「帰ろうぜ、茜。送るよ」

愛藍は立ち上がると、ずっと握っていた私の手を放した。
そして何かを思い出したかのように、愛藍は自分のズボンのポケットから何かを取り出した。

「ああ、あとこれ。気になってたんだろ?俺のだけどやるよ」

未だに腰の抜けた私に差し出してくれたのは、一枚のCD。
そのCDには見覚えがある。

それは私が楽器屋で買おうかと思っていた『宮崎紅』のアルバムだった。
白い背景に黒いグランドピアノと黄色い蝶の絵。

間違いない。

「いいの?貰っちゃっても」

「当たり前だろ?ってかピアノ弾いているんだったら、天才ピアニストの曲くらい聞いとけよ。まあでもお前、まだプロでもないもんな」

プロか。
『プロの人はどんな生活をしているんだろう』と、一瞬興味が出た。

私みたいに自分のためだけにピアノを弾く人間は、プロになる資格はあるのだろうか。ピアノを弾いて、お金を貰えるなんて凄いことだし。

そういえば宮崎紅もそんな人だったっけ。
『自分のためにピアノを弾いて、コンクールとかコンサートには興味がない』と聞いたことがある。

どんな思考の持ち主で、どうしてピアノを始めたんだろうか。
他人に興味がない私なのに、なぜだかすごく気になる。

「ありがとう」
その言葉に愛藍はまた顔が赤くなった気がする。

愛藍に笑顔を見せたからかな?
私はベンチから立ち上がると、商店街の透明の屋根越しの空を見上げた。

不思議だった。
空はいつの間にか茜色に染まっていた。

薄暗く、不気味な無人の商店街は夕日の光が差し込む。
所々に雨漏りで溜まった水溜まりからオレンジ色の光が溢れ出し、言葉では表せないほど綺麗だった。

まるで不思議な世界に来てしまった気分。

そしてその夕焼けの空には大きな虹が掛かっていた。
まるで昔の楽しかった日々を思い出させてくれる、『過去への架け橋』のように。楽しかった頃が次々に脳裏に蘇る。

でも本当は『過去が辛い』と何度も言ってきたけど、本当の本当は『楽しかった過去の記憶』の方が多いんだよね。
葵や愛藍と一緒に楽しく過ごした日々は、私の宝物だし。

最悪の関係になっても、それだけは絶対に色あせることはなかったし。

なんでだろうね?