ルビコン

「お前は茜の気持ちが分からないのかよ!どれだけ茜が苦しんだのか知らないんだろ!」

そう言って、樹々は見た事のない表情で私の前で暴れていた。
樹々は重そうな自分のスクールバッグを振り回し、黒沼の顔を殴っていた。

かなり鈍い音の後、黒沼は壁に手を付きながら殴られた頬を手のひらで押さえていた。
まるで『樹々を殺してやる』と言っているような恐ろしい表情と共に。

「き、樹々!」

私の震えた声は、樹々には届かない。
壊れたアラーム時計のように何度も叫び続けて、何度も何度もスクールバッグで黒沼を殴り続けていた。

「謝れ!今すぐに茜に謝れ!ふざけんな!ふざけんなよ!」

「樹々、お願い・・・・もうやめて!」

腰の抜けてしまった私は樹々を止めることが出来ない。
『樹々を止めないと』って自分に何度と言い聞かせているけど、体が動かない。

怒り狂った親友の姿を、ただ泣き顔で見ることしか出来なかった。
こんな時に愛藍や橙磨さんが居てくれたら・・・・。

でも今は私しかいないから、私が樹々を守らないと・・・・・。

・・・・・・。

守らないといけないのに、頭が回らない。
目の前の光景を、樹々のこんな表情なんて見たくないのに・・・・。

「お、おい!若槻!」

でもそんな中、ヒーローは現れる。
真っ青な表情を浮かべた愛藍は樹々を羽交い締めにして、彼女の動きを止めた。

でも樹々は身動き出来なくても必死に愛藍に抵抗する。
とにかく樹々は暴れて、黒沼に怒りの感情や言葉をぶつけている。

一方で殴られて静かになった黒沼は冷静さを取り戻す。
赤くなった頬を手で押さえてながら、かつての教え子である愛藍の姿を見て黒沼は不気味に笑った。

「柴田愛藍か。本当に、お前らの友人はどうしようもない奴だな。お前と江島同様に」

その黒沼の言葉を聞いた愛藍は小さな舌打ちを一つ。
最悪な人と顔を会わせてしまったと言っているような表情。

黒沼は体制を立て直すと、不気味な表情で私達を追い出す。

「もう二度と来るな。早く帰れ」

「言われなくても帰るわよ!あと茜に謝れ!」

未だに暴れる樹々を押さえながら、愛藍は真っ青な表情を私を連れて職員室を後にする。

そして『二度とこんな所に来るか!』と言わんばかりに、愛藍は職員室の扉を強引に閉めた。

扉の向こう廊下には、まるでバケツの水を被ったような小緑の姿があった。
肩や髪はひどく濡れて、目の下は真っ赤に染まっている。

そして小緑は泣いていた。
同じように涙を浮かべる私の姿を見て、小緑は私の胸に飛び付いてきた。

その私達の様子を、愛藍はただ黙ってみていた。
落ち着いた樹々を離して、『帰るぞ』と一言だけ言った。

樹々は落ち着いたのか、また笑顔に戻る。
さっきの怒り狂った出来事はまるで何事もなかったかのように、私と小緑を励ましてくれた。

また私に優しい言葉を考えてくれる。

一方の私は・・・・分からない。

覚えていない・・・・・・。