「確かに近くから気配はするのに、一体どこにいるんだ……」

 一通り周囲を探索してから、雫は小さく唸る。二階をくまなく探したが、やはりそこはもぬけの殻のようで、守の姿はなかった。それならば三階以上のどこかに移動したか、と独りで納得したように頷きつつ、口を開く。

「おい、日向。お前は何か――」

 見つけたか、と振り向きながら言葉を続けようとして、雫は思わず絶句した。先ほどまでぶすっとした顔つきをしつつも黙ってついてきていたはずの日向が、いない。そこに広がるのは、ただ静かで薄暗い廃墟となったテナントの部屋。

「日向!」

 もう一度、今度は大きめの声で呼び掛けるが、返事はなかった。

 胸の奥が妙にざわつく感覚がして、雫は大きく息を吸ってからグローブを構える。日向は確かに自由奔放で、ジバクを見つけたらすぐに突っ込んでいき、こちらの言うことをろくに聞かないこともあるが、決して無断で単独行動をするような真似はしなかった。――例え、ひどい喧嘩をしている最中だったとしても。
 警戒しながら階段に戻り、上の階を睨んだ。彼に何かがあったのかもしれない、と焦る気持ちを抑えつつ、ゆっくりと慎重に三階へと進んでいく。

「……?」

 階段を上りきったところで、階段の踊り場からフロアへと繋がる扉が開きっぱなしになっているのを発見した雫は、いつでも動けるような体勢で中へと入った。漫画喫茶だったためか、二階とほぼ同じ間取り、同じ内装をしたその空間。

 その中央には――見慣れた後ろ姿があった。

「……日向、お前こんなところで何してる」

 寝癖がついたままの明るい茶髪、いつものパーカー、手に持っているのはお札だらけの金属バット。探していた人物を見つけた雫は、ほっと安堵の息を吐いて緊張を解いた。そしてそのまま周囲に視線を巡らせるが、ここにも守はいないようだ。それなら四階か? と考えつつ、日向へと近寄る。

「仕事中に無断で離れたら危ないだろ」

 思わずそうたしなめるが、それ以上しつこくは言わなかった。また何か文句を言われて喧嘩になっても面倒だし、と脳内で誰に対してか分からない言い訳をしてから、彼の肩に手を置こうとした雫は、おもむろに動きを止める。

 ――やけに静かだ。

 そう思った瞬間、耳元で風を切る音がした。

「っ⁉」

 ほぼ第六感だけを頼りに上体を引き、その場を飛び退く。そのまま呆然と前を見れば、ゆらりとバットを下ろした日向が、何の感情も読み取れないような双眸でこちらを見据えていた。
 何が起きたかなど、火を見るより明らかだった。

 たった今、自分は――唯一無二の相棒に奇襲された。

「日向、一体何の真似っ」

 流石の雫も動揺を隠せない声音で叫びかけるが、日向はすぐにゆらりと動く。また金属バットを振り上げたのを見て、横に大きく逃げた直後、鈍い音が響いて床が凹んだ。手加減などされていない、明確な殺意を伴ったそれ。
 自分を見つめる彼の瞳は、何も映していなかった。

「……、まさか」

 頭の中に浮かんだ一つの可能性に、雫は息を呑む。思い出されるのは、いつも自分たちに忠告していた、桂の言葉だ。
 ――ジバクと言葉を交わしてはならない。あの世とこの世の境界が曖昧になる丑三つ時、彼らと必要以上に接触すれば、引き込まれてしまうかもしれないから。

 雫はその言いつけを守りつつも、心のどこかで、そんなことはないだろうと慢心していた。所詮は幽霊、映画やドラマじゃあるまいし、生きた人間をどうこうする力などないはずだ、と。だが、今の日向は明らかにジバクに取り憑かれている。自分を駆逐しようとした者を逆に排除しようと、日向の中に入り込んだそれが、またバットを力強く一閃した。

「っ、ぐ」

 紙一重で避けるが、このままでは防戦一方になることは目に見えている。ジバクに操られているとはいえ、体は日向のままなのだ。迂闊に殴りかかるわけにもいかないが、手加減して無力化できるほど相手も甘くない。

 どうしたらいい、と思考を巡らせながら攻撃を躱して後退していく。とん、と背中に埃まみれの本棚が当たり、体を屈ませて真横に転がった。次の瞬間、凄まじい音と共に本棚が破壊され、その残骸が足下へと転がってくる。それを呆然と見つめながら、雫は立ち上がった。真顔のままの日向は、ロボットのようにやけにゆっくりとこちらを振り返り、またしても狙いを定めるようにしてバットの先端を突きつけてくる。