ルビコン

「茜、この前のコンサートどうだったんだ?メールくれただろ?」

父の言葉に私の鶏の唐揚げを持つ箸が止まる。
『そういえば父にもメールしたのだった』と思い出した。

「うん特に。普通だったって言うか。よくわからないけど、一番最後に演奏した」

「ほう。何を弾いたんだ?」

その言葉に、私は箸を取り皿の上に置いた。
特に意味はないけど、何となく置いて父の質問の言葉を返していく。

「『K・K』のデビュー曲の『robbia』って曲。私の大好きな曲。自由曲だったからなんでもいいって」

「ほう、誰なんだ?その人は」

あれ、お父さん知らなかったっけ?
結構この人の話をしているはずなのに。

・・・・・まあいっか。

「イタリア出身のピアノ作家。本名も顔も性格も性別も何もかもわからない人」

「へぇ。生きているのかわからねぇ人だな。他には?他の演奏者で、いい演奏とかあったか?」

とっさに柴田アランの演奏が浮かんだ。
だけど言っちゃっても良いのだろうか。

でもお父さん相手に嘘はよくないよね。
他の参加者の演奏は聞いていなかったし、柴田アランの演奏しか聴いてないし。

何より嘘ついてもなんの意味ないし。

「柴田アラン。・・・すっごい良かったよ。『さすが』って腕前のピアニスト・・・・」

恐る恐る答える私の言葉に、案の定父の表情は変わった。
やっぱり言わないほうが良かったかも・・・・。

「なーに?そいつは確かお前をいじめていた奴じゃねぇか。あの野郎、茜に手出して来なかったよな?」

娘をいじめていた主犯の名前は親として敏感なんだろう。
怒ったような怖い表情を見せる父。

だけど私は言葉を続ける。
『愛藍はいい奴なんだ』と、慌てて言葉を組み立てる。

「あぁでも今日ね、愛藍と会ってきた。楽器屋でバッタリ会って、ご飯も奢ってくれた」

「・・・・何もされてないのか?」

「うん。家まで送ってくれたし。あと、また仲良くなった」

私は心配されると面倒だったので笑顔で答えた。
同時にまた涙が出そうだったが、それは死ぬ気で絶えた。

「そうか。だったらいいんだが」

一方の父の表情は深刻なる。
箸は止まり、まるで時間が止まったかのように私の話を聞いてくれた。