実家暮らしというのは、決して気ままなものではない。確かに、一人暮らしだったら洗濯や炊事、掃除といったものに困ることは目に見えている。特に、強行犯係に移動してからは、勤務時間が不規則だし、緊急招集もある。なので、母の助けは非常にありがたい。しかし、こういう理由の説明しずらい休暇を取っている時は非常に言い訳が困難な挙句、日頃のお返しとばかりに、あれやこれやとやることを言い付けられる。
「次は、どこの電球を買えたらいいの?」
 布団を干すからと、布団からけりだされた僕は、脚立を片手に母に声をかけた。
「階段の電気も暗くなってるから、新しいLEDに変えておいてちょうだい」
「階段ね。かしこまりました」
 僕は言うと、どっさり積んであるLED電球の山から一つ電球をとり階段を上がった。
 あの電球の数からいって、これで終わるはずはない。
「終わったよ。次は?」
「次は、お風呂場と洗面台をお願い」
 いっそ、交換する電球のリストが欲しいと思いながら、僕は再び一階に降りた。
 さっきからこの調子で、一階と二階を何度も往復されられている。
 どの電球を切れているわけではないが、たぶん、僕が変えてから既に一年か、それ以上たっているから、確かに暗くなっている。しかし、外した電球や蛍光灯を母が捨ててしまうとも思えないので、僕は思わず問いかけた。
「この外した電球どうするの?」
「あ、それはね、取っておいて、切れた時に使うのよ。私でも手が届くところにね」
 母は答えると、洗濯物の山を担いで階段を上ろうとする。
「持っていくよ」
 僕は言うと、母の手から洗濯物の山を受け取った。
 脱水してあるとはいえ、濡れた洗濯物はかなり重い。
「腰痛めないようにね」
 思わず声に出して言ってしまうと、母はいつものように『年寄り扱いしないでよね、本当に老けちゃうから』と答えた。
 二階にある物干しまで洗濯物を運ぶと、母が手早く干し始めた。しかし、さすがに男物のTシャツは重いらしく、うまく水気を払えないらしく、悪戦苦闘している。
「やろうか?」
「大丈夫よ。毎日やってんだから。それより、あんた、まだ恋人出来ないの?」
 前の彼女と別れて以来、母の心配事は息子が将来独り身で寂しく孤独死するのではないかという事らしい。
「恋人はいないよ。好きな人はいるけどね」
 この前と言っても、この手の話をしたのは、たぶん半年以上は前な気がするが、その時とは異なる僕の返事に、母は瞳を輝かせる。
「いいかい、自分は長男で兄弟もいないけど、母は自立した人だから、同居もしないし、ちゃんと将来の為に、介護付きのホームに入れるように二十歳の頃から計画的に貯金してるから、介護の心配もいりませんって言うんだよ」
 母の言葉に、僕は思わず吹き出してしまった。
「それさ、告白するときに言う言葉じゃないよね。プロポーズする時っていうか、結婚の話を切り出す前振りのアピールだよね」
「こういうアピールは、早いに越したことないのよ。プロポーズする前に一人っ子の長男ってだけで、リストの順番を下げられるといけないからね。なにしろ、長男の嫁不足が深刻なのは日本だけじゃないですからね。中国なんて、息子に嫁が来なくて自殺する親までいるのよ」
「いや、それはさ、一人っ子政策してたからでしょ」
「うちはね、一人っ子の挙句、母子家庭よ。相手のご両親がそういうことを気にする方だったら、絶対に良く思わないかもしれないでしょ。ますますリストの順番が下がるわ」
 本気なのか、冗談なのかわからない母の言葉に、僕は大きなため息を必死に飲み込んだ。母は、僕が物心ついて以来、ずっと母子家庭であることを気にしている。僕には父親の記憶はないし、知っているのは名前だけだ。
「で、どんなお嬢さんなの? やっばり、進展がないのは、仕事のせいかい?」
「いや、だから、好きな人は居るって話で・・・・・・」
「お前はね、余計な事ばっかり考えて、いっつも出遅れるんだから。ぼんやりしていると、すぐに他の男に掠め取られちゃうからね」
 母は、すっかり自分の世界に入ってしまっている。
「いや、だからさ、片思いなんだってば」
 僕の言葉に、母は手を止めて振り向いた。
「本当に、まだお付き合いしてないのかい?」
 高校生でもあるまいし、なぜ母がここまで疑うのか、少し理解に苦しむ。というか、高校生じゃないから、未だに片思いなんて言っている事を心配されているのかもしれない。
「親しい友達だよ。そう言ってもらってる。食事したり、出かけたりはするよ」
 僕の言葉に、母はがっくりと肩を落とした。
「親しいお友達って、リストにも入ってないじゃないか・・・・・・」
 そうハッキリ言われると、改めてズキンと胸が痛む。
「でも、お兄さんにも紹介してもらってるし、彼女、友達は僕が初めてだって」
 しかし、母は振り向くと僕の事を憐れむような目で見つめた。
「はぁ、期待した私がバカだった。異性の友達は初めてだってことは、他の男性は恋人か元の交際相手だけってことだろう。ぜんぜん、脈がないじゃないか」
 ここまで母の独創的な言動を耳にして、初めて僕は母の言った『期待した』という言葉に気が付いた。
「なんで急に期待なんてしたのさ?」
「そりゃ寝ぼけて、何度も愛してる、愛してるって寝言いうのを聞けば、親なんだから、きたいするでしょう」
 母の言葉に、僕は固まって動けなくなった。
 寝言で言った? まさか! ありえない、捜査の情報だって漏らしたことないのに!
