ルビコン

「ちょ!栗原先生!」

私はまず最初に飛んでくる物体に驚く。
そしてそれがなんなのか考えた。

でも考えているからこそ取るタイミングを失い、物体は私の額に当たった。

しかも運悪く、ペットボトルのキャップの部分が私に直撃。
この前の橙磨さんに助けられた喧嘩に比べたらまだマシな痛みだが、かなり痛い。

「痛った!ちょ、栗原先生!」

痛みを堪える私を見て、栗原先生は笑う。

「あはは!ごめんごめん。まさか取れないとさ思わなくてさ」

確かに取れない私も悪い。

でもその投げられたペットボトルを確認すると、私の怒りは増す一方だった。

「ってかこれ、炭酸飲料じゃないですか!どうしてくれるんですか!」

間違いなくこのスタジオでは開けられない。
開けた途端、周りの楽器に掛かってしまう恐れもある。

そもそも炭酸飲料だと分かって投げてくるものなのかな?

栗原先生はまた笑う。
今度は呆れた笑み・・・・。

「買ってくれたのに、その言い方はないでしょ?まず『ありがとう』が先でしょ?」

「うぅ・・・・。確かにそうですけど」

栗原先生の表情を見る限りでは怒ってはいない。
まるで私を試すように、不気味な笑みを浮かべていた。
何だか本当に腹が立つ。

彼の名前は栗原律(クリハラ リツ)春茶先生と一緒にピアノ教室を運営する『ピアノ講師兼作曲家』だ。

男性にしては線は細く背丈は高い。
パーマを当てた髪型が特徴的で、春茶先生と同い年の二十七歳だ。

そして私をよくいじめてくる腐った性格の持ち主。

でも私は絶対に認めたくないけど、『いいお兄さん』でもある。
前にコンクールで散々な演奏をした時は、怒らずに一番最初に慰めてくれたっけ・・・・・。

そんな私をからかう栗原先生が気に入らないのか、春茶先生が助けてくれる。

「こらりっちゃん。茜ちゃんを苛めたら許さないわよ」

「ははっ。ごめんごめん。茜ちゃん見てるとなんかいじめたくなるんだよね」

本人の前で挑発するなんていい度胸だ。
春茶先生が目が見えないからって言って、栗原先生は私に舌を出して挑発してくるし。

一方で私は栗原先生から目を逸らす。
もちろん『負け』と認めたわけでじゃない。

「嫌いな人が目の前にいるので、ちょっと出掛けてきます」

未だ挑発してくる栗原先生を完全無視して、私はピアノの椅子から立ち上がる。
買って貰った炭酸飲料のペットボトルと今日の音楽祭のパンフレットをポケットに入れて、私はスタジオを後にした。

苛立つ視線を感じるが無視だ無視。
実はかなり前から少し違う空気を吸いたかったのが本音。
ちょっと息苦しかったのが今の私の気持ち。