ネオン輝く東京の夜。
 時刻は深夜一時半を過ぎた頃であるが、キャッチの若い男や、騒がしく道の真ん中を歩く大学生らしき集団など、この街はまだまだ眠るところを知らないらしい。

 ――そんな中、裏通りの人気のないビルの合間の前で、二人の男が睨み合っていた。

 どちらも二十代半ばから後半ほどの年齢であり、それぞれパーカーとジャケットというラフな出で立ち。友人同士と形容するにはあまりに険悪な雰囲気の彼らは、人々の雑踏の中で言い争いをしている。

「おい、今日はちゃんと見張ってろよ。また逃がして大都会の中で鬼ごっこするとかマジ勘弁だから」
「そう言うお前こそ、今回は一発でしっかり仕留めろ。長引かせるな」
「何だとコラ。やるか?」

 そう言って凄んだのは、明るい茶髪と吊り気味の瞳が印象的な青年だ。対するもう一人は、落ち着いた雰囲気の黒髪の男である。彼は腕を組み、鬱陶しそうな表情で青年を見やった。

日向(ひゅうが)、お前のその減らず口はいつまでも治らないのか?」

 その言葉に、不機嫌そうに口をへの字にした青年――日向は、ネオンの光を透かしてさらに明るく見える髪を揺らし、わざとらしく舌打ちを漏らす。彼の手にはどういう訳か金属バットが握られており、カラカラと甲高い音を立ててコンクリートに引きずっていた。

「お前こそたまには素直に『分かりました』って言えないワケ?」

 なあ(しずく)さんよォ、と日向は挑発するような口調で黒髪の男に問う。雫、と呼ばれた男は眉をひそめ、何も言わないままに視線を逸らす。無視だ。
 シカトかよ、と詰め寄ろうとした日向を手で制し、雫は暗闇が広がる裏路地を顎でしゃくる。
 そこには、表通りとは比べものにならないほどに静かで、陰鬱とした空気が流れていた。光も満足に入らないビルとビルの隙間。黒々としたアスファルトにネオンの光が僅かに反射しているその場所の奥で――何かが蠢いていた。

「お、発見」

 軽い声音でそんなことを言った日向は、バットを肩に担いでその細い道に足を踏み入れる。傍らに立っていた雫も、手にはめていた指だけ出ているタイプのグローブを弄りつつ、その後に続いた。
「……」 
 彼らが歩を進めると、すすり泣くような嗚咽の声が聞こえてきて、やがて()()の正体が明らかになった。
 それは、一人の女性だ。長い黒髪に、ぼろぼろになったTシャツ、ジーパン。こちらに背を向けるようにしてしゃがみ込んでいる彼女は、どうやら肩を震わせて泣いているらしい。それだけであれば、正直なところ、この東京ではよく見る光景だ。

 しかし――彼女は明らかに異質だった。

「こりゃまた、厄介だな」
 日向のその呟きに、雫も息を小さく吐き出すことで応える。
 その女性は、身長が二メートルほどある、ひどく痩せた身体をしていた。二人の気配に気が付いたのか、この世のものとは思えないほど細い四肢を揺らし、ゆっくりとこちらを振り返る。露わになった相貌は痩せこけ、瞳は白目がなく落ちくぼみ、口を不気味にぱくぱくと開閉させていた。

「あ……アア、ナニ、ちか、近寄らナイデ」

 発音のはっきりしない呻き声を上げた彼女は、ふらりと立ち上がる。その様子を眺めながら、遠くの方で響いたクラクションを聞き流した雫は、ちらりと隣に一瞥をくれた。

「ほら、出番だぞ日向」
「言われなくたってやるさ。早く帰って寝たいんだよ、こっちは」

 そんな返答をした日向は、手に持っていたバットをぐるりと回して女に近づく。よく見るとそのバットには、元の金属が見えなくなるほどにお札のようなものが沢山貼り付けてある。彼女はまるでそれに怯えるように一歩大きく後ずさるが、行き止まりのためそれ以上は身動きがとれないようだ。

「ヤメテ、離れ、離れタクナイノ、ココ。ヤメテ、ヤメテ……ヤメロ!」

 突如として金切り声を発し、女はぐわりと動く。そのまま、歩み寄ってくる日向の方へと、腕を大きく振りかぶり襲い掛かった。それはとても人間とは思えないほどに素早く、まるでこちらを飲み込んでしまうような雰囲気。
 だが――。

「そうは言われても、こっちも仕事なんでね!」

 身を翻した日向は、ビルの壁面を蹴って身軽にそれを躱した。女の背後に回り込み、バットを躊躇いなく振り下ろす。彼女は咄嗟に飛び退くが、僅かに掠った腕がぼろぼろと砂のように崩れ、宙に消えるのを見て絶叫を上げた。そして長い足をばたばたと動かし、路地の入り口を塞ぐようにして立っている雫の方へ疾走する。

「逃がすなよ、雫!」
「……一発で仕留めろと言ったのに」

 面倒そうに溜息を吐いた雫が、グローブをつけた両手を掲げて身構えた。そこに、女が鬼気迫る表情で飛びかかる。
 その瞬間――上半身を反らして攻撃を避けた雫の拳が、容赦なく女の顔面にめり込んだ。悲鳴を上げようとした彼女の口が砂に変わり、鼻、目、やがて顔全体から全身がひび割れ、崩壊し始める。やがて吹き抜けたビル風に乗って、その砂すら夜の街並みへと飛んでいった。星屑にも似た煌めきを放った後、それは跡形もなく消えてしまう。

()()()、除霊完了~。まったく手間取らせんなよって感じ」

 やれやれと言わんばかりに首を回し、日向は欠伸をした。かつん、と彼のバットが固い地面を叩く。それに少しだけ彼の方を見た雫が、鼻で一笑してからグローブの埃を払った。

「相変わらず悪趣味な武器だな。札も何枚か剥がれかかってる」
「別にいーだろ。大体、お前のも同じようなもんじゃん。グローブの内側に札縫いつけてんだから」
「お前と一緒にするな」
「は? ぶん殴るぞ」
「やってみろ」

 テンポよく軽口の応酬をする二人は、そのままうるさく言い争いながら路地裏から出て、表通りへと戻る。眩しい照明が未だ輝き続けているネオン街は、酔っ払い同士の小競り合いのせいで警察が出動する事態になっているようで、いつも以上に騒がしい。

 道行く人々は誰も、喧嘩をしながら夜闇に姿をくらませた二人に気が付くことはなかった。