一通り兄からの事情聴取を終え自分の布団に横になった私は、宮部から強引に入手した情報を何度も見直した。
いなくなったのは、七歳の男の子。その日は、父親と一緒に遊びに出掛け、おもちゃ売り場を見ていたはずなのに、待ち合わせ時間になっても姿が見えず、デパートの外で白っぽいワゴン車に乗ったらしい。
父親は、みつからなくなった息子を探すため、車を飛ばして帰宅。夜になり、捜索願を出す。誘拐と思われるが身代金等の要求が来ない。
確かに、これを誘拐事件として扱うには、身代金の要求がないから難しいのだろう。でも、既に数日経過して、犯人からは一切連絡がない。だとすると、誘拐ではなく、単なる失踪、いや本人が目当てであれば、犯人から身代金の請求がなくてもおかしくない。
あれこれ考えながら、私は絶対的に宮部からもらった情報だけでは足りないと確信した。そう、子供に一番近い存在、母親か父親。できれば、両方に接触したい。そうすれば、見えるはずだ、何が起こったのか。
考えているうちに、再現される記憶が揺らめき、段々に意識が遠くなっていくのを感じた。『ああ、眠りに落ちるんだ』と私は思うと同時に、いつも見る金色の狐が軽やかに野をかけていく姿を見た。
☆☆☆
帰りの道すがら、彼女に助けを求めたことが本当に正しかったのか、僕は何度も自問自答していた。たぶん、同僚に知れたら僕の頭がおかしくなったのではないかと心配されるだろう。そして、きっと刑事の激務に耐えられなかったから、地道な捜査ではなく占いなんて言う神頼み的なものに逃げたと思われるに違いない。でも、僕にはわかる、彼女は本物だ。嘘つきでも、メンタリストと呼ばれる人の行動や思考を自分の望む方向へと操るのでもない。
誰にも話、僕には刑事であることよりも、人の役に立てることが何よりも重要だった。だから、交通課であろうと、生活安全課であろうと、それこそどこでもよかった。地道に仕事を続け、日々、少しでも誰かの役に立てたらそれでいいと、そう思って仕事をしていた。その努力が認められ、強行犯係への移動を進められた時、正直これこそ悪を打ち砕く警察の本領を発揮できる部署だと思ったし、まさか自分にそんなチャンスが巡ってくるとは思っていなかったから、耳を疑って聞き返してしまったくらいだ。それでも、母一人、子一人の自分の境遇を考えると、今までよりも数十倍危険を伴う部署に異動することが母の負担になるのではないかと、不安でたまらなくなった。だから、どんな一言でも、どんな結果に終わったとしても、この一発勝負の博打のような占いが自分の背中を押してくれればいいと思って、あの列に並んだ。
他の占い師と違う長い行列に、思わず前に並んでいる女性に『当たるんですか?』と訊いてしまったくらい、僕には彼女に対する情報も信頼も先入観も何もなかった。
軽く六十歳を超えているであろう女性は、親切に『神の声』のように的確になんでも言い当てる占い師だと教えてくれた。
並んでからも、自分がバカなことをしようとしているという認識は少なからずあったので、逆に女性の言葉は『へえ、うまく商売をしているんだな』という思いを沸き立たされ、列を離れようかと何度も考えたが、列は長くなる一方で、待っても待っても順番はなかなか来なかった。そんな時、確か十時半頃だったか、小柄な女性が列の最後尾に歩み寄り『受付終了』と書かれた札を手渡していた。そんな簡単なことで本当に穏便に行くのだろうかと心配していたが、最後尾の男性が札を見せると、後からやってきた客たちはおとなしくあきらめて帰って行った。
怒りもせず、『明日は早く来よう』と言って帰っていく客たちに、僕は正直、『しつけがいいなぁ』と感心してしまったほどだ。そんな僕に、さっきの女性が『列に並べなかったからと、問題を起こしたら、二度と観てもらえないんですよ』と教えてくれた。
建物の外まで続いていた列は、次第に建物の中へと導かれ、階段をのぼり、二階にある占いエリアの隅にあるブースに端を発していた。
これでもかというほど待たされた挙句、やっと僕の順番が回ってきた。
