昨日の失態、突然の直帰、どちらをとっても県警から捜査協力を受けている立場の人間にあるまじき行動であり、宮部はいつもより早く出勤すると、課長が出勤してくるのを事務作業をこなしながら待った。
「おはようございます」
 宮部の脇を通り過ぎる課長に声をかけると、課長の及川は何も答えず無言で返してきた。それは、定刻前に出勤し、率先して挨拶してくる宮部の姿に、課長の怒りを恐れての遁走でなかったことを確認したといった雰囲気だった。
 及川は席につき、仕事の準備を整えたのち、お茶を汲んで自席にもどると、始業開始時間を待って宮部を呼んだ。
「宮部」
 及川の声に、宮部は背筋を正して席を立つと、『はい』と返事をしながら及川のデスクの前に進んでいった。
「昨日は、自分の都合で大変失礼いたしました」
 及川が口を開く前に、宮部は昨日の直帰を謝罪した。
「それで、大事はなかったのか?」
 『誰に』とは問わないまでも、及川なりに真面目な宮部が電話一本で直帰の許可を求めたことに何らかの重大事が発生していたと理解してくれているようだった。
「はい、大事には至りませんでした。お心づかい、ありがとうございます」
 宮部は頭を下げたまま答えた。
「頭をあげろ。お前の頭のてっぺんを見ていてもしかたがない」
 生真面目な宮部に及川は言うと、一拍おくために湯呑に口をつけた。
「昨日、何があった」
 単刀直入な及川の問いに、宮部は何処からどこまでを話すべきか、改めて逡巡した。
「あちらさんは、怒髪天・・・・って怒り方だったぞ。お前のせいで、これまでの捜査が台無しになったってな」
 もし、同じことを県警にされたら、たぶん、宮部自身も激昂するであろうことをうかつにもやってしまったことは事実だった。
「これは、捜査資料にずっと目を通し、現場でいろいろと聞き込みをしてきた結果、自分の感といいますか・・・・・・」
「お前、当てにもならない感で県警の捜査を台無しにしたのか?」
 ギロリと及川の目が光り、宮部の事を見据えた。
「この件の糸を引いているのは父親だと、さらに、これは誘拐でも失踪でもないと、県警に捜査協力しながらの聞き込みで、更に、学校の先生への聞き込みからも確信的なものが持てたので、どうしても父親に確認したいことがあったんです」
 宮部はまっすぐに及川の目を見ながら続けた。
「ほう、最初は感で、今度は確信か・・・・・・。で、何を確認したかったんだ?」
「ディズニーリゾートという言葉に父親が動揺するかどうかです」
「はあ?」
 さすがに話の展開について行かれなくなった及川が素っ頓狂な声をあげた。
「この件にディズニーランドがどう関係してくるってんだ?」
「自分は、あの日、崇君を乗せた車が向かった先はディズニーリゾートで間違いないと確信しています。たぶん、近くのホテルに宿泊して滞在していたとも思っています」
「だから、なんで、ディズニーランドなんだ?」
「課長、ディズニーリゾートです。ランドか、シーかはわかりません」
「お前、正気か?」
 及川の瞳は宮部を心配するような目に変わっていた。
「じつは、学校の先生にも確認したのですが、事件の少し前、崇君の同級生がディズニーリゾートに家族で出かけて自慢話をしていたんです。それで、崇君もとても行きたがっていたと」
「それと、この件がどう関係するんだ?」
 及川は訳が分からないといった様子で頭を横に振った。
「先生の話では、崇君はお母さんが家に居れば友達とも遊ばず、まっすぐ家に帰る。入院すれば、毎日、病院に見舞いに行く。そんな子供が自分の意志で車に乗り込み、お母さんに連絡もしてこないとしたら、それは誘拐されたか、母親が自分の居場所を知っていると安心しているからです」
「だから、それで、なんでディズニーなんだよ」
 さすがに痺れを切らしてきたのか、及川が声を荒げた。
「思い出です」
「思い出?」
 おうむ返しに及川が問い返す。
「崇君は、お母さんとの思い出作りにディズニーリゾートに行きたかったんです。でも、お母さんの体はそんな遠出には耐えられないという事も気付いていました。だから、自分が行って、その話をお母さんに聞かせてあげることによって、一緒に行ったかのような思い出を作ることができる。だから、例えば、父親の友人と言う人が連れて行ってくれて、その事もお母さんが知っていると言われたら、何の疑問も持たずついていきます。そして、お父さんが迎えに来るまで、待っていろと言われたら、きっとそうするでしょう。それから、不自然なほどに拘束されれば怪しむかもしれませんが、欲しいものを買ってもらえて、自由にさせてもらえれば、子供だったら信じます。お母さんは病院にいると言われれば、家に電話をかけることもない。だから、父親が反応するか見たかったんです。もし、反応したなら、ディズニーリゾートのエントランスの録画テープを見せてもらい、崇君がいれば、裏付けが取れると思ったんです」
 一気に宮部が説明すると、及川は困ったように頭を掻いた。
「お前、それ、お前の感だよな? 裏付けのない」
「でも、あの狼狽ぶりは間違いありません」
「わかってるよな、証拠がなきゃ令状はとれない。ビデオも見れない。つまり手詰まりだ」
 及川の言葉に、宮部は『紗綾樺さんの協力があればすぐに白黒つけることができるのに』と思ったが、言葉には出さなかった。
「しかも、お前に気付かれたと、父親を警戒させてしまった。それこそ、崇君の身を危険に晒したことになるんだぞ。わかってるのか?」
「犯人は、絶対に崇君を傷つけたりすることはありません!」
「お前はバカか! この世界に絶対はない!」
 及川の声がフロアーに響き渡った。
「お前、有給が溜まってたな。すこし休め。冷静なお前に戻るまで、頭を冷やせ」
「課長!」
「お前も刑事なら、感になんか頼らないで、地道に証拠を集めろ。いいな。話は終わりだ」
 それだけ言うと、及川は書類を取り出し、宮部の方を見ようともしなかった。
「失礼致します」
 宮部は一礼すると、仕方なく自席に戻った。

