宮部さんから聞く話は、キラキラと輝くイメージを私にもたらした。
 笑顔の素敵な私の知らない女性と一緒に訪れた時の思い出も、それはとてもキラキラと輝いていて、その時の宮部さんがどれほど幸せだったか、楽しかったかが私にも伝わってきた。それなのに、その後に訪れた悲しい別れの記憶、でも宮部さんはその記憶を嫌ってはいない。人は出会い、別れて行く。彼の職業柄なのかもしれない。その別れが、どのような形の別れになるかはわからないけれど、いつか人は別れて行く。そう、誰も死からは逃れなれないから。どんなに二人が寄り添い続けたいと思っていても、その時が来れば、無慈悲な定めによって人は引き離されてしまう。
 いつか、私とお兄ちゃんも。そして、私と宮部さんも、別れる時が来る。
 それが、いつかはわからない。
 何回か電車を乗り換え、電車の中でも宮部さんは色々な話を聞かせてくれた。時々、スマホで調べたりしながら、丁寧にディズニーランドとディズニーシーの違いを説明してくれた。
「あ、紗綾樺さん、お酒は飲めますか?」
 宮部さんの問いかけ方が、まるで未成年かどうかを確認しているようで、私は少し首を傾げながら『たぶん』と答えた。
 理由は簡単だ。お兄ちゃんは家ではお酒を飲まない。仕事の付き合いで飲んで帰ってくることも年末にはある。それくらいだから、私はお正月にお屠蘇の代わりだと言って、お兄ちゃんが買ってくる有名な白ワインをほんの少し舐める程度に飲むだけで、意識してお酒と言うものを飲んだことはない。
「あ、むりしなくていいんですよ。ただ、シーの方は、ワインを飲みながらディナーができるレストランとか、大人向けの趣向も凝らされているんです。だから、遊んだ後、ディナーを食べるのもいいかなって思っただけで、お酒は無理に飲む必要はないんです」
 一生懸命に説明してくれる宮部さんの姿は、私には輝いて見える。暖かい光に包まれて、この人は幸せな人なんだと、私を安心させてくれる。
「週末じゃないから、今から行けば、もしかしたらレストランに予約が取れるかもしれません。普通は、開園と同時に行って、レストランも予約するものなんですけどね。でも、意外とディナータイムって、バスで来るツアーグループが帰った後で、静かだったりするんですよ・・・・・・」
 行ったことのない私には、彼の中のイメージから想像するしかない場所だけど、もうすぐ、それはイメージから実物に変わる。いままで、何十回、何百回と他人の記憶の中で見てきた光景が、私の本物の記憶になる。
 隣に座って色々と話していた宮部さんは、停車した駅から乗り込んで来た年配の女性を見つけると、すぐに席を立って席を譲った。
 たぶん、これは宮部さんが警察官だからではなく、彼の本当の優しさが成せる技なんだと私は感じた。
「あ、もうすぐ見えてきますよ」
 私の正面に立った宮部さんは、窓の外を見つめて言った。
 宮部さんの言葉に、私は半分身体をひねって窓の外を見てみたが、座っている私からはまだ見えなかった。
「大丈夫ですよ。もうすぐ、着きますから」
 笑顔で言う宮部さんを見つめながら、近くから感じる嫉妬に私は車内に視線を走らせる。
『なんで、あんな素敵な人が、あんな地味で子供っぽい女と一緒なのよ!』
 視線がターゲットをとらえた瞬間、悪意のある感情がどっと流れ込んで来た。
 そうか、私って、子供っぽく見えるんだ。
 そう思うと、自分が宮部さんと一緒にいるのが酷く不釣り合いな気がしてきた。
 こういう悪意のある感情は、お兄ちゃんと一緒の時にも感じることがある。でも、一言『お兄ちゃん』というだけで大抵の場合は、負の感情の攻撃は止んでくれる。普通の女性は『なんだ、妹か』と納得してくれる。でも、相手が宮部さんだったら、私はどうしていいのかわからない。
「紗綾樺さん? 大丈夫ですか?」
 まともに負の感情を浴びたせいで、もしかしたら顔色が悪くなったのかもしれない。
 心配げに問いかける宮部さんに、私は少しだけ微笑んで見せた。
「大丈夫です。思ってたより遠いんだなって・・・・・・」
「そうですね。僕が車だったら、もっと楽に移動できたんですけど・・・・・・」
