「まだ、ここで鑑定されてたんですね」
 片づけをしていた私は、聞き覚えのある声に手を止めて振り向いた。
「占って戴いたおかげで、仕事は順調です」
 笑顔で言う男に、私は目を細めて『今日の営業は終了しました』という表情を浮かべて見せた。
「あれ、自分の事覚えていませんか?」
 寂しげに言う男に、私は背を向けながら『私に嘘をつくような人は知りません』と答えた。

 敢えて言うなら、この男は本当に理解不能だ。わざわざ私に鑑定を依頼して『昇進の話を受けるべきかアドバイスが欲しい』と言いながら、嘘の会社名と部署名を並べて占わせた。たぶん、私の能力が偽物だと思っているのだろう。
 でも、私はこの男が務めているのが警察だという事も知っているし、昇進して移動が予定されている部署が営業戦略本部ではなく、強行犯係であることも知っている。そして、今言った『仕事も順調』というのも大嘘で、まだニュースになっていない誘拐事件の捜査で行き詰っていることも見えている。
「そんな、嘘だなんて・・・・・・」
 男は傷ついたというような表情を浮かべて、頭を掻いた。
「夕飯、ご馳走してください」
 私は向き直ると、男の目を真っ直ぐに見つめて言った。
「給料日前だから、手ごろなお店でよければ」
 男は微笑みながら言った。
 まったく、この男は本当に嘘つきだ。本当は、給料日前なんじゃなく『公務員の給料は安いから』と言いたいくせに。
「お店はお任せします」
 私は言うと、隣近所の同業者に挨拶を済ませた。
「じゃあ・・・・・・」
 言いかけて口をつぐんだ男に、私は先に立って歩きながら答えた。
「大丈夫です。あなたの車に乗って、近くのファミレスに行っても問題はありません。それに、このあたりで開いているのはラーメン屋と飲み屋くらいで、夕飯にはなりません」
 私はずんずんと男の車が停めてある場所まで歩いて行くと、男の車の助手席のドアーの前で立ち止まった。
 さすがのことに、男は驚いて私の事を見つめた。
「これ、あなたの車でしょう? 私は運転できないから助手席。カギを開けてください。あなたにドアーを開けてくれることまでは期待していませんから」
 にっこりと微笑む私に、男は慌てて車のドアロックを解除した。
 男の頭の中をぐるぐると回る言葉と感情は、笑いだすのを堪えるのが大変なほど面白かった。


 ファミレスに入ると、私は禁煙の窓側の席にしてくれるように頼んだ。
 レストランのフロアーの真ん中は、意識の集中が難しくなることがあるので、出来るだけ壁か窓の近くを選ぶようにしていた。
 メニューを広げながら、私は意地悪く『ファミレスでもメニューを全部制覇すると、すごい金額になるんですよ』と笑みを浮かべながら言った。
「まさか、メニュー制覇なんて、しますか?」
 不安げな男の言葉と表情と考えが初めてすべて一致した。
「私と会ってから、初めて本当の事を言いましたね」
 私が言うと、男は動揺をかくそうとしたが、パチパチと素早く繰り返される瞬きが、男の動揺を伝えていた。
「私は、オニオングラタンスープと、クラブハウスサンドイッチにします。あなたは、コーヒーだけでしょ」
 私は男の答えを待たずに手元のボタンを押した。
 すぐに姿を現した女性にオーダーを伝えると、開いてもいないメニューを男から奪って女性に返した。
「えっと。お名前はなんでしたっけ」
 私の問いかけに、『田村です』と男は答えた。
「あの、私、嘘つかれるの嫌いなんです。だから、いい加減にしてもらえますか?」
 ここまで言っても、男はとぼけてごまかそうとしていた。
「これ以上、嘘をつくなら、あなたとお話しすることはなにもありません。宮部巡査部長」
 私の言葉に、男は驚いたようだったが、少し顔をひきつらせただけで、それ以上の動揺は見せなかった。さすがに、強行犯係の警察官だ。
「私の仕事をご存知ですよね? だから、嘘は嫌いです。あなたが営業戦略本部への移動じゃなく、強行犯係への移動に悩んでいたのは、女手一つであなたを育ててくれたお母さんを心配させたくないから。それと、さっきの仕事がうまくいっているというのも嘘で、あなたは捜査に行き詰っている」
 とうとう観念したのか、宮部は懐から警察手帳を取り出すと私に見せてくれた。
「改めまして、宮部といいます」
「天から生まれた目と書いて天生目(あまのめ)です」
「それって、えっと芸名じゃなくて、ペンネームみたいなものですよね?」
 宮部は、さんざん私に嘘をついていたことを棚上げして、警察官だと名乗ったのをいいことに、人のプライバシーにズカズカと踏み込んできた。
「残念でした。私の仕事は本当の事を伝えることで、あなたみたいに嘘をつくのが仕事ではありません」
 さすがに言葉がきつすぎたのか、宮部は少し傷ついた表情を浮かべた。
