怒るでしかし……正味の話……どないやっちゅうねん……メガネメガネ……

 わしの横で、やっさんが、身をくねらせて熱演しとる。

 わしは固く目を閉じた。

 やっさん、あんたのことは大好きや。ずっと逢いたかった。でも師匠、あんたはとっくに死んだんやで。頼む、ゆっくりしいや……

 そっと薄目を開けた。恐る恐る横を見る。

「神の御前に身を委ねたるぅ~、一ノ瀬どのの願いを叶えたまーえ~」

 茫然とした。いくらなんでも、サービス精神がありすぎる。本物の横山やすしは、こんなに安っぽくギャグを披露したりせん。

「おまえ誰や!」

 一喝した。するとそいつは、メガネのフレームに人差し指を当てて、わしを上から下まで舐めるように見まわし、

「キー坊、えらい若返ったな」

「アホウ! わしの目は騙されんで。正体をさらせ、妖怪!」

「口悪い姉ちゃんやなー。どないやっちゅうねん。ほな目ン玉かっぽじってよう見い」

 そう言うと、そいつはヘアーをぐちゃぐちゃにし、メガネをはたき落とし、ネクタイをゆるめ、コラァなにすんねんと、顔を真っ赤にして怒った。

「なんで怒ってんねん。全部自分でやっといて。しっかし、ちっちゃいお目々やなあ」

 そいつの顔を見た。メガネをとると、いかにも特徴がない。小さい目もそうやが、鼻も口も顎も、どこにでもいそうな平凡な――

「あ」

 そこにいたのは、男物のスーツを着た、幾野セリイやった。

「やっとわかったか。ちょこっとメガネして髪型変えただけで、クラスメートの顔を忘れるやつがあるか」

「……あんた、口利けたんか」

「ドアホウ! わしはな、向こうの世界はゲー出るくらい肌に合わんかったんや。息吸うのもヤなくらいじゃ。考えてみい。息吸わんで口利けるか?」

 ジーンとした。わしがクラスで流行らせたエセ関西弁――それでまくしたてるギャルを見とると、ほんの二日ほどこっちにいただけなのに、懐かしさが込みあげて、無性に帰りとうなってきた。

「ホンマはあんた、おしゃべりなんやな。春やすこかおきゃんぴーくらいに」

「そや。おどれとしゃべんのは特に楽しかったで。でもそのうち窒息しかけてな、しゃべるのやめさせてもろうた。堪忍、スマン」

「ええねん。わしのために、いちばん大好きなやっさんにまで変装してくれたし」

「おどれのためちゃう。わしもやすしがいちばん好きや。みんなそうやろ」

「天才やし」

「愛敬あるしな」

 なぜか泣けてきた。自然とセリイに寄りかかった。セリイは背中を抱いてくれた。

「あんた、これみんな、わしのためか?」

「ま、あんたと一ノ瀬やな。ええやつなのに、苦しんでた。なんとかしたくてな」

「ええやつちゃうで。わし、あんたがいなくなっても、どうでもええと思ってた」

「わしがわざとそう思わせといたんじゃ。そろそろ消えよういうときに、気兼ねのないようにな」

「あんたの正体は?」

「夢、思うてくれ。現実を救うために存在しとる、夢やと」

「ようわからんな」

「ようわからんことなんて、世の中になんぼでもあるやろ」

「とにかく、救ってくれたんやな」

「あんたはもう大丈夫や。心配せんで、向こうに帰り」

「もうちょっと、いたい気もするな」

「情が移ったんかい。アホやな。ぐずぐずせんと、とっとと一ノ瀬連れて帰れ」

「サイレント」

 イッチが不意に、声をかけた。

「子どものときに、ぼくの夢に出てきたのって、きみ?」

 するとセリイが、ぶるっと身震いし、

「きみ言うのやめい。さぶイボ出るがな。まあそうや。懐かしかったか?」

「うん、すごく」

「子どものころの夢忘れんやつは、ええやつや。わしのこと憶えてくれとったら、わしかてほっとけんやろ」

「ありがとう。ねえ、サイレント」

「なんや」

「きみはいったい、なにをしたの?」

「簡単や。レイの心に、ツボは万能っちゅう考えを入れた」

「で?」

「ほんで、そういう法則で世界が動くようにした。あとはあんたらの推理どおりや。ちょっとした手ちがいで、想定外にたくさん人が死んでもうたけど、あんたらでうまく収めてくれたしな。おおきに」