「もう少しで名前も聞き取れたんだけどね、でも、脈なしじゃ仕方ないか」
 残念そうに言うと、母は再び手を動かし始めた。
「やっぱり、みんなが言うとおり、再婚しておけばよかったかね。そうしたら、お前に変なハンディ背負わせないで済んだのに・・・・・・」
「僕は、母さんがいればそれでいいよ。別に、気にしてないし。あと、彼女ね、友達が僕だけっていうのは、記憶喪失なんだ。それで、治療を兼ねて地方から出て来たんだけど、そのせいで友達がいなくて、東京に出て来てから初めてできた友達が僕ってことなんだ」
 あまりに落胆する母を慰めるため、僕は話すつもりのなかった紗綾樺さんの事を説明した。
「名前は、紗綾樺さん、ご両親は亡くなっていて、お兄さんと二人で暮らしてる」
 僕の説明に母は再び僕の方を振り向いた。
「そりゃ大変だね。ご両親も亡くされて、記憶喪失なのかい?」
「詳しいことは、まだ友達だから訊いてないんだ。でも、僕は母さんに聞かれてしまったんなら今更隠すことないけど、日々、機会がある度にアピールしてる。でも、彼女はそれを友達としての好意って受け止めちゃうんだよね。たぶん、恋とかわからないんだと思う。でも、すごく笑顔が可愛くて、母さんがあったら、一目で気に入ると思うよ」
「そうなの。じゃあ、今度、食事にでも連れてきなさい。友達なら、家に招待もありでしょう? 母親付きだから、危険もないし」
 危険って、息子を信じてないのか?
「誘ってみるよ。ありがと、母さん。で、今日はもう解放してくれる?」
「いいけど、部屋と居間でゴロゴロはダメよ、掃除の邪魔だから」
 家でゴロゴロするなとくぎを刺されると、ますます紗綾樺さんに会いに出かけたくなるが、しっかりポケットに入れて持ち歩いているスマホが鳴る気配もない。
「それって、僕は何処にいたらいいわけ?」
「縁側で日向ぼっこならいいわよ」
 およそ猫扱いだが、少なくとも居場所が出来たので、僕は自分の部屋から読みかけの本を取り縁側に向かった。
 母の実家のこの家は、祖父が建てたものらしく、あちこちガタが来てはいるが、騙しだまし住み続けている。実際、あっちを直せば、今度はこっちと、修理には事欠かないけれど、家賃がかからないから、母と二人路頭に迷うことはなかった。
 でも、それを思うと、両親も家も失った宗嗣さんは、紗綾樺さんを連れて東京に出て来て、僕の想像がつかないくらいの苦労をしたのではないかと、僕は気が付いた。知り合いもいないと聞いた気がするから、仕事を探し、紗綾樺さんを病院に連れて行き、衣食住を賄う。どれほど大変だったのか、まったく想像すらつかない。だから、宗嗣さんは贅沢をしなくて、紗綾樺さんにも身の丈に合った行動をとるようにって、厳しくしているのかもしれないと僕は思った。
 それにしても、本当に返事が来ない。紗綾樺さん、もしかしてメールの読み方忘れちゃったのかな・・・・・・。
 僕は電話をかけたくなる衝動を必死に抑え、紗綾樺さんの連絡を待ちながら陽の当たる縁側にごろりと横になった。

☆☆☆