耳になじんだ着信音ではなく、わざわざ設定したオルゴール調の着メロに、慌ててスマホを取り出すと、僕は大きく一呼吸した。
 あの日以来、何度となくメールを送っていたにもかかわらず、紗綾樺さんからの返事はなく、自分でもちょっとしつこかったかなと自己嫌悪に陥りつつあったところなので、ドキドキしながら紗綾華さんをイメージして購入してしまったこの着メロが鳴ったことに正直、嬉しさを隠すことができなかった。
 きっと、捜査の進展を聞くだけのメールだ。僕にとっては心躍る事だけれど、紗綾樺さんにとっては、仕事なんだと、何度も自分に言い聞かせた後、僕はメールを開いた。
 しかし、そこに書かれていた内容は、まったく予想だにしていなかったものだった。
 そう、スマホを持っているのだから、スマホを使えるという僕の中にあった一般的な思い込みは完全に打ち砕かれた。そう、スマホを使えるという事と、スマホを使いこなせるという事には大きなギャップがある。
 思えば一緒にいる間、紗綾樺さんがスマホをいじったことはない。我々の年頃なら当たり前のSNSでのやり取り、メールのやり取り、インターネットでの検索。どちらかと言えば、普通の我々の年代の女性ならば、ある種病的にスマホをいじりまわし、話している時も精神安定剤替わりにスマホをいじったり、装飾華美に近い大量のストラップをもてあそんでいるのが普通なのに、紗綾樺さんはお兄さんからの電話がかかって来た時だけスマホを取り出し、しかも受話も少し戸惑いがちに操作していたようにも思えた。
 僕は勝手に、警察官と一緒だから緊張している、異性と二人っきりだから緊張している、お兄さんに心配をかけたくないなどの理由が相混ざっての事と思っていたが、現実はもっと簡単だった。
 紗綾樺さんはスマホが使えない。しかも、メールに至っては、お兄さんが代わりに返事を書いてくれるという徹底した使えなさという事だったのだ。お兄さんが『メールを使えない妹に頼まれてメールを確認しました。今後は電話での連絡をお願いします。天野目宗嗣』と書いてきているという事は、紗綾華さんにはメールを使えるようになろうという気がないという事を意味しているのだろう。そうでなければ、あのお兄さんが代わりにメールを送ってくるとは思えない。
 ここまで考えると、僕は自分の立てていたメールやSNSを使って事件を離れても尚、二人の距離を少しでも縮められるようにしようという計画が水泡に帰したことを悟った。
「紗綾樺さん、ハードルが高すぎです・・・・・・」
 思わず言葉が口をついて出てしまい、僕は枕の下に頭を突っ込んだ。
 電話は良い。紗綾樺さんの声を聴くことができる。でもだ、でも、仕事の時間がわからない、仕事の時間が不規則すぎる、こういう場合、メールが使えなかったら、すれ違いどころか、完全に関係が切れてしまうじゃないか!
 いつ電話したらいいんだ?
 モーニングコール? いや、起きる時間も分からないし。仕事が終わる時間、鑑定する人数によって違うよな、どうしたら良いんだ!
 頭の上の枕を押さえつけて頭を抱えると、僕はベッドの上を左右に転げまわり、最終的には床に落ちて動きを止めた。
 最悪だ。もう、これは高嶺の百合どころの騒ぎじゃない。
 大きなため息が漏れ、僕は冷たい床から起き上がった。
 安いアパート程安普請ではないものの、ここは独身寮、上を向いても、下を向いても、両隣も、皆、不規則な生活を送っている警察官ばかりだ。夜間の騒音は睡眠妨害で、寮内でトラブルを起こす一番の原因になる。
「ダメだ、明日に備えて寝よう」
 自分に言い聞かせるように言うと、僕はぐちゃぐちゃになったベッドを整えて体を横たえた。