「ほんとうに、一度も嘘をついたことがないんですか?」
 一々、宮部の言う事は癇に障る。
「わかりません。私は、その時に見えたことを伝えます。でも、その人の選択によって、未来が変わらないとは言えません。もし、私に見えない何か些細な選択がバタフライ効果を起こしてその人の未来を変えてしまったら、結果的には嘘をついたと思われるかもしれません。でも、私が見た時の本当の事しか、私は伝えられません」
 澱むことなく、流れる水のように私は答えた。
「プライベートでも?」
 そんな私に、宮部はさらに食い下がってきた。
「それなら、今晩、嘘をつくことになると思います。兄が、私がだれと一緒だったかと訊いた時に、宮部巡査部長と一緒だったとは伝えたくないので」
 訊いてから、宮部も失礼なことを聞いたと思ったのだろう。素直に心の中で後悔し始めたので、私が取り繕うとしたところにコーヒーとスープが運ばれてきた。
「いただきます」
 ひと声かけてから、私はスープに口をつけた。溶けたチーズがおいしくて、思わず笑顔になってしまう。その瞬間、宮部の心に『可愛い』という言葉が浮かんだ。気に入らない相手でも、褒められれば嫌な気はしないし、それに、本当に気に入らなかったら、私はここに座ってはいないはずだと思いながら、スープを制覇した。
「あの日、昇進を受けても、自分はそつなく仕事をこなしていけると天生目さんは言ってくれたでしょう。本当に、今回までは、なんとかやってこれたんです」
 続いて運ばれてきたサンドイッチを齧りながら、私は宮部の言葉に耳を傾けた。
「それなのに、今回は、どうにもならないんです。でも、どうにかしたくて。でも、どうしていいかもわからなくて、そんなことを考えていたら、天生目さんの事を思い出して。もう一度、天生目さんに会ったら、自分に自信が持てるようになるんじゃないかって思って。すいません、こんな晩くに」
 宮部の心の中にある葛藤、困惑、そして事件の事が私の頭に流れ込んでくる。
「確かに、七歳の子供が行方不明の上、手掛かりが全くなければ、宮部さんじゃなくてもそうなりますよ」
 私の言葉に、宮部の表情が硬くなった。
「わかってます。事件の事は報道されてないし、私は犯人じゃない。でも、もしかしたら、その男の子がいなくなった場所か、最後に一緒だった人からなら、その子供の事がわかるかもしれないです」
「これは、遊びじゃないんです。それに、日本の警察は超能力者や占い師に捜査協力なんて頼みません」
 宮部の声は、感情のつかめない冷たく静かなものだった。
「わかってます。私は、ただ、可能性を言ってみただけです。頼まれてもいない問題に首を突っ込むつもりはありません」
 私は言うと、食べるペースを速めた。
 その時、恐れていた兄から電話がかかってきた。だから、携帯電話は嫌いだ。
「失礼します」
 一応、宮部に断ってから電話に出る。
『なんでファミレスなんかに居るんだ?』
 兄の言葉に、『そうか、とうとうお兄ちゃんも見えるようになったんだ』と、私は妙に納得した。
「いま、ちょっと人と会ってて」
『あれほど言っただろう、業務時間以外の接待やプレゼント、食事の招待を受けちゃいけないって。』
「そんなんじゃないってば。ちょっと、世間話してるだけ」
『すぐ迎えに行く。』
 今にも家を出そうな兄に、私は『ちょっとまって』というと、携帯を宮部に差し出した。
「すいません、兄が心配しているので、変な人じゃないことを自分で説明してもらえます?」
 ハトが豆鉄砲を食らったような表情をした後、宮部はしぶしぶ携帯を受け取った。
「もしもし、お電話代わりました」
『やっぱり、男じゃないか!』
 兄の怒りに満ちた声が漏れ聞こえる。
「ご心配をおかけしております」
 宮部は謝ると、よりにもよって自分の素性を兄に告げてしまった。これで、帰宅後に兄から事情聴取されることは間違いない。
「では、ご自宅までお送りいたしますので、ご心配なく。では失礼いたします」
 いつのまにか、宮部は兄から住所を聞き出し、自宅まで送ると約束を取り付けてしまった。私は観念すると、一気にサンドイッチを平らげた。
「送っていきます」
 私が食べ終わると、宮部は言った。
「ありがとうございます」
 私は答えると、差し出された携帯電話を受け取った。
 会計を済ませ、再び宮部の車に乗ると、宮部は兄から聞いた住所をナビに入力していった。
「シートベルトしましたか?」
「はい」
 何の会話もないまま、私と宮部を乗せた車は夜の街を制限速度で走りながら一路兄の待つアパートへと向かった。しかし、ナビが『もうすぐ目的地です』と告げた途端、宮部が車を路肩に寄せて止めた。
「教えてください。本当に、本当に最後に居た場所や、最後に一緒だった人に会ったら、何かわかりますか?」
