次の日の金曜日。
「おはよう、乃里」
着替えをしてリビングへ行くと、父がもう起きていて新聞を読みながらコーヒーを啜っている。里司は朝食のトーストを頬張っていた。
「おはよう。お父さん昨日遅かったんでしょ」
「ああ。会議が少し長引いてな」
「わたし疲れて寝ちゃった」
「お父さんもだ。帰って来てビール飲んですぐ寝ちゃったよ。乃里も初めてのバイトで疲れているだろうしな。食べて寝るのが一番だ」
新聞を畳んで「今日もバイト行くのか」と聞くので乃里は頷いた。
佐和子はキッチンに立っていたが乃里に気付くと挨拶を普段と変わらぬ雰囲気で、乃里は昨夜の出来事が重く胸にのしかかり、佐和子を真っ直ぐ見ることができなかった。
父は「豆のおにぎりうまかったぞ」と機嫌が良さそうで、特別なにも言ってこなかった。
佐和子が父に何も話さなかったのだろう。
朝九時までにしろがねに到着するよう仕度したので、乃里はそのまま玄関へ向かった。
「乃里ちゃん」
玄関に腰かけてスニーカーを履いていると、後ろから呼ばれた。佐和子だ。
「昨日は、ごめんなさいね。余計なことを言って」
「別に……気にしてない」
「乃里ちゃんを信用していないわけではないから。しっかりしているし、わたしなんかより」
「急ぐから」
佐和子の言葉を遮った乃里は、勢いよく立ち上がる。
「その、わたしの言ったこといちいち気にしなくてもいいよ。余計な心配しなくていいから」
佐和子は父と里司だけ心配していればいいのだ。乃里のことは余計なのだから。コツンと爪先を床に打ち乃里はドアノブに手をかける。
「バイト、頑張ってね」
「いってきます」
重苦しい心と裏腹に、ドアの外はとてもよく晴れていた。
しろがねに到着すると、帳場にシズがいて兄弟は厨房にいると言う。乃里は手早く割烹着を着て準備をして、厨房へ向かった。
「おはようございます!」
調理台の上に、昨日紅首村から貰って来た材料を並べ、壁にかけてあるホワイトボードに牡丹がひとつひとつ書き出している。
「おはようございます。乃里さん」
「メニュー決めですか?」
「そうだよ。大体は村から帰る途中に決めてきたし。下ごしらえはそう時間もかからないから今日と明日でやって」
明日の午後から料理を作り始め、日曜日の早朝から容器に詰める作業をするという。
「真冬じゃないので悪くなりやすいものは作らない。でも冷めて時間が経っても美味しいものを丁寧に作る」
牡丹の話に頷きながら萩は茶豆の房をひとつ手に取った。
「昨日茹でて食べてみましたが、とても味の濃い美味しい茶豆でした。ほら、乃里さん、さやの中にある豆を覆う薄皮が茶色いから茶豆っていうのですか」
「本当だ。この握り飯、美味しかったですよねぇ」
「あ。そっか、いまの採用」
牡丹がホワイトボードにペンで書き足していく。採用、と言われ乃里は意味がわからなかった。
「茶豆のご飯はメニューに入れていたけれど、弁当に詰めるんじゃなくて握り飯にしよう。そうすればご飯のスペースにもう一品入れることができる」
「ああ、そうですね。そうしましょう」
「絶対に容器にご飯が入っていないといけないってことはない。乃里ちゃんがいると考えが広がるね」
牡丹がそう言うと萩が頷く。
「わたし、そんなに役立つことを言っていると思えないのですけれど……」
「ほら、猫って行動が習慣から外れるのが苦手なんだよ。猫又になっても人間の姿になっていても、やっぱり猫だからさ。性分だもんね」
「そうですね。僕は私物の置き場所が変わるのが苦手です」
萩が眉間に皺を寄せている。
「おはよう、乃里」
着替えをしてリビングへ行くと、父がもう起きていて新聞を読みながらコーヒーを啜っている。里司は朝食のトーストを頬張っていた。
「おはよう。お父さん昨日遅かったんでしょ」
「ああ。会議が少し長引いてな」
「わたし疲れて寝ちゃった」
「お父さんもだ。帰って来てビール飲んですぐ寝ちゃったよ。乃里も初めてのバイトで疲れているだろうしな。食べて寝るのが一番だ」
新聞を畳んで「今日もバイト行くのか」と聞くので乃里は頷いた。
佐和子はキッチンに立っていたが乃里に気付くと挨拶を普段と変わらぬ雰囲気で、乃里は昨夜の出来事が重く胸にのしかかり、佐和子を真っ直ぐ見ることができなかった。
父は「豆のおにぎりうまかったぞ」と機嫌が良さそうで、特別なにも言ってこなかった。
佐和子が父に何も話さなかったのだろう。
朝九時までにしろがねに到着するよう仕度したので、乃里はそのまま玄関へ向かった。
「乃里ちゃん」
玄関に腰かけてスニーカーを履いていると、後ろから呼ばれた。佐和子だ。
「昨日は、ごめんなさいね。余計なことを言って」
「別に……気にしてない」
「乃里ちゃんを信用していないわけではないから。しっかりしているし、わたしなんかより」
「急ぐから」
佐和子の言葉を遮った乃里は、勢いよく立ち上がる。
「その、わたしの言ったこといちいち気にしなくてもいいよ。余計な心配しなくていいから」
佐和子は父と里司だけ心配していればいいのだ。乃里のことは余計なのだから。コツンと爪先を床に打ち乃里はドアノブに手をかける。
「バイト、頑張ってね」
「いってきます」
重苦しい心と裏腹に、ドアの外はとてもよく晴れていた。
しろがねに到着すると、帳場にシズがいて兄弟は厨房にいると言う。乃里は手早く割烹着を着て準備をして、厨房へ向かった。
「おはようございます!」
調理台の上に、昨日紅首村から貰って来た材料を並べ、壁にかけてあるホワイトボードに牡丹がひとつひとつ書き出している。
「おはようございます。乃里さん」
「メニュー決めですか?」
「そうだよ。大体は村から帰る途中に決めてきたし。下ごしらえはそう時間もかからないから今日と明日でやって」
明日の午後から料理を作り始め、日曜日の早朝から容器に詰める作業をするという。
「真冬じゃないので悪くなりやすいものは作らない。でも冷めて時間が経っても美味しいものを丁寧に作る」
牡丹の話に頷きながら萩は茶豆の房をひとつ手に取った。
「昨日茹でて食べてみましたが、とても味の濃い美味しい茶豆でした。ほら、乃里さん、さやの中にある豆を覆う薄皮が茶色いから茶豆っていうのですか」
「本当だ。この握り飯、美味しかったですよねぇ」
「あ。そっか、いまの採用」
牡丹がホワイトボードにペンで書き足していく。採用、と言われ乃里は意味がわからなかった。
「茶豆のご飯はメニューに入れていたけれど、弁当に詰めるんじゃなくて握り飯にしよう。そうすればご飯のスペースにもう一品入れることができる」
「ああ、そうですね。そうしましょう」
「絶対に容器にご飯が入っていないといけないってことはない。乃里ちゃんがいると考えが広がるね」
牡丹がそう言うと萩が頷く。
「わたし、そんなに役立つことを言っていると思えないのですけれど……」
「ほら、猫って行動が習慣から外れるのが苦手なんだよ。猫又になっても人間の姿になっていても、やっぱり猫だからさ。性分だもんね」
「そうですね。僕は私物の置き場所が変わるのが苦手です」
萩が眉間に皺を寄せている。