「ここまでたどり着いたのか。タキを連れて来てくれて、礼を言う。ありがとう」
 何度も感謝の言葉を口にし、なんと礼儀正しい狼男なのだろうか。
「わたしはイナバという」
「イナバさん。よかった。タキさんと再会できて」
「そうだな。会えなければそれまでだと思っていた」
 狼男のイナバはまた目を細めて萩を見た。あれはきっと微笑んでいるのかもしれない。
「俺の父ちゃん、かっこいいだろう。な、乃里」
「そ、そうだね」
 猫好きのように狼好きが見たらかっこいいと形容するのかもしれないけれど、乃里にはよくわからない。黒い毛が狼界隈ではかっこいいのだろうか。
「だから番になれよ!」
「またその話!?」」
 勘弁してほしい。上半身狼の嫁にはなれない。下半身狼も嫌だけれど。
「なんだ、タキ。もうそんな子を見つけたのか」
 驚くイナバは乃里を見た。本当に勘弁してほしい。乃里はめまいを覚えた。
「父ちゃんと番になってって頼んだんだ」
 更に驚いたイナバは乃里に向けた目を見開く。怖い。
「ばっばか! お前迷子になっていたあいだ、なにをやっているんだ!」
「迷子じゃないよ! はぐれただけだってば。かっこよくはぐれ狼っていってよ!」
「そんなことはどうでもいい! こ、こんな可愛らしいお嬢さんを……」
 イナバはどうやら照れているのだ。可愛いといわれてまんざらでもないけれど、しかし勝手に進められる話は中断させなければいけない。
「いやあの……すみません。わたし番になるのは遠慮します……すみません……」
「なんだよーそうなのか。俺、父ちゃんの子じゃないけれど父ちゃんと乃里のあいだに生まれた子のことちゃんと面倒見るのにな」
 無邪気な子供の思考は飛躍し過ぎだ。しかし、乃里はタキの言葉にドキリとする。
「その、イナバさんはタキの本当の父親じゃないと聞きました」
「そうだが」
 まるでそんなことがなんだ? とでも言いたそうな、イナバの反応。
「どうして自分の子じゃないのに育てるのですか? 育てようと思ったのですか? 本当の親子になんてなれないし、本物のほうが愛だって持てるのに。可愛いと思うのに」
 詰め寄るようにしてしまって、少し恥ずかしい。しかし、聞きたいという気持ちが勝つ。タキはイナバに足に抱き着いて離れず、乃里を不思議そうに見ている。
 実の父親ではない、血の繋がりはないものを純粋に信じ、愛し、抱きしめているタキ。
 本当は、あんな風に。
「きみは、自分の子でないものを育てたことがあるのか」
「あ……ありません。でも」
 イナバは乃里の言葉の続きを待っている。なにを、話しているのだろう。こんなことを、こんなところで。
「わたしの母親は死んで、別のひとがわたしを育てています。血の繋がりのないひとです」
 なんて言い方をしたのだと、自分で思った。
「なんだ。乃里、母ちゃんいないのか。俺と同じだな」
「そ、そうだね」
 無理に作った笑顔をタキに向ける。
 別に憎らしいわけじゃない。違う。そうじゃない。けれど、疎外感は拭えない。自分だけが家族じゃない。里司が生まれてから、余計に思うようになって。
 こんな気持ちが襲ってくるのも怖いと感じる。
「血のつながりがあってもなくても、一緒に生きてきた。これからも、たとえ離れてもどこかにはいて、死ななければ、変わらないのではないか」
「わかりません」
 共に生活したということだけで家族になるのだろうか。そんなこと理解できない。
 押し黙る乃里に、イナバは「きみと同じだ」と言った。
「どういう、ことですか」
「きみが、タキを拾って手当てしてくれたことと同じだ。俺がタキを息子としたこと。血の繋がりじゃなくて、命を手にした」
 イナバはタキの頭に手を置き、また優しく撫でる。
「命の縁は、常にあるんだ」
 縁。乃里は口に出して言ってみた。
「自分が、仲間だ、家族だって決めたら、それでいいだろう。なにを迷う必要がある。心の決定がすべてだろう。自分の胸中のことだろう。きみは家族が大切ではないのか?」
「……弟が、いて。タキくんくらいの。その、実の母親じゃないひとが、生んだんだけれど。わたしと半分血の繋がった、弟が」
 とても大切です。
 そう言いたかったのに言葉にならなかった。喉がつかえて、胸が痛くて。どうして痛いのか、頬を温かい水が伝うまでわからなかった。
「そうか。弟さんがいるのか。だからタキを助けてくれたんだな。ありがとう。きみは優しい子だな」
 優しいだろうか。佐和子を寄せ付けないでいる自分が、優しい子であるのだろうか。
 乃里の頬からまた雫がぽたりと落ちる。
「大事で、一緒にいたいし、俺はこいつを愛している。拾ったときは、俺がいなきゃ生きられなかった。死んだらそこまでだと思っていた」
 タキも同じようなことを言っていた。瀕死だったのだろう。
「今回はぐれて、会えなければ死んだと思おうとしていた。それまでだと。でも、会えたな」
 な、とタキの頭をぽんぽんと撫でる。愛おしそうになでくり回して、そうされたタキはとても嬉しそうで。