「電話のコードを切ったのは?」

「わしや。警察来たら面倒や思うてな」

「あの、お話し中すみませんが」

 えらい低姿勢で割り込んできたのは、タマちゃんやった。

「あなたは、その、座敷わらし様で?」

「む……ま、親戚みたいなもんや」

「あのー、ぶしつけなお願いなんですが」

 気色の悪い笑顔を浮かべ、揉み手をしながら言う。

「ずっとうちの店にいてくださいませんか。誠心誠意、おもてなししますから」

「誠意は死語やがな。平成のバカップル知っとるやろ」

「羽賀様のことでしたら、それはもう……」

「もうええ。あんたの心がキレイなら、わしはいつでもそばにおる。ただし、従業員からむしるようなら、今日にも出ていくで」

「それだけはご勘弁を」

「ほんだら給料倍にして、休みも倍にせい。今すぐや!」

「は、はい!」

 とたんにスタッフたちが、ワーイと歓声をあげて飛び跳ねた。

 小早川にホームランを打たれた江川みたいにうずくまったタマちゃんの肩に、セリイがポンと手を置いた。

「あんたには、まだやることがある。死体置場に行け。今度のことで不慮の死を遂げたジジイの死体が二つある。それを生き返らせてくるんや」

「……わかりました」

「おっとその前に」

 セリイが、わしとイッチのほうを向き、ニコッとした。

「タマちゃんに、ツボ押してもらいな。も、と、の、せ、か、い、へ、ってな」

「もう帰っちゃうの?」

 サンマルチノが寄ってきて、わしの手を握った。

「む……もちょっと優しく握ってくれ。姉さんおおきに。セリイを呼び出してくれて」

「ああすれば、なにかが出てくると思ったの。でもこちらのお友だち、座敷わらしとはちがうみたいね」

「そや、セリイ。あんたなんで、大道めぐりで出てきたんや。電話線切ったときみたいに、いつでも出てこれたんやろ」

「なんもなかったら出づらいやん。あれが出囃子になってな」

「とおるちゃんが騒いどったのも、あんたの気配を感じてたんやな。やっぱし動物には、わしらの見えんもんが見えとるらしい」

「できました」

 イッチがどこか遠慮がちに、タマちゃんに言った。

「も、はもも、つまり大腿部で、と、は橈骨。の、はのど。せ、は背中。か、は踵。い、は胃。へ、はへそで、元の世界へ、となります」

「そうか」

 タマちゃんが、ゆっくり立ちあがって、イッチを正面から見すえた。

「短いあいだだったが、これもなにかの縁だ。つらいことがあったら、おれと花畑を見事に敗ったことを思い出すんだ」

「はい!」

「うちで一日修行したら、向こうの世界では、どこに勤めても一年間は通用する。一年もったら三年続く。三年できたら一生大丈夫だ。頑張ってくれ」

「はい!」

 イッチとタマちゃんが固く抱き合った。いつの間に師弟関係ができたんか、わしにはようわからんかった。

 まあええ。世の中わからんことばかりでも、きっとなんとかなる。子どものころに見た夢を忘れず、心をキレイにし、そしてたぶん、いつでも笑いを愛していれば、夢が助けにきてくれるから。

「おれっちのこと、忘れるなよ」

「ワタシも」

「たまには遊びに来いよ」

「戦争になったら逃げてきなさい」

 一人一人とハグをした。そのあと、わしとイッチはそれぞれの部屋へ行き、高校のブレザーに着替えて戻ってきた。

 イッチがセリイに向かってうなずいた。椅子に坐って目を閉じる。タマちゃんがその前に立ち、ももをマッサージし始めた。

「時間を巻き戻して、わしが消えた少しあとに帰れるようにしとく。ツボの法則はなくすから、もう自由には来れんで」

「なんかヘマして、穴に落ちんかったらな」

「そうならんようにしとき。この次は戻れんかもしれんで」

 タマちゃんの手が、イッチのへそに置かれた。イッチの身体が薄くなり、やがて見えなくなった。

「次はわしやな」

 椅子に坐って力を抜く。もも、橈骨、のど、背中、踵まで来たとき、ふと気になってセリイに訊いた。

「わしらが戻ったあと、セリイは来るんか?」

「いや。ホームルームで担任が、幾野セリイさんは都合で転校されましたって発表するさかい、驚いたフリして、えー言うてくれたらよろし」

「ほんでしまいか」

「いつでもおるで。やっさんを好きでいるかぎり」

「一生好きに決まっとるやろ!」

 タマちゃんにへそを押された。意識がすっと遠のく。

 あ、寝てまう、と思うと同時に、寝てもうた。