでもビジネスライクに言う紗綾樺に、尚生は少し乱暴かなと思いながら、紗綾樺の腕を引っ張って抱き寄せた。
「何を・・・・・・」
戸惑う紗綾樺を腕に抱き、尚生はじっと紗綾樺の瞳を見つめた。
紗綾樺ならば、見つめた瞳の奥にある思考や記憶と言った物を読むことができるのだろうが、尚生にはそんな特技はない。ただ、そうして見つめることで紗綾樺に自分の疑問や想いを読み取って欲しいという願いがあるだけだった。
コンビニで別れた時とは違う、寂しげな紗綾樺の瞳は、まるでこれで尚生との関係が終わりだと告げているように見えた。
「これで、おわりです」
とどめを刺すような紗綾樺の言葉に、尚生は抱きしめる腕に力を込めた。
「嫌です。僕は紗綾樺さんを放しません」
「でも、依頼は終わりです。だから、婚約も交際も・・・・・・」
静かな紗綾樺の声を尚生が遮った。
「違います。自分は、紗綾樺さんと結婚を前提にお付き合いする許可を宗嗣さんに戴いたんです。その気持ちに変わりはありません」
「でも、それは・・・・・・」
二人の関係の終わりを再度宣言しようとする紗綾樺の唇を尚生が自分の唇で塞いでしまおうとした瞬間、まったく予期していなかった声が聞こえた。
「あの~お二人さん、家の前で恥ずかしい事・・・・・・。自分たちは恥ずかしくないの?」
ギョッとして振り返ると、買い物袋を両手にぶら下げた宗嗣が立っていた。
「俺はかなり恥ずかしいけど・・・・・・。痴話げんかは犬も喰わないんだから、車の中でやるか、部屋ん中でやったらどうだ? ご近所さんに丸聞こえだよ」
諦めたような声で言うと、宗嗣はそれ以上なにも言わずに階段を上がっていった。
『痴話げんか』と宗嗣が言う以上、紗綾樺が口にした『依頼』という言葉は聞かれていなかったのだろう。尚生は胸をなでおろしたい心境のまま、仕方なく紗綾樺を抱きしめる腕を解いた。
「明日、もう一度ゆっくりお話しさせてください」
尚生は言ったが、紗綾樺は何も答えないまま逃げるように階段を駆け上がっていった。
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