ルビコン

父は基本的になんでも信じてくれる。
証拠もない嘘みたいな話も、何も疑うことなく聞いてくれる。

その時ふと草太の顔が浮かんだ。
彼は今元気にしているのだろうか。

母親とうまくやっていけるのだろうか。

父は再び箸を動かした。

私もそれを見て同じように端を動かす。
残されると困ると言う魚の刺身に手を付ける。

「なあ茜。最近ピアノの調子どうだ?」

それは兄の声だった。
突然の兄の質問に、私は少し戸惑うがいつも通り答える。

「どうもなにも普通だよ。相変わらず」

「そう。じゃあピアノは好きか?」

「うん」

どうしたのだろうか。
兄はさっきから全然料理に手が進まず、ビールも全然飲んでいない。

携帯電話を眺めて、仕事のやり取りでもしているのだろうか。

だったらそのタイミングで私のピアノ状況?
そうだとしたら兄は一体何を考えているのだろうか?

そんなことを考えていたが、更なる兄の言葉に私は混乱していく。

「じゃあさ、海外でピアノ弾いてみたり、曲作ってみたいとか思わないか?ピアノで仕事っていうか」

一瞬聞き間違えたかと思った。
本心の見えない兄の質問に、私は本音で答えるべきなのか。

でも兄はすぐにこの話題を打ち切る。

「って茜は『コンクールとか興味ない』って言っていたもんな。ごめな、忘れてくれ!」

私は考えていると話は流された。
結局兄は何が言いたかったのだろうか。

「なんで?」

意地悪に私は聞いてみる。
いや、そこまで話して流さないでほしい。

でも兄は話してくれない。「はいうるさい。忘れろって言ったことは忘れろ。お兄ちゃん命令」

兄はそう言うと携帯電話を閉じて、残りのビールを豪快に全て飲み干した。
気持ち良さそうな顔を見せている。

一方でその兄の態度が気に食わない私は頬を膨らませる。
進路も曖昧だからか、どうしてもその言葉が引っ掛かる。

と言うよりなぜだか、とても流してはいけない話のような気がした。
詳しい理由は話わからない。

だけど兄は完全に私無視。
私の視線も気にせず、自分の作った料理を美味しそうに食べる。

『ハンバーグ食べるか?』なんて優しく声を掛けてくれるが、そんなの今はどうでもいい。
私の質問に答えて欲しい。

でもこのままじゃ話は完全に流れてしまいしそうだ。

だから私は何かその話題を掘り返したり、抵抗するものはないかと考える。

私のピアノの話が出来る武器。
もしくは、ピアノの話だったらなんでもいい。

なんでもいいからその話をもっと聞きたい。

その時ふと愛藍から貰ったピアニストのアルバムを思い出した。
帰ったらすぐに聞こうと思っていた偉大な人のアルバム。

私は席を立ち、父の荷物の隣に置かれた自分の鞄を漁る。
そして一枚のアルバムを取り出して食卓に置いて二人に問い掛ける。