秋の夜は長い。
今日は仕事もレッスンもなく、学校が終われば家に直帰。夕飯まで勉強をして、決まった時間にご飯を食べる。その後はテレビで芸能情報をチェック。今日は事務所の後輩がバラエティ初登場だと聞いていたので、今日はバラエティにチャンネルを回した。
ゴールデンタイムが終われば、日課の半身浴。今月号の雑誌は既に読み終えていたので、学校の課題とミネラルウォーター、それから携帯を浴室に持ち込む。
英文解釈の課題には早々飽き、何となく携帯を弄る。先輩のブログや同期のTwitterをくまなくチェック。
一通り見終わるとやっぱり飽き、仕方なくもう一度課題に目を通した。
「このthat節はこの文と並列関係で……」
秋の夜は静かだ。静寂がもどかしく、思考を口に出してみる。
「……奏世」
そういえば、ここ数日は顔を合わせてないな。今日は連絡も取ってない。高校一年生は、きっと今日も元気に仕事を頑張っているんだろう。
ああ、何だか無性に声が聞きたい。
勿論そんなことを言える筈もなければ自分から電話できる筈もない。奏世の恋人だと考えると、やっぱり素直になれない自分がいる。
例えライバル意識故のものでなくても、一度奏世に対して素直になると決めたのに。
丁度その時、手元の携帯が震えた。この震え方は着信だ。
ディスプレイを見なくても分かった。計ったかのようなタイミングの良さは、彼の得意技なのだ。
「もしもし」
「もしもし、起きてた?」
「うん、起きてたよ」
ああ、奏世の声だ。電話の声は普段より低く感じるから、未だ慣れない。
「……ん、声響くね。どこにいるの?」
「どこって、半身浴してたところ」
「え、お風呂!?」
あ、つい反射的に答えてしまった。彼も立派な男子高校生だった。
「反則じゃん……ああもう、環奈!」
「えっあ、ご、ごめん……?」
とりあえず謝っておく。勿論、私たちはキスも疎か、付き合ってから手を繋いだこともない。そう、デートすらまだ一度もだ。
幾ら事務所が緩くても、芸能人だから堂々とデートをするのも気が引ける。それに自分から誘う勇気もない。……否、後者が一番の理由かもしれない。
もっと可愛げのある女の子だったら良かったのに。素直に自分からデートに誘える、可愛い女の子だったら良かったのに。
「それにしても、急にどうしたの?」
「あっそうそう。明日の夜、空いてる?」
「空いてるよ?どうかしたの?」
「俺、明日の夜ご飯なくてさ。良かったらどこか一緒に食べに行こ。」
こ、これはもしかしてデートに入る?
例えデートに入らないとしても、二人きりで食事に行くのは初めてだ。
やっぱり奏世のタイミングの絶妙さは怖い。
「い、いいよ……?」
声が上ずってしまったけれど、「仕方ないから付き合ってあげる」だなんて強がった過去の私よりは、少しだけ成長したのかもしれない。
▽
「ごめんね、ムードのあるお店連れてこれなくて」
翌日、そう言って奏世が連れていってくれたのは奏世の地元のお好み焼き屋さんだった。馴染みのお店らしく、ここならあまり噂にならないと図ったらしい。
正直、ムードなんて気にしない。他の女の子なら、イタリアンやフレンチをねだるのかもしれないけれど、私は飾ることがあまり好きじゃない。演技でなら幾らでもできるからこそ、素の自分は飾るのを嫌がる。
それに、
「私、お好み焼き大好きなの」
「そうなの?無理して言ってない?」
「私が奏世相手に気を遣うわけないじゃない。本当に好きなの」
「へえ、他には何好きなの?」
「何だろう……焼肉?人とワイワイしながら食べるのが好きだから。ご飯は楽しく食べたいでしょ?」
確かに、奏世相手には見栄を張ろうと思わない。気を遣おうとも思わない。
素の自分を出してもいいかもしれない、もっと素直になっていいかもしれない、と思うようになってからだ。
「じゃ、今度は焼肉行こうね」
奏世が嬉しそうにそう言うから、何だか恥ずかしくなってメニュー表に目を移した。
