日頃、人の考えていることがわかるからという事もあるが、思えばながいこと、自分から誰かに話しかけたことがない気がする。特にわき目もふらず、足早に歩いていく人の波に向かって声をかけ、親切な誰かの足を止めるような話かたも言葉も、私は知らない。
 でも、誰かに話しかけて新幹線の切符の買い方を教えて貰わなくては、当然軽井沢まで行くことはできないし、それこそ、軽井沢からお兄ちゃんが帰ってくる前に戻ってくることもできない。
 しかし、東京駅の改札口の周りは流れの速い渓流のような人の流れだし、目の前に迫っているのは無機質なパネルと金属でできた自動券売機だけだ。
 券売機の上にはめ込まれている巨大な路線図を見ても、軽井沢なんて名前は書いてないし、新幹線の切符が買えるというようなペナントのようなものが飾られている自動券売機に向かっても、何をどうしたら切符が買えるのかわからず、既に三回ほど列に並び機械に対面してみたが、一向に使い方がわかる気配がない。
 なんでこの機械に使われている金属やプラスチック達は話しかけてこないんだろうという変な怒りまで沸いてくる始末だ。確かに、金属は鉱石の時は話しかけてくるけれど、ここまで加工されると心を失ってしまうのかもしれない。それに、プラスチックと話しができた事もない。
 私はため息をつくと調整しながら力を広げていく。すると、そう遠くない場所で同じように新幹線の切符を買おうとしてる人の考えが流れ込んでくる。その思考の向きから少し離れたところにある『みどりの窓口』という表示を見つけた。
 近づいていくと、長い列があり、奥のカウンターで切符らしきものが手をされているのが見える。私は列の最後尾に並ぶと、頭上に並んでいる電光掲示板を見つめた。
 よく見てみると、いろいろな新幹線の時刻表が表示されていて、同じ列に○や△
それに×のしるしが書かれている。その記号が空席状況であることは分かったが、それぞれの記号の上に書かれている、『自由』『指定』『グリーン』という言葉の意味は分からない。いったい、何が違うというんだろう、同じ新幹線なのに・・・・・・。
 そんなことを考えていると、私の順番が来たらしく『次の方どうぞ』という声がカウンターの方から聞こえてきた。
 私の事を呼んだのは比較的若い男性で、私がカウンターに歩み寄ると『お待たせしました』と、機械的に話しかけてきた。
「あの、軽井沢まで行きたいんですが・・・・・」
「はい、長野新幹線ですね。日にちはいつですか?」
「今日です」
「お時間は?」
「えっと、今から乗れる一番早いのでお願いします」
「お待ちください、次の号は自由とグリーン、あとグランクラスが空いていますが、どれらにしますか?」
 来た、私の分からない問いだ!
「あの、何が違うんですか? 自由とグリーンと、えっと、そのグランなんとかって・・・・・・」
 私の問いに、あまりに驚いた顔をするので、私の声は無意識のうちに蚊の鳴くような小さな声になってしまう。
 それと同時に、相手の『この娘、俺の事からかってるのか? それとも、沖縄組かな・・・・・・』という考えが流れ込んでくる。
「あの、初めて新幹線に乗るんです。あの沖縄から出てきて・・・・・・」
 大嘘だったが、相手の思考が流れ込んでくれたおかげで、今でも『電車の乗り方を知らない人が沖縄から出てくることがある』という情報を利用させてもらった。

(・・・・・・・・なるほどね。でも、普通、羽田でもまれて、浜松町でもまれて、それぐらいできるようになってくるのに・・・・・・。まあ、そういう意味では、新幹線はハードル高いか・・・・・・・・)

 相手は勝手に考えを膨らませている。

(・・・・・・・・でも、沖縄組にしては色白だよな、なまりもないし・・・・・・・・)

