何とか入場制限にも引っかからず、無事に二人分の入場券をゲットした僕は満面の笑みを浮かべて紗綾樺さんに早足で歩み寄った。
 気持ち的には、走り寄って抱きしめたかったが、友達の身ではそうはいかない。しかも、何か恐ろしい失態を犯してしまったのか、あれほど楽しそうに感情豊かだった紗綾樺さんの顔からは、感情が消えてしまっている。
 もしかしたら、宗嗣さんが心配していたのは、この事なのかもしれない。というか、この事も含んでいたのかもしれない。
 親しくなったからわかるけれど、紗綾樺さんには明らかに異なる幾つかの面がある。実際、最初に会った時だって、僕の前のお客さんの時には、まるで感情のない神秘的なというか、業務的な表情で感情のかけらもなかった。ところが、僕の占いの時には感情表現豊かで、僕の嘘を不愉快そうにバリバリと音を立てるようにはぎ取って占ってくれた。そして、再会した時も、紗綾樺さんは感情表現豊かだった。でも、宗嗣さんの前では、気だるそうな猫のような大人しさで・・・・・・。力を使っている時の紗綾樺さんは、強い意志に突き動かされているというか、まるで何かに憑かれているような、そんな雰囲気だった。
 それからいうと、今の紗綾樺さんは・・・・・・。あれ? 今の紗綾樺さん、お仕事モードで前のお客さんを占っていた時に似てないか? ってことは、もしかして、これはデートではなく、崇君の捜査? デートだって、浮かれてたのは、僕だけ? ええええええっ? だって、さっきまでの紗綾樺さんは、本当に楽しそうだったのに!
 そこまで考えると、手に持っていたチケットが酷く忌まわしいものに思えてきた。
「お待たせしました」
 僕の気配を察して振り向いた紗綾樺さんに言うと、僕は紗綾樺さんの隣に腰を下ろした。
 立ち上がろうとしていた紗綾樺さんは、意外そうに僕の顔を見つめた。
「何かあったんですか?」
 問いかける紗綾樺さんの目を僕はじっと見つめ返した。
「紗綾樺さん、どうして今日のデートの目的地をここにしたんですか?」
 警察官のくせに、鈍感でバカな男だと思われても仕方がないけれど、これだけは入園する前にはっきりさせておきたい。
 僕の問いに、紗綾樺さんの瞳が揺らいだ。
「宮部さんが、どこでも好きな場所に連れて行ってくれるって言ったんじゃないですか」
 紗綾樺さんの返事は模範解答だ。
「他にもいろいろありますよね。二人で楽しめる場所なら。紗綾樺さんが行ったことのない場所も。それこそ、大阪のテーマパークだって、長崎のテーマパークだって、どこだって紗綾樺さんが望めば、僕は連れて行ってあげたい。なのに、どうしてここだったんですか?」
 僕の中で、僕の事よりも紗綾樺さんの心を閉めて居ると思われる崇君事件にバカみたいな嫉妬心のような物すら湧いてくる。それと同時に、紗綾樺さんは僕になんて何の興味もないけれど、崇君を探したいから僕の事を好きなふりをして、友達になっているのではないかなんて、バカげた考えまで浮かんでくる。
 もうこうなると、頭の中は紗綾樺さんに丸見えだってこともどうだってよくなってくるというか、読んでくれる方が嬉しいかもしれない。やっぱり、男としては、こんな女々しい事を言葉にして問いかけるなんて情けなさ過ぎる。
「大阪や長崎にもディズニーリゾートってあったんですか」
 落胆したような紗綾樺さんの言葉に、僕は論点が完全にズレていることを思い知らされた。
「違います。大阪はユニバーサルスタジオ、長崎はハウステンボスです! ディズニーリゾートがあるのは、ここの他はアメリカです!」
 僕のアメリカという言葉に、紗綾樺さんは驚きを隠せないようだった。もう、ここまでくれば、言葉で聞く必要はない。明らかに、紗綾樺さんは捜査のためにここに来たんで、僕とデートを楽しむためじゃない。
 そう思うと、デートに浮かれていた自分自身に激しい怒りさえ湧いてくる。
「アメリカには、未成年が渡航するには両親からのパスポートの代理申請が必要です。誰かに成りすまして渡航することもパスポートを取得することもできません。つまり、崇君が来たとしたら、ここ以外のどこでもありません」
 言ってしまった瞬間、紗綾樺さんの表情がさらに曇っていった。
 やっぱり、捜査で、デートじゃなかったんだ!
