「それにしても」

 派手な店やった。

 中国風というか、けばけばしい赤色の、ゼンジー北京師匠の衣装みたいな壁をしていて、そこにオリジナルキャラの、カエルがカメをマッサージしてる絵が描かれとった。

「甲羅みたいな背中でもほぐします、ちゅうことかな」

「カエルの横に、60分1,480円てあるじゃん。むちゃくちゃ安くない?」

「こっちの物価を知らんからの。まさかイッチ、ここでわしらの全財産費う気か?」

「ちがうよ。秘密のツボを知ってる人がいないか、訊いてみるんだよ」

「なるほど」

「もしくは、マスターモミゾウと呼ばれる人がいるかどうか。もしこっちの世界にそういう人がいたら、おなじ業界人なら、きっと知ってるんじゃないかな」

「おぬし冴えとるのう。善は急げじゃ、行くで」

 ウィン、と自動ドアがあく。カウンターがあって、カメとカエルのぬいぐるみが、わんさと積んであった。そん中から、

「らっしゃいませえ、初めてですかあ」

 アニメみたいな声がしよった。よう見ると、カエルの帽子をかぶって、ガチャピンみたいな色の制服を着た年齢不詳の女がおった。

「初めての方には、会員カードをお作りしていまーす」

「いえ、ぼくたちは――」

「こちらの紙に、お名前と、ご住所と、お電話番号をお書きになって、全身コースか部分コースかをお選びくださーい」

 まったく人の話を聞かん。明るいのはええが、こんなんやから向こうでは生きられなかったんやろう。イッチがひそひそ声で、

「ようやく夢の世界らしくなってきたね。ディズニーが似合いそうな人だよ」

「そんなええもんやあらへん。頭イカれとるだけや」

 わしは、カエル女がまたなにか言おうとするのを遮って、

「わしら客ちゃうねん。ちょいと訊きたいことあってな」

 これで何度目かの、事情説明をした。するとカエルは、

「わたしでは、まるっきりわかりませんので、主任を呼んでまいりまーす」

 あ、ぴょん、あ、ぴょんと言いながら、カウンター奥のドアの向こうに消えた。

「ふざけた女や。本気でシバきたい」

「気づいた、ユエナ。あの受付の人」

「トチ狂ってることやろ。そんなんタコでも気づくわ」

「腕にリストカットの痕がたくさんあったよ。十本か十五本くらい」

「ふーん。そらまたオシャレな」

 やがてカエルが、おんなじかっこをした背のひょろ長いおっさんを連れてきた。

「主任の秋山です」

 男がそう言って、カエルの帽子を脱いでバカ丁寧に頭を下げた。頭は囚人か兵隊さんみたいな、思わず「昔か」とキツめに叩きたくなるような丸刈りやった。

「なんでも、秘密のツボをご存じとか。ぜひ奥でご教授を」

 話がテレコや。カエルふざんけんなやと、思いっきりにらみつけてやった。

「さあこちらへ。あいているマッサージルームでお話を伺いましょう」

 秋山ちゅうおっさん(仇名は古参兵と決めた)が、カエルの帽子をキリリとかぶり直して、軍人みたいにさっさか行きよった。イッチがついて行くんを、わしもあとから追いかけた。すると、

「ばあ」

 後ろから、受付のカエル女に抱きつかれた。

「気色悪う!」

 生温かいんと、変な化粧の匂いでゲー出そうになった。

「離さんかい! わし、その趣味ないねん」

「大好き」

「わしゃ嫌いじゃ」

「かわいそうに。こっちに来る子はみんな、子どものとき、お母さんに抱き締めてもらえなかったの。だから、わたしがこうして、抱き締めてあげる」

「誤解じゃ! 半分当たっとるけど、わし穴から落ちたんちゃうねん。ツボ押されて来たんや」

「それだけで、来れるはずがないわ。向こうで生きてたら壊れちゃうから、こっちに来る道が開かれたのよ。あなたが来た道も、いわゆる穴の一つ」

「とにかく離してくれ。巨大カエルに捕まった気ィして、じんましん出てきよった」

「わたしは仲間よ。苦しくなったらいつでも来て」

 ようやくカエルが手を離した。声はアニメのくせに、力はブルーノ・サンマルチノと同じくらいある。だから、仇名はサンマルチノにした。

「ユエナ」

 通路の先で、イッチが手招きした。そこへ行くまでのあいだ、通路の左右に個室のマッサージルームが二個ずつあった。

 マッサージルームのドアには大きなガラス窓があって、中が見えるようになっとった。せやなかったら、中でセクハラされそうで、わしみたいなレディは入る気せえへん。

 窓から覗くと、ベッドに寝たすだれ髪のおっさんが、カメの絵がプリントされたタオルケットをかけられて、カエルのかっこをした若そうな女に頭皮を揉まれていた。わし、どないに落ちぶれても、おっさんの頭皮だけは触られへん。

 その反対側の部屋では、ベッドに伏さったおばはんの甲羅を、男のカエルが踏んづけたり、エルボーを突き刺したりしていた。確かタイ式マッサージっちゅうやつや。これやったらわしにもできる。ひょうきんプロレスのつもりでやったらええ。

 イッチと古参兵に追いついて、二人が見ている部屋の中をひょいと覗いた。そん中に客はなく、ソバカスの浮いた童顔のオスガエルが、ベッドに横になって、マンガ本を広げて足をバタバタさせとった。