(・・・・・・・・紗綾樺さんの能力の事を話して信じてもらえるなら、一足飛びに事件は解決できる。もしかしたら、ディズニーリゾートに行くだけで、録画テープなんて見る必要もなく、崇君の事を見つける手がかりをつかんで、どこにいるかだって見つけてくれるかもしれない。でも、そんなことはできない。紗綾樺さんの身の安全のために・・・・・・・・)

 宮部はぎゅっとこぶしを握ると、一度深呼吸してから荷物をまとめた。『休暇を取れ』という事は、つまり謹慎していろという事だ。ただ、正式な懲罰ではないから有給消化と言う形で、数日自宅でおとなしくしていれば、すぐに仕事に復帰させてもらえるという事だ。
 いくつか手掛けている事件はあるが、強行犯係には優秀な先輩が揃っているから、宮部が数日抜けたくらいでどうこうなるようなこともない。
「タイミング悪いよ、部長は春の異動で本店狙ってるんだから、県警と揉め事起こすと部長だけじゃなく、課長の人事考査にもかかわってきちゃうんだよ」
 スッと椅子を寄せ、背中合わせで先輩が囁くのが聞こえた。

(・・・・・・・・結局、なんだかんだいったって、僕もいついなくなっても困らない組織の部品の一つなんだよな・・・・・・・・)

 日頃は感じたことのない組織の壁、官僚主義、そういったものをヒシヒシと感じながら、宮部は帰り支度を整え、引き継ぐ必要のある書類を手早く先輩方に手渡した。
「最近、頑張りすぎだから、恋人とデートでもして、リフレッシュして来いよ」
「めったに取れない休暇なんだから、ありがたく使えよ!」
「恋人だけやなく、お母さんにも孝行な」
 相変わらず、三人組の先輩達は軽口を叩きながら宮部を送り出してくれた。
 署を出た宮部の足は、家に向かうのではなく、気付けば紗綾樺の住むアパートに向かっていた。

(・・・・・・・・やっぱり、二日も続けて押しかけるのって、迷惑だよな・・・・・・・・)

 アパートの前まで来てしまってから、宮部は部屋の扉を見上げては駅の方へ戻るを何度も繰り返していた。

(・・・・・・・・逢いたい、紗綾樺さんに・・・・・・・・)

 そう思って数歩前に歩き出しても、すぐに迷惑がられるかもしれないというネガティブな感情に襲われ、宮部は再びアパートに背を向けて駅へ戻ろうとした。
 しかし、アパートを離れようとすると紗綾樺への想いがその足を止めた。

(・・・・・・・・ただの友達が、二日も続けて家に訪ねてきたら、やっぱり変だよな。恋人なら、別だろうけど・・・・・・・・)