 落胆と怒りと、自分のバカさ加減に反吐がでそうだった。
 よく考えて見れば当然のことだ。紗綾樺さんのように美人で、素敵な女性が、僕みたいな没個性的な取り柄のない、すぐに取り換えがきくような、どこにでもいる公務員と恋人、もとい、交際してくれるはずがなかったんだ!
「違います」
 紗綾樺さんが何か言ったようだったけれど、怒りと悲しみがごちゃまぜになって冷静さを欠いた僕の耳には届かなかった。
 そればかりか、自分で捜査協力を依頼したくせに、崇君の捜査のために利用されたなんて、おこがましいほどの被害妄想まで湧き上がってくる始末だ。
「宮部さん、違います!」
 さっきまでとは違う、刺すような、それでいて悲鳴にも聞こえる紗綾樺さんの声が僕の耳に届いた。
「ちがうって、何が違うんですか!」
 傍から見たら、幸せな人々の溢れるリゾートの玄関先で声を荒立てる男なんて、よほどのバカか、間抜けにしか見えないはずだ。プラス、美しい紗綾樺さんと、凡人の僕じゃあ、突然の別れ話を切り出されてキレているドジな男ぐらいにしか見えない。
「紗綾樺さんは、僕の事なんてどうでもよくて、崇君の事が大切なんでしょう!」
 ああ、馬鹿だ。ここで崇君の名前なんて出したら、完全に泥沼三角関係だ・・・・・・。
「それは、私じゃなく、宮部さんの方でしょう」
 ちょっと待ってくれ紗綾樺さん。これじゃあ、紗綾樺さんの二股の相手と僕が男同士でって事になるじゃないですか!
「そんな事あるわけないじゃないですか! 僕は、紗綾樺さんが一番大切に決まってるでしょう。だから、だから・・・・・・」
 だから、紗綾樺さんに負担をかけたくなくて、これ以上紗綾樺さんに捜査の協力を頼みたくないって思っているのに。
「そんなの余計な心配です」
 明らかに僕の心を読んだ紗綾樺さんが言い切った。
「余計な心配って、大好きな人の事を心配するのの何がいけないんですか?」
 何がいけないと言い切りたかったが、自分に自信がないから、ついつい疑問形になってしまった。
「宮部さんが心配するべきなのは、私の事ではなくて、崇君の事です。私なんて、どうだっていいんです」
 感情を含まない紗綾樺さんの声が冷たく僕の心に響き、僕は手の中のチケットがぐしゃりと折れるのを感じた。
「それを言うなら、僕にとっては崇君の事の方がどうだっていい。僕にとって、崇君の事は、毎日発生する沢山の事件の一つに過ぎないんです。実際、捜査は県警主導で行われているし、僕は捜査協力から外されてしまったから、もう崇君の事件そのものが僕にはもう関係ない。でも、紗綾樺さんの健康や、紗綾樺さんの事は僕にとって何よりも大切です。例え、紗綾樺さんから見たらただの友達の一人かも知れないですけど、僕にとって紗綾樺さんは一人しかいない大切な女性です。崇君となんて、比べようもありません」
 渾身の告白だった。
 たぶん、僕の人生で、ここまで情熱的に何度も告白を繰り返す相手は二度と現れないだろうと、確信すら持てる。
