満天の星が、こないに悲しく見えたんは初めてやった。

「どないしよ」

「すぐに雇ってくれるところなんてないよねえ。バイトもしたことがないから、なんの技術もないし」

「わしとの野宿考えとんのか。お断わりやで」

「野宿はやめよう。せめて、屋根のあるところ」

「セリイを捜すどころやのうなったな」

「……彼女、大丈夫かな」

「今ごろ襲われてるで、きっと」

 歩きながらしゃべっとっても、なんの知恵も浮かばんかった。今ごろあっちでは、みんなどうしてるやろか。イッチの親は心配しとるやろう。が、わしの親はと想像すると、怒りがふつふつと湧いてきて、胃の底がカーッと熱くなった。

「くそったれ、生きてやるわい。殺人犯が来たら返り討ちや。警察があんなんやったら、おのれでやるしかないわ。わし、腹据えたで」

 宣言して横を向くと、イッチは人の話を聞いてなかったんか、ぼーっと遠くの山のほうを見とった。

「なに見とんねん」

「……山」

「わかっとるわい。山がどないした訊いてんねん」

「あそこにさ、高い松の木が生えてるでしょ。空海が立ち寄ったっていう伝説の」

「空海の松やろ」

「実はね、あの丘の林のなかで、ほくのお父さん、首つったんだ」

「……へえ」

「ぼくが六歳のときだから、記憶は薄いんだけどね。それを聞いてから、あそこには行ったことないんだけど、こうやって眺めていると、いつかぼくも大人になったら、あそこに行って首をつるのかなあって考えちゃうんだ」

「めちゃめちゃ陰気やのお……せやからわし、お笑い観ろ言うねん」

「ねえ、あそこに行ってみない?」

「なんでやねん! 絶対嫌や!」

「向こうでは死んだけど、ひょっとして、こっちで生きてるかもしれないっていう気がしてきた。ぼく、お父さんに会ってみたい」

「おどれ一人で行け! ここは死者の国ちゃうど」

「行くだけ行かない?」

「あ、わかった。そんなこと言うて襲う気やろ。チャンス到来言うて」

「じゃあいいよ。一人で行くから」

「コラ待てい! おなご一人置いてくんかい。この薄情モン!」

「殺人犯が来たら返り討ちにするんでしょ。頑張って」

 イッチのやつ、ホンマにスタスタ行きよった。わしが待て待て言うて追いかけて、紺ブレの裾つかんだったら、イッチは急に立ち止まって、

「あ、こっちにもあった」

 イッチの視線の先を追うと、向こうの世界とそっくりのコンビニがあった。

「腹減ったな」

 思わず口から出た。しかし貴重な千五百円を、こんなところで使われへん。

「見とると腹減ってしゃーない。もっと安い店探そ」

「ちょっと待って。確かコンビニって、売れ残ったお弁当とかを、時間になったら廃棄するんだよね」

「お、そやそや。ナイスアイデアやな。店の裏のゴミ箱にそいつを棄てたら、さっと拾うてきて食うか」

「そんな猫みたいなことしなくても、もしバイトで雇ってくれたらもらえるでしょ。それに、ぼくらの事情を話してみて、スタッフの休憩室で寝かせてくれたら、宿代も浮かせられるし」

「優しい店長はんやったらええな。よっしゃ、交渉してみよ」

 通りを渡って店に入った。人口密度が低いせいか、客は誰もおらん。こんなに暇で、果たして二人も雇ってくれるかどうか、一気に不安になった。

「すんまへん」

 レジで声をかけると、奥から豚っ腹のおばはんが出てきた。

「はいはい、すいません、すいません、ごめんなさい、ごめんなさい」

 立派な体格の割りに、態度はえろう卑屈やった。

「実は客やのうて、バイト希望で」

 イッチと二人で事情を話した。するとおばはんの目にみるみる涙が浮かび、

「まあまあまあ、その若さでなんてかわいそう。これを食べなさい」

 おにぎりをごっそり抱えてきて、レジにぶちまけた。

「こんなに食べれません。でも、もしいただけるんでしたら、消費期限切れのものでけっこうです」

「ダメよ。それは子豚のエサにするんだから。さあ、遠慮しないで、全部持ってって」

「おばさん、オーナーでっか?」

「もちろんバイトよ。早く持って逃げなさい」

「そんなんしたら、クビになりまっせ」

「クビなら慣れっこだからいいの。わたしはね、人に物を売れないの。お金をいただくのがとっても悪い気がして。本当はこの人、タダならいいのになーと思ってるのかなーって思うと、胸がズキズキして、血が出るみたいに痛くなってね。あげたらきっと喜ぶだろうなーって思うと、その傷口がふさがって、とっても嬉しくなるの」

