どれだけ時間が流れただろう?
 目元がひりひりしない。こすらないせいだ。
 タオルハンカチでそっと押さえて、肌から水分を拭う。丁寧で繊細な手付きは、風坂先生がプロだから。毎日、利用者さんにしてあげる作業だ。
 それに気付いたとき、ふっと、あたしは現実に戻った。
「……もう大丈夫です」
「そう」
「ご迷惑、おかけしました」
 風坂先生が、ぽんぽんと、あたしの頭を叩いた。
「迷惑じゃなくて、心配。どうしようもなく苦しいときは、笑わずに泣いていいんだよ」
「でも、風坂先生はいつも笑ってて……」
「ぼくはとっくに大人だから。強がって生きていこうって、ずいぶん昔に選んだから。笑音さんは、まだ迷ったり泣いたりしていい」
 見透かされてる気がした。風坂先生は何でもわかってる。また涙が出そうになって、あたしは大きくまばたきした。
「そ、そうだ、先生。初生は、小テスト、パスしました?」
「テストは問題なかったよ。だけど、やっぱり元気なかったね」
「もう仲直りできないかもしれないです」
「そんなことないと思うけど」
「できないです。だって、あたし、初生が悪口言われてるのを止めなかった。怒らなきゃいけなかったのに、黙ってた。友達失格なんです、あたし」
 風坂先生の笑顔は、困ったなぁと言うみたいに眉尻が下がっていた。度の強いメガネに、細かい雨粒がくっついてる。
 少し、沈黙。それから、風坂先生があたしに尋ねた。
「笑音さん、家はどっちの方角?」
 答えられない。あたしは今日、家に帰れない。瞬一と2人になれない。あたしはとっさに嘘を言った。
「今日は学校から直接、病院に行くことになってるんです。響告大の附属病院に」
「病院? どこか悪くしてるの?」
「いえ、パ……父が入院してるんです。母が付きっきりで大変そうだし、たまにあたしも手伝いに行くことにしてて」
 口に出すうちに、本当に病院に泊まろうって気になった。パパの顔を見たい。検査でバタバタしてなかったら、話を聞いてもらおうかな。
「じゃあ、病院の近くまで一緒に行こうか? ぼくの家、響告市にあるんだ。響告大の近くにね。だから、病院は帰り道だよ」