「あ、そんな、心配しないでください。行きたいって言ったのは私なんですから」
 小声で話しているつもりなのに、負の感情はねっとりと私の周りに絡みついてくる。
『なんであんなカッコいい人が!』
 宮部さんと行動を共にしていると、今までも何度か似たような負の感情を受けることはあったが、さすがに狭い車内の空間に閉じ込められていると、息苦しさを感じてくる。
「もう、次の駅ですから」
 心配げに言う宮部さんの顔を見上げると、彼は心配しながらも優しい表情で私の事を見つめていた。
 ほんとうだ。あの人が言うとおりだ。宮部さんは、とてもカッコいい男性なんだ。
 今までの私は、宮部さんの姿かたちを見ていたんじゃなく、ずっと彼の心を見ていただけなんだ。こうして改めて二つの目で宮部さんをしっかりと見つめると、他の女性たちが私に対して嫉妬したり、憎悪したりする理由がわかる。
「紗綾樺さん? 僕の顔に何かついてますか?」
 あまりにまじまじと私が見つめているので、宮部さんの顔が少し赤くなる。
「なんか、照れちゃいますよ。そんなにじっと見つめられると」
 宮部さんは言いながら、照れ隠しに頭をかいて、少し顔を俯かせた。
「宮部さんって、とってもカッコいいんですね」
 私が言うと、宮部さんはテレを通り越して、焦った表情を浮かべた。
「な、なにを・・・・・・。どうしたんですか急に・・・・・・」
 焦りすぎて言葉を継げない彼に、私は微笑み返した。
「今まで、気付きませんでした。どうして、他の女性が私の事を疎ましく思うのか」
「えっ?」
 話の展開が見えていない宮部さんは、ほぼパニック状態に陥っている。それでも、構わず私は思った通りの事を口にした。
「みなさん、宮部さんには、もっと大人で美しい女性が似合っていて、私みたいなのが一緒にいるのは、おかしいって思っているんですね」
 私が人として不完全な生き物であることは、私自身が良く知っている。記憶もないし、人の心も読めてしまう。自分が本当は誰で、どんな人間だったのかも思い出せない。
 もし、目覚めた時にお兄ちゃんに出会っていなかったら、私は今頃どうしていたんだろう・・・・・・。
「紗綾樺さん、人がどう思おうと、そんなの関係ないです。僕にとって、一番大切なのは紗綾樺さんなんですから」
 宮部さんの言葉に、隣に座っている年配の女性まで驚いている。
「それに、素敵な紗綾樺さんに似合わないのは、自分の方です」
 こんな大勢の人で込み合った車内で交わされるべき会話ではなかったのだろう。あたりから、『いいかげんにしてくれよ』とか、『二人っきりの時にやれよ』と、私たち二人の存在を疎ましく感じる人々の感情がなだれ込んでくる。
「ごめんなさい。私、余計なことを言ってしまって」
 私が謝ったところで電車がホームに入線した。
「降りますよ」
 宮部さんは何もなかったように言うと、私の手を引いて立ち上がらせ、ホームに向けて大きく開いた乗車口をくぐりホームへと降り立たせた。
「すいません。あんな電車の中で、あんなこと言っちゃって・・・・・・。恥ずかしかったですよね。本当に、すいません」
 謝るべきなのは私なのに、宮部さんは何度も私に謝ってくれた。
「でも、本当ですよ。紗綾樺さんが僕に釣り合わないんじゃなくて、僕が紗綾樺さんに釣り合ってないんです」
 宮部さんの考えは、たぶん、世間一般的な女性の見解とは違っているようだ。
「じゃあ、行きましょうか」
 少しくつろいだ表情に変わった宮部さんは言うと、電車を降りるときに手をつないだことを忘れているのか、私の手を握ったままホームを進み、階段を降りて改札口へと向かった。
 お兄ちゃん以外の誰とも、こんなに長い時間肌を触れ合わせていたことはない。偶然、手と手がぶつかったくらいでも、流れ込んでくる思考や雑念に悩まされる私は、握手を求められても、手を引っ込めるのが常だ。それなのに、お兄ちゃんと同じ心の金庫を持つ彼とだったら、こうして手を繋いでいても・・・・・・。
 そこまで考えた私は、ふと昨日の事を思い出した。
 しっかりと私を抱きしめた彼の事を・・・・・・。
 ずっと私の傍にいてくれると、友達でいてくれると約束してくれたことを・・・・・・。
