ルビコン

突然樹々の携帯電話が鳴る。
慌てて携帯電話を取り出す樹々の表情が強ばった。

「はい?まつか・・・・、若槻です」

知り合いだったのか、樹々の表情は緩んでいく。
この様子だと、家族や友達じゃないみたいだ。

まるで大切な相手と話すような樹々の引き締まったような声。

「言いづらいですけど、色々とありまして」

樹々は私の部屋から出ていく。
聞かないでと言っているような小さな背中は、扉の向こうに消えていった。

一人になった私は無意識にピアノに手をかけていた。
弾きたい気分じゃないけど、昔から鍵盤を触ると落ち着く。

最近ピアノ教室以外じゃピアノを弾いていないな。
最近は家に居るときは料理の練習ばっかりしていたし。

いつものメンバーといる事が多かったから、自然と家に帰るのも遅くなる。
本当にこの部屋では寝るか着替えるかしかしていない。

久しぶりに家で弾いてみようかな。
少しは気が楽になるかもしれないし。

それにまた明日も頑張らなくちゃいけないんだ。
こんな所で負けていちゃ、ゴールなんて見えてこないし・・・・・。

そんな事を考えていたら、突然大きな声が聞こえた。
樹々の絶望に満ちたような叫び声・・・・・。

「な、なんで知っているんですか!?」

扉の向こうから樹々の荒々しい声が聞こえる。
樹々は今、誰と何を話しているんだろうか?

なんだろう、凄く嫌な予感がする。
見えない黒い霧が、私の部屋に広まっている気がする。

「そ、そうですか。わかりました。教えてくれてありがとうございます」

その樹々の言葉の後は、何も聞こえなかった。
相手の声も、樹々の声も何一つ聞こえない。

物音一つ聞こえない。

不安になった私は立ち上がり、部屋の扉を開ける。
『樹々の電話も終わったのかな?』と、軽い気持ちで扉を開ける。

「樹々?」

暗い廊下の床には、通話画面が開いた樹々の携帯電話が落ちていた。
通話は終わっているみたいだけど、電話の相手は、『半田さん』と私の知らない名前が表示されている。

そしてそこには力が抜けて、しゃがみこんで泣く樹々の姿があった。
両手で顔を押さえて、小さな声で泣いている私の親友の姿があった。

って、・・・・え?