椅子から立ち上がった女性は、何度も何度も丁寧に頭を下げてから席を離れると、僕にも『お待たせしてごめんなさいね』と一礼してから帰って行った。
「どうぞ、次の男性の方」
よく澄んだ声に呼ばれ、僕はさっきまで女性が座っていた椅子に座った。
周りの占い師の方がよっぽど占い師らしいと思えるくらい、素朴なスペースには占いに使うと思われるようなスピリチュアルなものは何一つ置いてなかった。そして、目の前に座っていたのは、さっき最終受付の札を渡しに来た若い女の子だった。
「いろいろと悩まれているようですけど、ご相談はお仕事でいいですか?」
彼女は、僕が何も言う前に訊いてきた。
ここまで来たら、もう引き下がれないと、僕は並んでいる間に考えた普通の会社にありそうな部署の名前を並べて彼女のアドバイスを求めた。
「目を閉じて、仕事の事だけを考えてください」
彼女の言葉に、僕は頭の中で『仕事、仕事、仕事、仕事・・・・・・』と繰り返した。そのとたん、彼女がクスリと笑った。
「そういう意味じゃないです。悩んでいる二つのお仕事の事を考えてくださいってことです。仕事という言葉を繰り返す必要はありません」
そう、彼女には、僕の心の声が聴こえていたとしか思えない。そして、ほんの数十秒、僕は目を閉じて強行犯係の仕事の事を考えた。
「新しいお仕事は、順調に行くでしょう。誰も悲しませるようなことにはなりません。お母様は喜んでくださるでしょう。でも、もし心配になったら、また来てください」
『たったそれだけか?』と思ったが、彼女の顔は鑑定が終わったことを物語っていた。渋々、高い鑑定料だなと思いながら支払いを済ませて帰ろうとした時、彼女が僕を呼び止めた。
「これからは、沢山靴を買う必要が出てきます。靴底ってへるもんなんですよ。だから、今日のお代はあなたには高すぎるようです」
彼女は言うと、二千円だけ取り、残りの千円札をすべて僕に返してよこした。
「次の方が待っていらっしゃるので、失礼します」
彼女は言うと、僕に出ていくように促した。
母に異動の事を話すと、母は心配するどころか、今までの努力が認められたのだと、彼女の言った通り喜んでくれた。彼女と母に背中を押され、僕は強行犯係に異動した、それから今日まで、母を悲しませるような事もなく、同僚が怪我をしても僕は無傷で今までやってきた。そう、彼女が言ったとおり、仕事は順調で、誰も悲しませることはなかった。
今回の事件はまさに、僕にとって初めての難事件だった。しかも、これを事件と言っていいかどうかもわからないくらい難問だ。どれほど調べても、七歳の男の子が一人、忽然と姿を消したのに、誘拐なのか失踪なのかもわからない。
マスコミにも緘口令を敷いているから、一般人である彼女が事件を知るはずはない。当事者家族にも、他言しないように口止めをしてある。
なのに、彼女は僕が何も話さないうちに事件の詳細を言い当てた。僕の中の彼女の能力に対する信頼は、あの一言で確信に変わった。ほんの数時間前までは『天生目』なんて妖しい名前の得体の知れない占い師だと思っていたが、それが本名で天生目 紗綾樺という名前だとわかって以来、彼女に対する興味はどんどん増してくる。
仕事のためだとはわかっているけれど、ほんの数分程度の鑑定時間ではなく、お茶をしたり、事件の話をしたりする間、彼女と一緒に過ごせると思うと、不謹慎にも鼓動が早くなっていった。
『いけない、いけない。これは仕事だ』と、自分の気持ちを正しながら、どうやって彼女を家族と引き合わせるかを考えると、どうにもいいアイデアが浮かばなかった。それに、もし自分が勝手に占い師に相談したなどという事が上に知れたら、懲戒処分になるかもしれない。それだけじゃなく、ご家族も不快に思われるかもしれない。そう思うと、自分の行動が少し軽率だったようにも思えた。
僕は車を駐車場に止めると、部屋への道々紗綾樺さんを引き合わせる方法を考えあぐねた。
しかし、どんなに考えても良い方法は浮かばず、僕は仕方がないので明日の夕方、ちょうど被害者が姿を消した場所と、車に乗り込んだという目撃証言のある場所に紗綾樺さんを案内しようと心に決めた。