 それなのに、紗綾樺さんは驚いたようすもなく、どちらかと言えば沈んで見える。
 ああ、やっぱり迷惑だったか。ちょっと、頻繁に告白しすぎたかもしれない。超がつくほどウザい男だと思われたかもしれない。
「そんなこと、あるんですか?」
 紗綾樺さんの問いに、僕の頭はさらに混乱する。この問いは、どこにかかってるんだ? 心が読める紗綾樺さんだからこそ、僕は返答に詰まった。
 この問いの形からすると、超ウザい男の線は違うだろう。だとすると、告白を繰り返す相手? えーと、迷惑だったかなってのも違うはずだ。とすると、紗綾樺さんが一番大切だって部分か? それとも、もしかして、崇君の事なんてどうでもいいって言った事か? わからない、せめて、もう少しヒントが欲しい。じゃないと、今度こそ取り返しがつかない地雷を踏んでしまう気がする。
「地雷、日本にも埋まってるんですか?」
「えっ! 地雷? 日本にあるのは魚雷くらいじゃないですか?」
 訳の分からない会話をした瞬間、再び思考が取り留めもなく漏れていることを思い知る。
「地雷も、魚雷もどうでもいいんです。僕が知りたいのは、紗綾樺さんの質問がどういう意味かってことで・・・・・・」
 完全に、人の話を聞かない男になってる気がする。
「崇君の命より、私の健康の方が心配だなんて、そんなこと、あり得るんですか?」
 最悪のパターンの質問だ。ここで、『はいそうです』と答えたら、非道な男になるし、『崇君の命の方が大切だ』と答えたら、いままでの自分の発言が全部嘘になる。でも、ここで紗綾樺さんの健康の方が大事だと言わなければ、僕はきっと一生後悔する。
「僕には、紗綾樺さんの健康の方が大切です。だからと言って、崇君の命が大切ではないという意味ではありません。でも、崇君と紗綾樺さんが崖から落ちかけていたとしたら、僕は紗綾樺さんを助けます。確かに、崇君のお母さんにとっては、崇君はかけがえのないものでしょうけれど、僕と宗嗣さんにとって、紗綾樺さんは同じくかけがえのないものだからです。だから、綺麗ごとで人の命の重さに重いも軽いもないなんて言いません。僕個人にとっては、紗綾樺さんの命の方が崇君の命よりも、はるかに大切です。確かに、警察官としては、優先するのは女性と子供。どちらか一方だったら、体力のない子供を助けて、それから女性になるでしょう。でも、僕の目の前で紗綾樺さんと崇君が落ちかけていたら、紗綾樺さんを助けて、それから崇君です。もし、それで崇君を助けられなかったとしても、僕は紗綾樺さんを助けられたことを幸運だと思います。もちろん、崇君を見捨てたと非難されることになっても、その非難は甘んじて受け入れます。それで、警察をやめないといけなくなったとしても後悔はしない。崇君の家族に申し訳ないと謝ることはできても、紗綾樺さんを助けられなかったら、宗嗣さんに合わせる顔がありません」
 一気に言うと、僕は紗綾樺さんの返事を待った。
 紗綾樺さんは呆れているだろうか? それとも、困っている?