 そんな事を思いながら宮部が紗綾樺の部屋の扉を見上げていると、背後に人の気配がした。

(・・・・・・・・もしかして、宗嗣さん?・・・・・・・・)

 昨日の事がトラウマになっているのか、仕事に出ていないはずの宗嗣の事を宮部は一番に思い描いた。
「すいません、ちょっとよろしいでしょうか?」
 バカ丁寧な言葉遣いに覚えがあり、宮部は体ごと後ろを振り向いた。
「どうも、失礼致します」
 現れたのは、鈍く光る自転車を脇に控えさせた制服姿の警察官だった。
「不審者の通報がありまして、みなさまにご協力戴いております」

(・・・・・・・・あり得ない。昨日の今日で、今度は不審者と間違われて職務質問されるなんて・・・・・・・・)

 宮部は一瞬、目の前が暗くなった。
「申し訳ありませんが、なにか身分を証明する書類を拝見させていただけますでしょうか?」
 ニコニコ笑みを浮かべながら話しかけてくる巡査は、この近辺の年配の奥様方のアイドル的存在で、何かあることに『不審者』『迷惑駐車』『喧嘩』などの理由であちこちに呼び出されているが、その丁寧さと持ち前の愛想の良さで、赴任以来、人気はある意味うなぎ上りだ。そして、彼が呼び出された翌日のいろばた会議は、可愛い地元のアイドルの話題で盛り上がるのだが、当然のことながら本人は知らず、本人は近隣住民の役に立っていると満足しているのだった。
 そんな彼だからというわけではないが、三十分近くもアパートの様子を窺っている不審者がいると連絡が入るや否や、フットワークも軽く飛んで来たのだった。

(・・・・・・・・身分証明証。この際、免許証でごまかすか? ダメだ、古い住所が警察寮になってるから、どっちにしろ警察官だという事は相手に知られてしまう。だとしたら、下手に免許証なんて出すより、いっそ最初から警察手帳を見せた方がいい。別に、謹慎じゃないから、外出していても問題ない。有給なんだから、ここにいて悪いことはない・・・・・・・・)

 たっぷり十秒は考えてから、宮部は仕方なく胸のポケットに手をのばした。
「身分証明証ですね、今出します」
 宮部は言うと、相手に良く見えるように警察手帳を開いて自分の写真を見せた。
「宮部巡査部長でいらっしゃいましたか。大変失礼いたしました」
 彼が謝るのも当然のことで、巡査部長である宮部の方が、巡査である彼よりも厳密に言えば少しなりとも偉いという事になる。何しろ、巡査の上には、巡査長がいて、ほぼ同格だが、巡査部長という偉いんだか、偉くないんだか良くわからない肩書がある。
「今日は非番で、友達を尋ねに来たんだけど、事前連絡なしだったから、どうしようかと悩んでいたので、不審者に間違われたんでしょう」
 女性ならイチコロな笑みを浮かべて宮部が言うと、巡査は背筋を伸ばしてピシっと敬礼した。
「大変失礼いたしました。宮部巡査部長」
「声が大きい!」
 思わず、宮部は相手の口を手で押さえてやりたくなった。
「ご近所に迷惑だから静かに」
 そう言う宮部が、怪しい行動をとって通報されたのが一番の原因だったのだが、そのことは宮部の頭の中からすっかり抜け落ちていた。
「では、自分は付近の見回りに戻らせていただきます」
 アイドル巡査は言うと、一礼して自転車にまたがり、その場を後にした。

(・・・・・・・・ここまできたら、電話するか・・・・・・・・)

 宮部は考えながらスマホを取り出すと、紗綾樺の番号を鳴らした。
『はい』
 相手が宮部と分かっているからか、紗綾樺はすぐに電話に出た。
「紗綾樺さん、宮部です」
 表示を見ればわかることなのだが、宮部は仕事柄の癖で名乗ってしまった。
「あの、いま、アパートの前に来てるんですが、お話しできますか?」
 宮部の言葉に紗綾樺は返事をせず、沈黙が続いたかと思うと、バタンという音と共に紗綾樺の部屋の扉が開いた。
「紗綾樺さん・・・・・・」
 昨日と同じ、超絶悩殺セクシー姿の紗綾樺が見え、宮部はダッシュで階段を上っていた。

(・・・・・・・・こんな紗綾樺さんの姿、誰にも見せたくない!・・・・・・・・)