いなくなったのは、七歳の男の子。その日は、父親と一緒に遊びに出掛け、おもちゃ売り場を見ていたはずなのに、待ち合わせ時間になっても姿が見えず、デパートの外で白っぽいワゴン車に乗ったらしい。
父親は、みつからなくなった息子を探すため、車を飛ばして帰宅。夜になり、捜索願を出す。誘拐と思われるが身代金等の要求が来ない。
確かに、これを誘拐事件として扱うには、身代金の要求がないから難しいのだろう。でも、既に数日経過して、犯人からは一切連絡がない。だとすると、誘拐ではなく、単なる失踪、いや本人が目当てであれば、犯人から身代金の請求がなくてもおかしくない。
あれこれ考えながら、私は絶対的に宮部からもらった情報だけでは足りないと確信した。そう、子供に一番近い存在、母親か父親。できれば、両方に接触したい。そうすれば、見えるはずだ、何が起こったのか。
考えているうちに、再現される記憶が揺らめき、段々に意識が遠くなっていくのを感じた。『ああ、眠りに落ちるんだ』と私は思うと同時に、いつも見る金色の狐が軽やかに野をかけていく姿を見た。
☆☆☆
帰りの道すがら、彼女に助けを求めたことが本当に正しかったのか、僕は何度も自問自答していた。たぶん、同僚に知れたら僕の頭がおかしくなったのではないかと心配されるだろう。そして、きっと刑事の激務に耐えられなかったから、地道な捜査ではなく占いなんて言う神頼み的なものに逃げたと思われるに違いない。でも、僕にはわかる、彼女は本物だ。嘘つきでも、メンタリストと呼ばれる人の行動や思考を自分の望む方向へと操るのでもない。
誰にも話、僕には刑事であることよりも、人の役に立てることが何よりも重要だった。だから、交通課であろうと、生活安全課であろうと、それこそどこでもよかった。地道に仕事を続け、日々、少しでも誰かの役に立てたらそれでいいと、そう思って仕事をしていた。その努力が認められ、強行犯係への移動を進められた時、正直これこそ悪を打ち砕く警察の本領を発揮できる部署だと思ったし、まさか自分にそんなチャンスが巡ってくるとは思っていなかったから、耳を疑って聞き返してしまったくらいだ。それでも、母一人、子一人の自分の境遇を考えると、今までよりも数十倍危険を伴う部署に異動することが母の負担になるのではないかと、不安でたまらなくなった。だから、どんな一言でも、どんな結果に終わったとしても、この一発勝負の博打のような占いが自分の背中を押してくれればいいと思って、あの列に並んだ。
他の占い師と違う長い行列に、思わず前に並んでいる女性に『当たるんですか?』と訊いてしまったくらい、僕には彼女に対する情報も信頼も先入観も何もなかった。
軽く六十歳を超えているであろう女性は、親切に『神の声』のように的確になんでも言い当てる占い師だと教えてくれた。
並んでからも、自分がバカなことをしようとしているという認識は少なからずあったので、逆に女性の言葉は『へえ、うまく商売をしているんだな』という思いを沸き立たされ、列を離れようかと何度も考えたが、列は長くなる一方で、待っても待っても順番はなかなか来なかった。そんな時、確か十時半頃だったか、小柄な女性が列の最後尾に歩み寄り『受付終了』と書かれた札を手渡していた。そんな簡単なことで本当に穏便に行くのだろうかと心配していたが、最後尾の男性が札を見せると、後からやってきた客たちはおとなしくあきらめて帰って行った。
怒りもせず、『明日は早く来よう』と言って帰っていく客たちに、僕は正直、『しつけがいいなぁ』と感心してしまったほどだ。そんな僕に、さっきの女性が『列に並べなかったからと、問題を起こしたら、二度と観てもらえないんですよ』と教えてくれた。
建物の外まで続いていた列は、次第に建物の中へと導かれ、階段をのぼり、二階にある占いエリアの隅にあるブースに端を発していた。
これでもかというほど待たされた挙句、やっと僕の順番が回ってきた。