 不快ではなかったので、私は彼の手を振り払わなかった。しかし、改札を通ろうとした彼は、私と手をつないだままであることに気付いて慌てふためいた。
「す、すいません。手を握ったままで。・・・・・・不快な思いをさせてしまって、本当に申し訳ないです」
 当然、私の心が読めない彼は、私の事を慮って謝りつづる。
「大丈夫ですよ。宮部さんなら。だって、昨日は私の事、抱きしめてくれたじゃないですか」
 私が言うと、宮部さんは真っ赤な顔をして『すいません』と、さらに深く頭を下げて謝った。
 どうも、私には彼の考えていることを理解できないようだ。
 全然、不快でも嫌でもなかったのに・・・・・・。
「謝らないでください。別に、なにも悪い事なんてしてないじゃないですか」
「い、いや、でも。やっぱり、恋人以外の男性に抱きしめられたり、手を繋がれたりしたら、やっぱり、不快と言うか、不愉快ですよね・・・・・・」
 宮部さんは、少し困ったような表情を浮かべて言った。
「でも、宮部さんと私は、結婚を前提にお付き合いしている事にしたんですよ」
 彼の気持ちを楽にしようと言った一言が、逆に彼を苦しめてしまったようだ。
「それは、あくまでも、宗嗣さんに僕と紗綾樺さんが会うのを許してもらうための口実ですから・・・・・・」
 酷く言いにくそうに、彼は答えた。
 そうだ。私ったら、どうかしてる。
 私みたいな、普通じゃない生き物の傍にいてくれる人なんて、お兄ちゃん以外にはいないってことを忘れてた。
 不思議なことに、彼と一緒にいると落ち着くから、お兄ちゃんと一緒の時のように安心できるから、彼がずっと私の傍にいてくれると言ったから、なんとなくお兄ちゃんを安心させるためについた嘘が、いつか現実になるような気がしていた。
 一気に押し寄せる寂しさと心細さに、私は彼が何を言っているのか聞き取ることができなかった。
 そうだ、彼が私と一緒にいるのは捜査のためだ。
 お友達になってくれると約束したからって、彼には私の他にも沢山の友達がいる。
 宮部さんが本当に望んでいるのは、私が崇君の居場所を見つけること。
「紗綾樺さん?」
 宮部さんの呼ぶ声が聞こえたが、それは私の耳がとらえた音の一部に過ぎず、油断した瞬間になだれ込んで来た数えきれないほど沢山の記憶と思考と感情の渦が私の中を吹き荒れる。
 目を閉じて集中すると、私はその中に崇君に関わるものがないかを必死に探した。
 ぐらりと体が揺れ、立っているのが辛いと感じた瞬間、誰かが私の両腕を掴んで体を支えてくれるのを感じた。
『ほんとうに、どっちでもいいの? じゃあ、僕、シーがいい!』
 見つけた。
 間違いない。これは、崇君の言葉だ。
 ゆっくりと目を開けると、心配そうに見つめる宮部さんの顔がとても近くにあった。
 そうだ、きっと相手が私でなくても、この人は具合が悪そうな人を見かけたら、優しく接するんだ。
「紗綾樺さん、大丈夫ですか?」
 力に集中してしまったせいで、体は力が抜けたようになって彼の腕に支えられている。
「すいません。ちょっと、人が多くて立ち眩みがしてしまいました」
「具合が悪いんじゃないですか? べつに、デートなんていつでもできるんですよ。具合が悪いなら、このまま帰ってもいいんですよ」
 心配そうな瞳に見つめられながら、私は頭を横に振った。
「もう大丈夫です」
 おまけに、少しだけ微笑んで見せた。
「ここからモノレールに乗るんですけど、シーとランド、どっちにしますか?」
 宮部さんの問いに、私は『シーにします』と即答した。
 こんな遠くまで連れて来てもらって、捜査の役に立たないディズニーランドに行ったら、宮部さんに迷惑をかけるだけだ。
 今の私の中には、家を出るときの浮かれた気持ちも、初めてのデートという楽しい気持ちも残っていなかった。
「じゃあ、切符を買ってくる間、ここで待っていてください」
 宮部さんはモノレールの改札口近くで待っているように言うと、一人で切符を買いに自動券売機の方へと戻っていった。
 これでいい。きっと、中に入れば、もっと沢山の手掛かりが見つかって、崇君にたどり着くことができるはずだ。手遅れになる前に。

☆☆☆