ルビコン

その杏子さんの部屋の中を僕は覗きこんだ。
元々扉は空いていたし大丈夫だろう。

そしてそこには僕の親友の女の子がいた。
今にも泣きそうな表情を浮かべて、ベッドで眠り続けるお母さんを見つめていた。

辛そうに、お母さんの手を握っている。

そんな女の子に、僕は声を掛ける。

「樹々ちゃん、元気してる?」

まるでマズイ所を見られたと言うような樹々(キキ)ちゃんの驚いた表情。
その慌てて涙を拭き取る姿が、何だか少しだけ面白かった。

『桃花のようにいつも笑顔だった樹々ちゃんも、こんな顔するんだ』って思ったから。

何より無理しない方が、樹々ちゃんらしいと思うし。

「橙磨さん!?なんでここに?」

「まあこの病院、妹の寝床だし」

僕は樹々ちゃんから目の前で眠る杏子さんの姿を確認。
そして驚いた。

まるでこの数日で何年分老け込んだという杏子さんの寝顔。
頭には痛々しい手術の跡が残っている。

本当に僕の知っている若槻杏子さんじゃないみたい。

そんな杏子さんを見て、僕は独り言を呟く。

「杏子さんに結構世話になったんだよね。妹と友達を半殺しにして逮捕された僕のことをね」

「え?」

流石に樹々ちゃんは驚いた表情を見せる。
『半殺し』や『逮捕』なんて言葉、普通は使わないもんね。

でも今のは僕の独り言。

だから僕はそれ以上は何も話さなかった。
僕は樹々ちゃんの隣で、杏子さんの姿を見つめるだけ。

そこから少しの無言が続いた。
聞こえてくるのは、空いた扉から聞こえる慌ただしい看護師さんの声のみ。

二人で杏子さんの眠る顔を眺めるだけ。

そんな沈黙を破ったのは、樹々ちゃんの方だった。
彼女は小さく僕に問い掛ける。

「橙磨さんの妹さんは、ずっと寝たままですか?」

「そう。二年間もね。流石に目を覚まして欲しいのが本音だけど全然起きないし。いい加減に腹が立ってきたよ。僕を残してどこかに行っちゃうし。マジで寂しいし」

何が正解の言葉が分からないから、僕は今の素直な気持ちを言ってみた。
『今の樹々ちゃんをどうやったら元気にさせられるかな?』って思ったけど、僕には桃花のように人を笑わせる能力はない。

樹々ちゃんは笑うことなく小さく呟く。

「杏子お母さんもいつかは目を覚ますのかな?」

僕はふと杏子さんがここで眠る経緯を思い出す。