椅子から立ち上がった女性は、何度も何度も丁寧に頭を下げてから席を離れると、僕にも『お待たせしてごめんなさいね』と一礼してから帰って行った。
「どうぞ、次の男性の方」
よく澄んだ声に呼ばれ、僕はさっきまで女性が座っていた椅子に座った。
周りの占い師の方がよっぽど占い師らしいと思えるくらい、素朴なスペースには占いに使うと思われるようなスピリチュアルなものは何一つ置いてなかった。そして、目の前に座っていたのは、さっき最終受付の札を渡しに来た若い女の子だった。
「いろいろと悩まれているようですけど、ご相談はお仕事でいいですか?」
彼女は、僕が何も言う前に訊いてきた。
ここまで来たら、もう引き下がれないと、僕は並んでいる間に考えた普通の会社にありそうな部署の名前を並べて彼女のアドバイスを求めた。
「目を閉じて、仕事の事だけを考えてください」
彼女の言葉に、僕は頭の中で『仕事、仕事、仕事、仕事・・・・・・』と繰り返した。そのとたん、彼女がクスリと笑った。
「そういう意味じゃないです。悩んでいる二つのお仕事の事を考えてくださいってことです。仕事という言葉を繰り返す必要はありません」
そう、彼女には、僕の心の声が聴こえていたとしか思えない。そして、ほんの数十秒、僕は目を閉じて強行犯係の仕事の事を考えた。
「新しいお仕事は、順調に行くでしょう。誰も悲しませるようなことにはなりません。お母様は喜んでくださるでしょう。でも、もし心配になったら、また来てください」
『たったそれだけか?』と思ったが、彼女の顔は鑑定が終わったことを物語っていた。渋々、高い鑑定料だなと思いながら支払いを済ませて帰ろうとした時、彼女が僕を呼び止めた。
「これからは、沢山靴を買う必要が出てきます。靴底ってへるもんなんですよ。だから、今日のお代はあなたには高すぎるようです」
彼女は言うと、二千円だけ取り、残りの千円札をすべて僕に返してよこした。
「次の方が待っていらっしゃるので、失礼します」
彼女は言うと、僕に出ていくように促した。
母に異動の事を話すと、母は心配するどころか、今までの努力が認められたのだと、彼女の言った通り喜んでくれた。彼女と母に背中を押され、僕は強行犯係に異動した、それから今日まで、母を悲しませるような事もなく、同僚が怪我をしても僕は無傷で今までやってきた。そう、彼女が言ったとおり、仕事は順調で、誰も悲しませることはなかった。
今回の事件はまさに、僕にとって初めての難事件だった。しかも、これを事件と言っていいかどうかもわからないくらい難問だ。どれほど調べても、七歳の男の子が一人、忽然と姿を消したのに、誘拐なのか失踪なのかもわからない。
マスコミにも緘口令を敷いているから、一般人である彼女が事件を知るはずはない。当事者家族にも、他言しないように口止めをしてある。
なのに、彼女は僕が何も話さないうちに事件の詳細を言い当てた。僕の中の彼女の能力に対する信頼は、あの一言で確信に変わった。ほんの数時間前までは『天生目』なんて妖しい名前の得体の知れない占い師だと思っていたが、それが本名で天生目 紗綾樺という名前だとわかって以来、彼女に対する興味はどんどん増してくる。
仕事のためだとはわかっているけれど、ほんの数分程度の鑑定時間ではなく、お茶をしたり、事件の話をしたりする間、彼女と一緒に過ごせると思うと、不謹慎にも鼓動が早くなっていった。
『いけない、いけない。これは仕事だ』と、自分の気持ちを正しながら、どうやって彼女を家族と引き合わせるかを考えると、どうにもいいアイデアが浮かばなかった。それに、もし自分が勝手に占い師に相談したなどという事が上に知れたら、懲戒処分になるかもしれない。それだけじゃなく、ご家族も不快に思われるかもしれない。そう思うと、自分の行動が少し軽率だったようにも思えた。
僕は車を駐車場に止めると、部屋への道々紗綾樺さんを引き合わせる方法を考えあぐねた。
しかし、どんなに考えても良い方法は浮かばず、僕は仕方がないので明日の夕方、ちょうど被害者が姿を消した場所と、車に乗り込んだという目撃証言のある場所に紗綾樺さんを案内しようと心に決めた。