 紗綾樺の所にたどり着くと、裸足のまま玄関の外まで出て来ていた紗綾樺を抱き上げ、宮部は部屋に走りこんだ。
「だめですよ、そんな恰好で外に出たら・・・・・・」
 そのあとの言葉を何と継ぐべきか一瞬悩み、『風邪ひくじゃないですか』と、宮部は無難につないだ。
「昨日の約束、本当だったんですね?」
 紗綾樺の問いに、宮部は紗綾樺が愛しくてたまらなくなった。
「当たり前じゃないですか。紗綾樺さんに嘘なんてつきませんよ」
 宮部の答えに紗綾樺は嬉しそうにほほ笑んだ。そんな紗綾樺を宮部は丁寧に下におろしながら問いかけた。
「よかったら、デートしませんか? 今日、お休みなんです」
 腕の中にいた紗綾樺に力を貰ったかのように、宮部は自分でも驚くほど素直に紗綾樺を誘う事が出来た。
「デートですか?」
 紗綾樺に問い返され、宮部は逆にドギマギしてしまった。
「あ、友達だと、デートじゃなく、出かけませんかって言うべきなのかな」
「じゃあ、着替えてきます」
 紗綾樺は言うと、踵を返しておくの部屋へと入っていった。
 当然、部屋を区切る襖を閉める気配はなく、宮部は慌てて襖を閉めた。

(・・・・・・・・無防備すぎる・・・・・・。でも、これって僕の前だけじゃなく、誰の前でもそうなのか?・・・・・・・・)

 あさましい嫉妬が鎌首を持ち上げたが、宮部はそれを一刀両断にして滅した。

(・・・・・・・・そうだ、宗嗣さんに紗綾樺さんと出かけることを連絡しておかないと。本当は、事前連絡って言われているのに、昨日から事後承諾ばかりだ・・・・・・・・)

 スマホを取り出した宮部は、多少状況を脚色し『急に有給がとれたので、紗綾樺と出かけることにしました』という旨のメールを宗嗣に送った。本当なら、どこに行って、何時に帰るかを伝えておくべきなのだが、完璧なまでの無計画なので、その都度決まり次第報告することにした。
 宮部がメールを打ち終わり、スマホをポケットにしまい終わったころ、スッと襖が開いて紗綾樺が姿を現した。
 奥の部屋から出て来た紗綾樺は、フリルが沢山ついた可愛い系の服に身を包んでいた。
「準備はよろしいですか? あ、でも、今日は車じゃないんですけど、良いですか?」
 今更ながらだが、宮部は紗綾樺に許可を求めた。
「はい。電車も乗れます」
 紗綾樺は言うと、仕事に行くときに持っているのと同じ小さなポシェットスタイルのバックを斜めにかけた。成人しているとは聞いていたが、改めてみると、その姿はまるで高校生のようだった。

(・・・・・・・・なんだろう、昼間の紗綾樺さんは若いっていうか、幼い・・・・・・・・)

 高校生のような紗綾樺をつれて出かけることを考えると、未成年者を恋人にしているような背徳的な感じがした。

(・・・・・・・・これじゃあ、高校生を学校サボらせて連れ歩いているみたいだ。まずいな、失態の挙句、強制休暇、職質、これで補導されたら、もう警察辞めるしかないっていうか、警察にはいられないって方が正しいかもしれない・・・・・・・・)

「宮部さん?」
 じっと押し黙ったままの宮部に紗綾樺が心配そうに声をかけた。
「あっ、すいません。じゃあ、行きましょうか」
 宮部は言うと、紗綾樺の先に立って部屋を出た。
 その後ろから、紗綾樺は履きなれたローファーをひっかけて部屋の外へと出た。それから、ポシェットの中から鍵を取り出すと、紗綾樺は慣れた手つきで鍵を閉めた。
「どこに行きましょうか?」
 無策な宮部は、紗綾樺に行きたい場所を尋ねてみた。しかし、紗綾樺の答えは宮部の想像していた物とは全く違った。
「ゆっくりお話ができる場所が良いです。この間みたいに」
「えっ、でも、今日はデートですよ」
 宮部は言ってみたものの、紗綾樺はそれ以上何も言わず、先に立って階段を降り始めた。
「あ、まってください、紗綾樺さん!」
 宮部は声をかけると、慌てて紗綾樺の後を追いかけた。

☆☆☆