「あの、ところで、どこへ行きますか?」
 デートに誘っておきながら間抜けな質問だなぁと自分で考えながらも、僕は隣を歩く紗綾樺さんに問いかけた。
「私、ディズニーリゾートに行ったことないんです」
 紗綾樺さんの答えはすごくシンプルだった。
 えっと、これは事件とは関係ないデートなんだけど・・・・・・。
 僕はどのタイミングで紗綾樺さんの真意を探っていいか分からず、問いかけるのを躊躇する。
「両方とも行ったことないんですか?」
 当たり障りのない質問をすると、紗綾樺さんは大きくコクリと頷いた。
 あれ、でも昔の事は覚えてないんだよな・・・・・・。
「東京に出て来てから、一度も行ったことはないです。だって、あそこはデートに行く場所で、兄妹で行く場所じゃないんですよね?」
「えっ?」
 たぶん、宗嗣さんのインプットではなく、占いで知った情報からの推測なんだろうが、今更ながらに紗綾樺さんと自分がデートのフリではなく、本当にデートするのだと思うと『嫌われないようにしなくちゃ』という怯えのようなものが脳裏をかすめていく。
「確かに、修学旅行とか・・・・・・」
 思わず『家族』という言葉を口にしそうになって僕は言葉を切る。
「まあ、親しいグループの男女、デートが確かに多いですね」
 そういう自分も、大学時代の彼女とディズニーランドには行ったことがある。更に遡れば、確か中学の卒業遠足もそうだった気がする。
「大学時代の彼女さんといらしたときは、ディズニーランドだったんですね」
 紗綾樺さんの言葉に僕は絶句して思考が停止した。
「一日に両方って、行かれないんですか?」
 そんな僕に構わず、紗綾樺さんは言葉を継いだ。
「あ、えっと、あの・・・・・・」
 紗綾樺さんが心を読めると知っていたのに迂闊だった。なんで、元カノの事なんて思い出したんだ? バカか?
「そんなことないですよ。だって、お付き合いしていたんですから、しっかり記憶は残ってますよ」
 そこまで言ってから、紗綾樺さんは突然ピタリと足を止めた。
 まずい、なんか変な記憶を読まれたんだろうか? 駅に着く前に嫌われたとか? デートはご破算とか?
 恐怖の連鎖が頭を駆け巡っていく中、紗綾樺さんは先程までの少しウキウキした表情を一転して曇らせた。
「ごめんなさい。私、勝手に・・・・・・」
 その苦しそうな表情に、僕は紗綾樺さんが怒っているのではなく、僕と会話するように僕の心を読んでいたことを謝っているのだと気付いた。
「あ、別に大丈夫ですよ。紗綾樺さんがわかること、僕は知ってるんですから。でも、できたら言葉を交わしたいです」
 どんな些細な事でも彼女には隠せないという事を知っているから、紗綾樺さんの能力を信じているから、いつだって僕の頭の中や記憶は紗綾樺さんが意図しなくても見えてしまったり、聞こえてしまう事はわかっている。だから、その事で紗綾樺さんに負い目を感じてもらいたくない。
「ごめんなさい。完全なプライバシーの侵害ですよね」
 更に謝る紗綾樺さんに、僕は優しく微笑み返した。
「心配しないでください。紗綾樺さんが他の誰にも話さないでくれれば、僕の頭の中にあるのと変わらないですから」
 そう、紗綾樺さんの心の中に留められている、その他大勢の記憶と同じ、木や草や石の記憶と同じ、紗綾樺さんが漏らさない限り、それは僕の頭の中にあるのと変わらない。
「・・・・・・優しいんですね。宮部さんは・・・・・・」
 その言葉が誰と比べてなのかは知りたかったが、きっと、触れてはいけない、紗綾樺さんの過去につながるような気がして、僕は敢えて問い返さなかった。
「そうですね、ランドもシーもかなり沢山のアトラクションがあるのと、並ばないといけないので、一日で両方制覇するとしたら、開園と同時に走りこんで手分けしてファストパスをとりに行くくらいしないとだめですね。その場合、一人はシーで、一人はランドに行ってファストパスを取り終わったところで合流する。そのあとは、ファストパスに合わせて適当に回るって感じですね。それだと、あんまりデートって感じがしないでしょう。それに、どちらも制覇って程沢山のアトラクションには乗れないですし・・・・・・」
 話しながら、僕はふと自分の財布の中身に思いを馳せる。あれ、お金幾ら持っていたっけ? 移動はずっと交通系のIC決済にしていたし、お昼代くらいしか持ってなかったような・・・・・・。いま、チケット代って、いくらかかるんだろう・・・・・・。不安がどどっと波のように押し寄せてくる。
 なんで紗綾樺さんを迎えに行く前に銀行行かなかったんだ? バカだ・・・・・・。
 自己嫌悪で言葉が尻切れになる。すると、紗綾樺さんが駅を目前に足を止めた。
「銀行、行ってきますね」
 げっ!