 なるほど。客がなくて手があいてりゃ、マンガを読んでていいらしい。キモいおっさんに触らなくてよければ、なかなかええ職場に思えてきた。

 古参兵がそのドアを開け、オスガエルに怒鳴った。

「おい、永作。ここ使うから、休憩室に行ってろ」

 永作と呼ばれたカエル(仇名はソバカス)が、とっさに直立して帽子を取った。なんだか軍隊チックや。イマドキにしては古いのーと思ったが、あっちとは時代がズレとるのかもしれん。なんせ落ちこぼれどもがつくっとる社会やから、より良い社会になんかなるはずもない。

 ソバカスは、奥目の八ちゃんによう似た目を、遠慮なくじーっと向けてきた。

「ねえ彼女、向こうでなにしたの?」

「コラ、失礼だぞ」

 古参兵が怒っても、ソバカスは目線を外さんで、

「どんなヘマやってこっちに来たのか教えてよ。おれっちも教えるからさ。恥をさらせば楽になるよ。ここで会ったのも、なにかの縁だしさ」

「悪いの。わし勝手に来ただけで、落ちてきたんとちゃうねん。兄さんとちごうて」

「うへえ、お高くとまるねー。でもその顔がかわいいな」

「いいかげんにしろ、永作。女を見たら声をかけずにはいられんのか」

「はい、そうです」

「変なおじさんみたいに言うな! それより、マンガ読んでる暇があったら、山岸にマッサージ教えてろ。早く使えるようにしなきゃ、どうしようもないだろ」

「だって、山岸さんは男だから興味ないし、根暗で変態だから嫌いです」

「だったらその根性を叩き直してやれ! いくら年上でも、ここじゃおまえが先輩なんだからな。それはそうと、腹減ったから、隣でハンバーガー買ってきてくれよ。四つくらい適当に、割引クーポン使って」

「四つですか。食いますね」

「この四人で、一つずつだよ」

「あ、こちらにも? じゃあそっちは一万円バーガーですか?」

「バカ。余計なことを言うな」

「すいません。じゃ、クーポンください」

「そんなものないよ」

「ない? おれっちもないですよ」

「あるフリして買ってこい」

「券出せって言われたら、どうするんです?」

「前のときは、そんなこと店員に言われなかったぞって言え。だいたい外人のレジなら大丈夫だから。それでも文句を言ってきたら、店長呼べって言えばいいんだ。もし割引で買ってこなかったら、おまえ買いとれよ」

「無理っすよ。もうこれ以上給料から引かれたら死にます」

「なら死ぬ気で買ってこい、急げ!」

「はい!」

 ソバカスは、気持ちのええ返事をすると、部屋を飛び出そうとした。

 と、わしらの横を通るときに、眉毛を八の字に寄せて、いかにも同情するような悲しげな表情をつくり、

「かわいそうだけど、こうなったら頑張るしかないね」

 と言うた。

「余計なこと言うなって言ったろっ!」

 古参兵が顔を赤くした。どうやらマジで怒っとるらしい。

「ではさっそく、ツボを教えていただきましょう」

 ソバカスが出ていくと、古参兵が言った。わしは仕方なく、イッチをベッドに坐らせて、玉城レイにされたことを思い出しながら再現した。

「ふーん。手を揉んで、まぶたや首を触って、足首いじって、最後に腹押して、さ・よ・お・な・ら、プー。で、それのどこが秘密?」

「そうしたら、身体が薄うなって、目が覚めたら夢におったんです」

「ほう」

「疑惑、ちゅう目で見てまんな」

「信じてほしかったら、この男の子を消してみてよ」

「せやから、わしらマッサージは素人やさかい、プロならやり方を知っとるかと思って、サンマル……やのうて、受付に訊いたんや」

「つまり、ぼくたちに、ただでマッサージを教えてほしいと?」

「そんなん言うてへん! わしら、誰かに向こうに帰してもらいたいだけや。それができる人を探しとる。兄さんできまっか?」

「無理だね。ぼくはマジシャンじゃない」

「なら、できそうな人知らん? こっちの世界に、マスターと呼ばれるようなマッサージの達人はおらん?」

「達人ならいる。この店のオーナーがそうだ」

「その人呼んでくれへん?」

「オーナーを呼べだって? はっ! あのお方は雲の上の人だぞ。呼び出すなんて、そんな畏れ多いことできるか」

「なら、住所か電話番号教えてな。わしが直接訊くよって」

「ダメだ! わけのわからん小娘にそんなこと教えたら、あとでオーナーに殺される」

「……オーナーはん、サイコでっか?」

「バカモン! 暴言だぞ。すぐさま取り消せ!」

 古参兵が拳を振りあげたときやった。部屋のドアがいきなり開いて、ソバカスが飛び込んできた。

「主任、はいこれ。割引はバッチリです。いやー、天国でしたよ。レジが外人で」

 古参兵は、無言でハンバーガーショップの袋を受けとった。そして、袋からハンバーガーを一つ取って、包みをむいてみるなり、

「おい、永作。ピクルス抜いてないじゃないか」

「あ、言うの忘れました」

「四つともか?」

「はい」

「じゃあ食えねえ。おまえ買いとれよ」

「そんな、嘘でしょ」

 ソバカスが、親にでも死なれたような顔をした。よっぽど金がないらしい。

「きみたちも食べろ」

 ハンバーガーを突き出された。するとイッチが首を振り、

「おにぎりを食べたばかりなんです。それもまだ、たくさん余ってまして」

「若いくせになに遠慮してる。さあ口をあけて」

 古参兵が包みをむいて、イッチの口にハンバーガーを突っ込んだ。

「うまいか?」

「ほうでふねえ……おいひいでふ」

「それ、一万円だから」

「……?」

「もし払えなかったら、ここから帰すわけにいかない」