二人であれこれとメニューを指差し、結局お互いの好きなものを一個ずつ頼んで切り分けることになった。チーズのたっぷり入ったお好み焼きと、明太子と餅の入ったもんじゃ焼き、それからオム焼きそば。
「そんなに食べれるの?」と聞けば、「俺、育ち盛りの男子高校生だよ?」と言われてしまった。これじゃ足りないかもなあ、とも言っていたから恐らく追加注文でもするだろう。男子高校生の食欲は計り知れない。
ここのお店は各テーブルに鉄板が付いており、調理済みのものが運ばれてくるのではなく、テーブルで焼くようだ。
「お待たせしました、お先にたっぷり三種のチーズお好み焼きです。お客様ご自身で焼きますか、もしくはスタッフがお焼きしましょうか?」
「えっと……」
「自分たちで焼きます」
「かしこまりました。鉄板がお熱くなってきますので、お気を付けください。作り方はそちらの案内に書いておりますので」
私が迷っていると、奏世が代わりに答えてくれた。奏世は自分の方が二つも年下なことを気にしているようだが、私からしたら奏世の方がよっぽど大人だ。
「環奈、ワイワイしながら食べたいんでしょ?」
「……うん!」
奏世が生地を混ぜてくれたので、私が焼くことになった。
実は、私は手先が不器用。上手くひっくりかえせるか不安だったけれど、楽しければいいやと思える。
「……よし、蓋したら2分間そのまま蒸すんだって」
「ふわふわになりそうだね。待ちきれない!」
チーズの匂いが立ち込める。むわりとした空気は、今日は何だか嫌じゃない。
砂時計の砂が落ちるまで、今日学校で会った出来事とか、家で飼っている犬が部屋を荒らしてきたとか、何てことない日々をお互い語り合う。
話に夢中になって砂が落ち切ったことに慌てて気付いて、すぐにひっくり返す。
「……よいしょ!」
「おおっすごい!見事に半分崩れた!」
「ちょっと!じゃあ崩れた方は奏世ね!」
何だかこういうの、凄く楽しい。
お洒落なところにディナーへ行かなくても、着飾らなくても。断然こっちの方が楽しい。
崩れたところを写真に収める奏世を怒ったり、もんじゃ焼きを必要以上に焦がしちゃって焦ったり、結局奏世は食べたりずにサイドメニューを幾つも追加したり。
絶対、こっちの方が楽しい。楽しい。楽しい。
「楽しいね」
ほら、あまりに楽しいから素直に言える。
そう言えば奏世も「楽しいね」と口元にソースを付けながらにかっと笑ったので、私は仕方なくペーパーで口元を拭いてあげた。
【フレームアウト】
画面内の被写体が画面外に外れること。
「今は、仕事モードの奏世も栞菜もフレームアウト」
奏世が家にやってくる。
「お忍びデートもいいけど、家ならのんびりできるよね」
そう言いだした奏世に、私は
「……じゃあ、今度来る?」
と思わず提案してしまったのだ。
学校のない日曜日に招待するので、勿論両親も妹も家にいる。それなら安心かなと、奏世のことを警戒している訳ではないがそう思った。
部屋は特別散らかってはいないけれど、彼氏が家に来るのだ。いつも以上に掃除機をかけたり、必要以上に本棚を整理してみたりした。
両親は私たちの関係を知っている。……というのも、隠すつもりは最初からなかったが言い出す前に妹が口を滑らせた。
「それにしても、奏世くんが彼氏だなんて自慢だよね」
そう言った円花に、母は目を輝かせながら食いつき、父は真顔で部屋に籠ってしまった(慰めるのに随分時間がかかった)。
そんな妹も羨ましがる彼氏、牧丘奏世が家にやってくる。
「こんにちは。お邪魔します」
日曜のお昼頃、奏世は時間通りにやってきた。
「いらっしゃい、奏世くん」
「お休みの日にすみません。これ、良かったら皆さんで食べてください」
「あらやだ、気遣わなくて良かったのに。ありがとう、ありがたく戴くわね」
奏世はご丁寧に、美味しいと評判のお店のバウムクーヘンを持ってきた。母は実際に奏世と会うのは初めてで、実物の方がかっこいいだの、環奈はいい男を捕まえただの、興奮気味だった。