 紗綾樺さんの言葉に、僕は壁を頭に打ち付けたい気分に襲われた。
「だ、大丈夫です。僕が銀行に行けば済むことですから。紗綾樺さんが行く必要はないですから」
 慌てて辺りを見回すと、既にそこは都市銀行のATM前だった。
「ここに、私が使っていいお金を兄が入れてくれているので、おろしてきますね」
 紗綾樺さんを止めようと思っているのに、紗綾樺さんの言葉の方が気になって、呼び止める前に紗綾樺さんに姿を消されてしまった。
 それにしても、紗綾樺さんは自分で働いているのに、使っていいお金ってどういう事だろう。宗嗣さんも働いているし、あの質素な暮らしぶりから言って、紗綾樺さんの収入を宗嗣さんが当てにしているとも思えない。
 僕は考えているのがもどかしくなり、紗綾樺さんの後を追って中に入った。
 既に暗証番号を押し終わったらしい紗綾樺さんが、機械を前に首を傾げて何か思案している。
「紗綾樺さん、どうかしたんですか?」
 残高がおかしいとかだったら、立派な犯罪被害だから、ここはデートをお預けでも対応する必要がある。
 紗綾樺さんと一緒にいて緩み切っていた表情が引き締まるのが自分でもわかる。
「えっと、お金、いくらくらい必要ですか?」
 紗綾樺さんを悩ませていたのは、今日のデート資金の額で、決して残高不一致という事ではなかったらしい。
「あの、デートですから、今日は僕が出します」
 そう、社会人というだけでなく、彼女いない歴が長い僕には、自慢じゃないがディズニーリゾートに恋人、もとい、大切な友達を連れて行くくらいの資金はある。ただ、何も考えずに訪ねてしまった無計画さに問題があっただけだ。
 公務員なんで、給与の遅配も、ボーナスの踏み倒しもない。今の部署に異動してからは些少とは言え危険手当が出ることもあるし、その代り安物とは言え、スーツの買いなおしの頻度は高くなってはいるかもしれない。靴も良くすり減るし・・・・・・。
 あー、もう何考えてるんだ!
 自分で自分の散漫な思考に気分が滅入ってくる。
「でも、私、こういう時以外、お金使わないですし」
 そういわれて何も考えずに覗き込んだ紗綾樺さんの手元に表示された『ご利用可能残高』の隣に書かれた数字に僕は言葉を失った。
 たぶん、僕の口座残高の数十倍、いやもしかしたら、百倍以上あるかもしれない。
「私、自分ではお金を使わないんです。でも、税務署がうるさくて、兄が税金とか、占いコーナーの使用料とかを差し引いて、残りをここに入れてくれるんです」
 売れっ子の占い師とは言え、紗綾樺さんの場合は奇抜な衣装を着るでもないし、占いコーナーを妖しげに飾り付けているわけでもない。備え付けの小さなテーブル越しに向かい合うだけで、水晶玉もカードも何も使わない。服装だって、たぶん宗嗣さんの趣味の洋服で、それは宗嗣さんが紗綾樺さんに買い与えているもので、紗綾樺さんが自分で買っているわけではないとすれば、確かに、お金は溜まっていくだけなんだろう。
「とにかく、今日は僕が・・・・・・」
 僕の言葉も聞かずに、紗綾樺さんは適当な金額を押してお金を引き出してしまう。
 こうなると、ある意味意地の張り合い?になるのかもしれないが、僕も続けてATMからお金を下ろしたが、正直、紗綾樺さんがどーんと引き出した額の半分くらいだ。いざとなれば、カードもあるし、人込みに現金を沢山持っていくのはスリに狙われやすく、本当はお勧めできないのだが、今更、おろしたお金を戻してくださいと言っても、紗綾樺さんが従うようには見えなかった。
「じゃあ、いきましょうか」
 僕は声をかけると、紗綾樺さんと二人、駅への道を急いだ。


「両方行くには、今日はスタートが遅いですから、どちらか紗綾樺さんの言ってみたい方にしましょう」
 僕の言葉に、紗綾樺さんはコクリと頷くと、慣れた手つきでポケットからパスケースを取り出して改札を通った。
 毎日、占いの館まで電車で通勤していたのだから当たり前の事なのに、そのスムーズな動きに僕は少し驚いてしまった。
 宗嗣さんから聞いている、刃物や火を怖がり、お茶も一人で煎れなれない。一人では何もできない女性というイメージとはかけ離れた流れるような身のこなしだった。
「最初は、あの機械に手を噛まれそうで怖かったんです。そうしたら、兄がこの魔法のカードをくれたんです」
 花柄のレザーパスケースに入っているのは、僕も使っている交通系ICカードだ。
「魔法のカードですか?」
 紗綾樺さんの表現が可愛らしくて、僕は思わず笑みを浮かべてしまう。
「だって、これなら手を噛まれないし。バッグに入れたままでも通れるんですよ。魔法みたいじゃないですか?」
 確かに、言われてみるとそうかもしれない。
 具体的な技術の詳細に関しては僕も良くわからないけれど、魔法ではなく科学のなせる業で、紗綾樺さんの能力の方が魔法と言うのにはふさわしいと思う。
 それから僕と紗綾樺さんは、電車を乗り換え、一路ディズニーリゾートを目指した。

☆☆☆