 しばらくの沈黙の後、逸らされていた視線が再び合わされた。
「宮部さんは、私の事が気持ち悪くないんですか?」
 えっ? 質問の意味が分からず、一瞬、答えに窮する。
「私みたいに、狐憑きとか、半妖とか言われて、宮部さんの考えていることがわかるような力があるのに。宮部さんは気持ち悪くないんですか?」
 ゴール手前で意気揚々とサイコロを振ったら、止まった目が『ふりだしに戻る』だったような、足元が音を立てて崩れていくような錯覚に襲われる。
「宗嗣さんの前で約束したじゃないですか。僕は、紗綾樺さんの力を信じていて、その力ごと紗綾樺さんを受け入れたいって」
「それは、捜査協力するためのお芝居で、私が兄には交際していることにしてくださいって頼んだからでしょう」
「確かに、紗綾樺さんがそう言ってくれなければ、僕が宗嗣さんに交際の許しを貰うまで、もっと何ヶ月もかかっていたと思います。でも、それは時期の問題で、僕の気持ちに変わりはありません」
「どうして、私を好きになれるんですか? 私の事、ほとんど何も知らないのに」
「一目惚れです。たぶん、最初に占ってもらった日、紗綾樺さんが受付最後の札を渡しに姿を現したときから、僕は紗綾樺さんが好きだったんです」
 我ながら、少し説得力に欠けると思いながらも、あの時、紗綾樺さんを可愛いと思ったことは嘘ではない。
「本当に私の事、怖いとか気持ち悪いとか、気味悪いとか思わないんですか?」
 きっと、紗綾樺さんは大勢の人を助けたのに、沢山の酷い言葉を浴びせかけられてきたんだろう。好きだとか、大切だとか、そんな言葉を並べられたくらいでは、信じられないくらいに。
「思いません。たまたま僕が好きになった紗綾樺さんに、特別な力が備わっているだけです。それは、特別なもので、僕にとっては忌み嫌うようなものではないです」
 断言できる。紗綾樺さんが持っている力は、紗綾樺さんに与えられた神様からの贈り物で、決して禍々しいものではない。もし、この力が禍々しいものだとしたら、紗綾樺さんも宗嗣さんも、力を隠そうとはせず、もっとお金儲けや犯罪まがいの事に利用しているはずだ。こんな風に、力を畏れたりしていないはず。
「宮部さんが、私の事を本当に好きになってくれるって言うんですか?」
 紗綾樺さん、その質問は間違いです。僕は、何度も言ってますけど、もう紗綾樺さんが好きなんです。
 僕は心の中で叫んだ。
「好きです。これから好きになるんじゃなくて、僕は紗綾樺さんが好きなんです」
 なんで、ここで中学生みたいに『好き』とか言ってるんだ。ここは、大人の男らしく、どーんと『愛してる』宣言しちゃえばいいのに。愛の押し売りで嫌われるのが怖くて、そこまでは踏み出せない自分がいる。
「もし、私が崇君を見つけられなくても、何の手掛かりも見つけられなくても、好きでいてくれますか?」
 なぜだ! 僕は頭を抱えたくなる。もういい加減、崇君の事は忘れてくれと叫びたい。
「当然です。逆に紗綾樺さんが、僕が崇君を助けられなかったら嫌いになると言ったら困りますが、紗綾樺さんが崇君を見つけられなくても、それは仕方がない事です。第一、崇君を見つけるのは警察の仕事です」
 僕はきっぱりと言い切った。
「宮部さんは、崇君を探すために私をデートに誘ったんじゃないんですか?」
「違います。僕は、紗綾樺さんと友達以上になりたいから、デートに誘ったんです。だって、友達が一緒に出掛けるのは、デートとは言わないですから」
 僕の言葉に、感情の表れない紗綾樺さんの頬が少し染まる。
「じゃあ、今日は、デートなんですね」
 紗綾樺さんは俯き加減で、きもち声も少し恥ずかしそうな声になっている。
「紗綾樺さんが、僕が相手じゃ嫌だって言うのでなければ、デートです」
 ここで、嫌だと言われたって、紗綾樺さんを諦めるつもりはないけれど、デートでなくても今日の所は一緒に遊びに来たんでもかまわない。
「そのチケット、まだ使えるんですか?」
 紗綾樺さんの言葉に、僕はほとんど握りつぶしてしまったワンデーパスに目をやる。
「使えますよ。大丈夫です」
 ここでは見せるだけだから、改札機に通すわけではない・・・・・・。あれ、入り口は改札機だったっけ?
「じゃあ、デートしたいです」
 紗綾樺さんは消え入りそうな声で言った。
「じゃあ、行きましょうか」
 僕は言うと、紗綾樺さんに手を差し出した。
 紗綾樺さんは僕の手を取ると、ゆっくりと立ち上がった。
「じゃあ、こっちです」
 僕は紗綾樺さんの先に立ち、入園ゲートを目指して歩き出した。

☆☆☆