「この仕事、向いてまへんな」

「わたし、まちがってるかしら?」

「うーん、よう考えたら、ある意味ものすごく正しいかも」

「だったら急ぎなさい。持ってけドロボー」

「でもぼくたち、バイトで雇ってもらいたいんです」

「あら、それはやめたほうがいいわ」

「どうしてですか?」

「オーナーも店長もサイコキラーだから。とくに若い子に目がなくて」

「失礼します」

 おにぎりを抱えて外に出た。これは本格的に、安全な場所を探さんといかん。

「早う屋根のあるとこ行こう。千五百円で泊まれるとこ」

「マンガ喫茶とか、カラオケとか?」

「二十四時間やっとる店、こっちにもあるやろか」

「とにかく人が大勢いそうなところに移動しよう。寂しい場所は危険だ」

 向こうの世界で街中だったとこを目指して歩いた。五分もすると、ようやく道を歩く人の姿が見えてきた。

「なんや、けっこう若者もおるやん。あれみんな、人生の落伍者かな」

「見た目は別に変わらないね」

「店もあっちと変わらん。スーパーに、パチンコ屋に、ファミレスか。あ、でっかい総合病院もある」

「ぼくは、こっちの医者には絶対診てもらいたくないね。病気にならないようにしないと」

 おにぎりを頬張りながら、店や人を観察して歩いた。いっちゃん最初は、おもろそうやと思ってこっちに飛び込んだけど、すぐに後悔して帰りとうなった。しかし、夜にこうしてにぎやかな場所をうろついとると、なんちゅーか、

「わしは自由じゃ!」

 というハイテンションになってきて、少々の危険はどうでもようなった。

 そうや。昨日までは、家に帰る足は鉛の棒やった。あの母親と母親の男がいる家に帰る。今日からは、その拷問ともオサラバじゃ。オー、ブラボー。

 と、そんとき、突然恐ろしい不安が襲ってきた。

「そ、そや。大事なこと忘れとった」

「なに?」

「こっちにも、テレビあるかな?」

「あると思うけど……電気屋さん覗いてみる?」

「わし困るねん。お笑い観んと、禁断症状が出る」

「中毒なんだ。おわ中」

「バカにすなや。お笑いはわしの命綱や。なんぼヤなことがあっても、あれがあるから笑える。それが救いだったんじゃ。とくに今、夢中になっとんのはスタ誕や。トムちゃん十週勝ち抜くかなーって、それが楽しみで楽しみで」

「そんな番組あったっけ?」

「まあ、ユーチューブやけど」

「じゃあスマホがあればいいじゃん。スマホは使えるかな」

 二人してスマホを出した。画面をあちこち触ったが、どれも反応せん。

「ダメか。こっちじゃ電話もメールもできないね」

「わーショックや。せめてトムちゃんの結果だけでも知りたいわあ。やっぱ帰りたい」

「それはもうあきらめて。なんとかこっちで生きていこう」

「われなんで、そないにあきらめいいねん」

「ぼくはユエナとちがって、向こうがそんなに好きじゃないから」

「決めつけんなや。わしかていろいろあったがな。せやけど、帰れんとなったら寂しいで。もう二度と誰にも会えんで、イッチは寂しないんか」

「別に寂しくはないけど、母親はパニくるかも」

「おかんに会いたいやろ?」

「正直きつい親で……お父さんが自殺してから、ちょっとおかしくなって、毎晩悲鳴をあげたり、死にたいよう死にたいようって独り言を言ったり」

「おとん死んだの十年も前やろ。長いな」

「年々ひどくなってさ。だから家にいると、ずっと息苦しかったんだ」

「イッチまでおらんようなったら、きっと発狂すんで」

「それは困るなあ」

「どや? 帰りとうなったか」

「でも無理じゃん」

「わからんで。駐在はああ言うたけど、わしらは穴から落ちたんとちがう。秘密のツボで来たんじゃ。ちゅーことは、帰るツボもあるはずや。レイのやつ、ツボは無限で万能じゃ言うとったからな」

「だけど、ぼくたちはそのツボを知らないし、こっちにそれを知ってる人がいるかな?」

「あきらめんと探そ。それしか方法ないやろ」

「わかった。もし帰るツボがわかったら、ユエナは帰りな」

「イッチは?」

「ぼくはとにかく、サイレントを捜す。彼女に会って、彼女が本当にぼくの夢に出てきた女の子だったのか、確かめたいんだ」

「フン。もうとっくに、サイコパスの餌食になっとるわ」

「なんでそんなこと言う?」

「わしにゃどうでもええからじゃ。あのおなごが死んだかて、きっと涙も出ん」

「冷たいんだな、ユエナは」

「おう、そうや。氷の女呼ばれとんのじゃ。わしとおったら凍死すんで」

「あ。ねえ、ちょっと待って」

「近寄んなや! 凍え死ぬ言うてるやろ」

「そうじゃなくて、あれ見て。あの店」

「なんや。カラオケ屋か」

「ちがうって。看板をよく読んでよ」

 イッチの指差す先には、カラオケボックスみたいな感じの、二階建ての建物があった。

 しかし、看板を見ると、派手な電飾で囲まれた中に、

《マッサージ館》

 と書いてあった。