実際、オーディションに合格して芸能事務所に入っても、中々芽が出ずレッスン料だけがどんどん増えて結果辞めてしまう人が多い。努力を重ねても、そもそもカリスマ性を感じてもらえなければ結果は出ない。世間のニーズに合わなければ、簡単に切り捨てられてしまう。そんな過酷な世界を知る術もない幼い私は、
「かんな、やってみる。やってみないとわからないもん」
自らその一歩を踏み出し、「小鳥遊栞菜」としての人生を送り始めることになった。


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それから半年以上、幼稚園に通いながら芸能事務所にも足を運び、様々なレッスンを受けた。
歌、演技。感性を豊かにするために、とピアノ教室にも通いだした。
その頃の私はレッスンを掛け持ちする辛さよりこの道への好奇心が勝っていたため、レッスンが増えても嫌がることは殆どなかったらしい。私自身も、記憶にある限りデビューまで辛かった思い出があまりない。
覚えているのは、レッスン帰りに母と歩いた夕焼け道。ひらけた川沿いを、二人で色んな話をしながら帰ったあの時間。
どんな明日が待っているか分からずに、でも繋いだ手から伝わる温もりに安堵して。笑顔を浮かべれば答えるように母も笑顔を向けてくれた。
事務所に入って一年も経たぬ4歳の冬。転機は訪れた。
事務所の社長が私の可能性を信じ、様々なところへ売り込んでくれたおかげで、遂に芸能界デビューを果たすことになった。
舞い込んだ初仕事は、森治乳業のヨーグルトのCM。この冬、子供もターゲットに入れた新商品を発売するということで、イメージガールに私が選ばれたそうだ。CM撮影の後は広告ポスターの撮影もあるということだ。
一流企業のCM、それはデビュー仕事としてはあまりに運が良い。
「たかなしかんなです。よろしくおねがいします」
母に言われた通り、丁寧に挨拶をする。知らない大人と初めて見る機材に囲まれ思わず萎縮してしまう。でも、初めてヘアメイクさんに着飾ってもらったのは、少しばかりドキドキで。
フレーバーをイメージして、ピンク色・紫色・黄色のフェミニティ溢れる衣装を着た後は、プレーン味をイメージして、オーガンジーを駆使した真っ白のミニドレス。プリンセスになったかのような衣装に、自然と笑顔は増えた。