 宮部の知りたいことは、彼が沈黙を守っている間もずっと私には届いていた。
「必ずとは言えません。でも、震災の後、なかなか見つからないご家族を探すのには沢山協力しました。それが、亡くなった方だからわかるのか、生きている方でもわかるのか、私にはよくわかりません」
 私の言葉に彼は明らかに驚いていた。それは、私がプロフィールを公開していないので、震災の後に依頼を受けて現地に入ったと勘違いしての事だった。
「私、震災に遭って、兄と東京に出てきたんです」
 私は先回りして、宮部の問いに答えた。
「これは、警察からの正式な依頼じゃありません。鑑定料は僕がお支払いします。それと、もし子供が見つかったとしても、天生目さんの名前は表に出ません。それでも依頼を受けてもらえますか?」
「お代はさっき戴いたので、お受けします。それから、何があっても、私の名前は出さないでください。私の素性も誰にも言わないでください」
 私の言葉に、宮部はとても驚いていた。彼からすると、人は誰でも注目を集めたがり、私みたいな仕事をしている人間は、少しでも名を売りたいと思っているようだ。
「私は直接言葉を交わさなくても、距離が近ければ見えます。だから、ご家族にご紹介いただく必要はありません。でも、近くに寄れるチャンスを作ってください」
「わかりました」
「それから、私の名前、珍しい名前なので、名前で呼ばないでください」
「じゃあ、なんてお呼びしたらいいですか?」
「適当に考えてください。ニックネームとか」
「下の名前は教えてもらえないんですか?」
紗綾樺(さやか)です。糸偏に少ないという字、糸偏の綾という字、それに白樺の樺と書いて三文字で紗綾樺です」
「紗綾樺さんと呼んでもいいですか?」
「適当な呼び方が決まるまでは良いですよ。決まったら、名前で呼ぶのもやめてください」
「あの、携帯電話の番号を教えてもらえますか?」
 『これじゃ、合コンだな』という彼の考えが頭に流れ込み、私は思わず笑ってしまった。
「その前に、宮部さんの下の名前教えてくださいって言いたいところですけど、さっき警察手帳にかいてあった、宮部尚生(なおき)さんであってますか?」
「はい。自分の携帯電話は、ここに書いてあります」
 宮部は言うと、自分の名刺を差し出した。
 私は、その番号を見ながら電話をかけた。宮部のポケットの中で携帯が振動しているのがわかる。
「その番号が私の番号です」
「ありがとうございます。じゃあ、明日にでも連絡します」
 そう言って再び車を走らせようとする宮部の腕を私は意識的につかんだ。瞬間、近くにいるだけでは見えなかった事件の情報が流れ込んでくる」
「あ、あの、紗綾樺さん・・・・」
 明らかに、照れて困惑している宮部の声が聞こえる。
「兄には、事件に関しての依頼をしたことは黙っていてください」
 私が改めて言うと、宮部は『わかりました』と言って頷いた。
 宮部が再び車を走らせ、アパートの前につくまで、私は宮部から取り込んだ事件の内容を何度も反芻した。
 車が止まる音が聞こえたのか、部屋から兄が飛び出してきた。
「さや!」
 近所迷惑もかまわず、兄は金属製の階段をガンガンと音を響かせながら走り降りてくる。
「お兄ちゃん、近所迷惑!」
 私は声を潜めながらも注意する。
 何年住んでも、この住宅の密集感には慣れない。
「すいません、以前、転職の相談を親身になって聞いていただいて、本当にうまくいって、そのお礼に伺ったら、まだ夕飯を召し上がっていらっしゃらないとおっしゃったので、お誘いしてしまいました」
 宮部は正確とはいいがたいが、それでも丁寧に、経緯を兄に説明した。
「刑事さんだから正直にお話ししますけど、妹には、こんな仕事はやめさせたいと思ってるんです。だから、そっとしておいてやってください」
 兄は冷たく言うと、私を宮部のそばから引き寄せた。
「ご心配をおかけしました。あ、それから、GPSで居場所を調べるのは、ご本人の承諾をとってからされた方が良いですよ。兄妹とはいえ、重大なプライバシーの侵害ですから」
 宮部の言葉に、兄は気まずそうに頭を掻いた。
「どういうこと? お兄ちゃんにも見えるようになったんじゃないの?」
「違うよ、スマホのGPSでさやの居場所がわかるんだよ」
 この世で私が心も考えもまったく読むことができない唯一の例外である兄は、何事もなかったように言った。
「では、失礼いたします」
 宮部は折り目正しく挨拶をすると、何事もなかったように帰って行った。
「大丈夫か?」
 何かを察したような兄の問いに、私は極上の笑みを浮かべて見せた。
「オニオングラタンスープご馳走になっちゃった!」
「もう遅いから、寝るぞ」
 あきれたような兄に促され、私は部屋に戻った。