「自由は、席の予約をしないものなので一番安いですが、場合によっては席に座れないで目的地まで立っていくことになる可能性もあります。指定は、座席が指定されているので、必ず座れるもので、グリーンは同じく座席が指定されているものですが、椅子が指定のものよりも座りやすく、ゆったりとしています。ただ、自由席は乗車区間の乗車券と特急券だけですが、指定には追加で指定席券、グリーンの場合は、更に乗車区間の距離に応じたグリーン乗車券が必要になります。それから、グランクラスですが、こちらは特別車両になります。専属のアテンダントもついて、食事などのサービスが提供されます。あと、次の『はくたか五五九号』では、グランクラスの席十八席のうち軽井沢までは三席しか予約が入っていませんので、一人がけの席でのんびり、ゆったり、ラグジュアリーな旅ができるといったところですね」
 つまり、安いけど席の保証なしか、高くてラグジュアリーなグリーン席か、更に高くて食事もついている超がつくほどラグジュアリーな席で、しかもガラ空きの車両が空いていると、そういう事らしい。
「じゃあ、グランなんとかにします」
 さすがに、車両が満杯になるようなところでは、着く前に疲れてしまう可能性があるし、指定席もさっき△のマークがついていたことを考えると、満席になる可能性がある。それに比べて、超豪華車両は満席でも十八人。更に言えば、今の時点で三人しか乗らないという事は、私を入れても四人、アテンダントの人を入れても五人。切符を買うために予定外に力を開いてしまった分の力の節約をするなら、出来るだけ人のいない場所が望ましい。
「えっと、お帰りは?」
「今日です。今日の遅い時間でお願いします」
 私の言葉に、相手は『何しに行くんだ?』という疑問を顕わにした。
「最終ですか?」
「あ、えっと、東京に八時半くらいにはつく電車でおねがいします」
 今が十時過ぎだから、早い電車でもきっと昼は過ぎる。そうすると、向こうを七時に出るとして、えっと、使える時間は七時間か・・・・・・。
「そうですね、帰りが東京八時半となると、向こうを七時過ぎですね、ちょっとお待ちください」
 そういうが早いか、目が回るようなスピードで男性はタッチパネルを操作し始めた。
 よく目が回らない。というか、よく迷わず指定の場所をこんなに早く叩けるものだと、私は驚いたし、感心してしまった。きっと、この人だったら、メール打つのも早いんだろうな。私みたいに、一々、文字の場所を探したりしなくて・・・・・・。
 そんなことを考えていると、男性の手が止まり、私の方に顔を向けた。
「お調べしたところ、東京着が八時の『はくたか五七二号』か八時五十二分着の『あさま六三〇号』になりますね、どちらになさいますか?」
「じゃあ、早い方で」
「こちらもほぼ満席ですね。空いているのは、自由、グリーンとグランクラスになります」
「じゃあ、行きと同じでお願いします」
 私は敢えて固有名詞を使わないで過ごした。理由は、私がそのグランなんとか言う名前を言えないことを男性が心の中で笑っているのを知っているからだ」
「では、往復グランクラスでお取りします」
「お願いします」
 私は答えると、再び猛スピードでタッチパネルを操作する男性を見つめていた。そして、男性は再び私の方を振り向くと、機械から次々と出てくる紙を手元も見ずに掴み、私の前にまとめて並べた。
「こちらが行きですね、東京十時三十二分発の『はくたか五五九号』で、グランクラスのお席。それから、こちらが帰りの切符になります。軽井沢十八時五十四分発の『はくたか五七二号』で、同じくグランクラスです。乗車券、特急券、グランクラス指定料まとめまして、片道一万二千五百九十円、往復で二万五千百八十円になります」
 この金額が高いのか、安いのかわからないが、私は慌てて財布を取り出すと支払いを済ませた。
「発車時刻まであまり余裕がありませんから、改札口で新幹線乗車口への行き方を確認してお急ぎください」
「ありがとうございます」
 私は受け取ったお釣りを財布にしまわず、そのままハンドバッグのサイドポケットに放り込むと、切符を手に改札口を目指した。
 自動改札を通らず、有人改札を通り新幹線乗り場への行き方を教えてもらう。駅の構内ずに赤いマーカーで一番間違いにくいルートを書き込んで貰い、ダッシュで新幹線乗り場を目指すが、実際には人の波に流されたり、うまく避けられなかったりで、尚生さんと一緒に構内を歩いた昨日とはスピードが格段に遅い。
 もし、時間までに辿り着かなかったら、待っててくれないんだよね?
 不安が持ち上がるが、私は必死に前へと進み、なんとか新幹線用の改札口にたどり着いた。手元のチケットを確認し、噛みつきそうな機械におっかなびっくり切符を差し込むと、ギュンと引っ張られて切符が姿を消した次の瞬間、自動改札の出口側にポンと姿を現した。
 なんとか手を噛まれずに済んだ私は、機械の間を通り切符を奪い返す。
 えっ・・・・・・。新幹線って、こんなに種類があるの? 東海道新幹線、東北新幹線、北陸新幹線・・・・・・。どれ? あ、えっと、たしか『はくたか』だったっけ。
 なんとか目的のプラットホームの番号を電光掲示板の中から探し出すと、私は小走りになってプラットホームを目指した。
 もう本当に時間がない!
 いつもならエスカレーターは立ってゆっくり乗るのだが、新幹線に乗り遅れるのが怖くてエスカレーターを駆け上がってみるが、大きな荷物を持ったカップルに阻まれ、それ以上速くは上がることができなかった。
 ホームに上がった私は、乗車口がわからず、なんとか駅員さんを捕まえて切符を見せた。すると、もう時間がないのに、駅員さんは丁寧に私に乗車位置を教えてくれた。もしかしたら、これもグランなんとかっていう、超豪華席のおかげかもしれない。
 新幹線が入線するとの案内の後、静かにクリーム色にベージュと細いブルーのラインが入った車両が今にも止まりそうで居ながら、静かに、それでいてスピード感を失わずでホームに滑り込んで来た。先頭部分は、いかにも風の抵抗を計算しているといった流線型で、鼻が長くなりすぎたピノキオを思わせる。
 すぐに乗れるものと思っていた私は、これから車内の清掃をすると聞いて電車が遅れているのだとガッカリしたが、降りてくる乗客と入れ替わりに車内に乗り込んだ清掃部隊は、ものすごいスピードで清掃を進め、私が目を疑うくらい早く車両から降りてきた。
 そして、私の軽井沢への、たぶん人生初の長距離日帰り旅行は始まった。

☆☆☆