お昼の時間だったので、母は手料理を振る舞ってくれた。
「ほら、うちは女の子二人でしょ?食べっぷりがいいと、嬉しいわ」
「すみません、美味しくてついおかわりしちゃって」
「いいのよ、もっと食べて頂戴」
母は随分とご機嫌だ。
家族からの手厚い対応に、年頃の男の子なら気恥ずかしかったり嫌がったりしそうなのに、奏世は本当に楽しそうにしていた。そんな奏世を見て、私だって自慢の彼氏だよ、と心の中で呟いた。
食後のデザートを食べた後、ようやく私の部屋に案内した。
「どうぞ」
「おじゃましまーす。……うわあ、環奈って綺麗好きなんだな」
奏世はきょろきょろと目を動かしながら、遠慮がちに部屋に入った。
私も、男の子を部屋に入れるのは初めてだ。家に招待したのも初めて。
奏世は興味深そうに本棚を見て、「環奈もこの作家さんの本読むんだ」とか、「あっ『光待つモーメント』!年明け公開だよね、そういえば」等と口にする。
私は相槌を打っていたけれど、実はそんなことよりも気になることがあった。
「……あれ、これって」
勿論、気にしていたところに奏世は気付いた。当たり前だ。
奏世を追いかけるために、奏世の出ている雑誌をファイリングしたり、奏世の出演している作品のDVDを揃えていたんだから、それ専用の棚がある。結構な量だ。それが奏世の目に留まらない筈がない。
「……奏世を追い抜きたくて」
奏世の情報や演技している姿は全て把握しておきたい。それはライバル視しているから起こした行動だが、今は奏世の彼女。これじゃ、傍から見たらストーカーだ。
「奏世の出ているもの、全部チェックして研究してた。……ごめんね、これじゃストーカーみたいで気持ち悪いよね」
家に呼んだのは私だけど、これだけは怖かった。引かれたらどうしようと、何度も考えた。
今だって、奏世の反応が怖い。隠し通せば良かったのかもしれない。彼女に全部把握されているなんて、きっと気持ち悪がられる。
「すげー。こんな古いのもよく集めたね。俺、家の何処にあるか分かんないや」
「……え?」
「ていうか、さ。それなら俺も同じだよ。栞菜に追いつきたくて、栞菜の出てるもの全部チェックしてたから」
「え、は、初耳だよ!?」
「しかも俺の場合は中学以降は恋愛感情あったから、完全に下心も入ってる。俺の方がよっぽどストーカーじゃん」
私が泣きそうな顔をしていたからかもしれない。奏世はいつものように笑って、私の頭を撫でた。
「俺は全然嫌じゃないよ。環奈が嫌なら俺もやめるけどさ」
「わ、私は嫌じゃない……」
「じゃあ、俺らストーカー同士ってことで」
にかっと歯を見せて笑う奏世が、私の心を軽くさせる。
「まあ、実は前に身長の話をした時から勘付いてた」
「で、ですよね」
「まあ、俺も栞菜の身長知ってたから人のこと言えないなって」
「え、じゃ、じゃあ私の公式プロフィールも全部言えたりするの?」
「室舘プロダクション所属、小鳥遊栞菜。出身地は神奈川県。生年月日は1997年2月23日。血液型はA型、身長は162cm。趣味・特技は読書、映画鑑賞、ピアノ」
「ほ、本当に知ってる……」
「自分で言ってて本当にストーカーみたいだな。でも環奈も言えるでしょ?」
「……SFLエンターテイメント所属、牧丘奏世。出身地は東京都。生年月日は1998年8月17日。血液型はA型、身長は171cm。趣味。特技は空手」
「ははっ、俺ら傍から見たらヤバいカップルだね」
奏世があまりに笑うから、つられて私も笑ってしまう。
こんなに相手を知り尽くしたカップル、この世の中にいないかもしれない。でも、それでもお互い受け入れて笑いあえるならいいのかもしれない。
今日はいつも以上に、奏世が彼氏で良かったと思える。こんな私を受け入れてくれる、自慢の彼氏だ。
「環奈、俺はどんな環奈も好きだから不安にならないで」
急に奏世は笑うのをやめ、真剣な顔で私の頭をもう一度撫でてくれた。
そんな奏世に今日は素直になれる。こくりと頷くと、奏世の顔がゆっくりと近付いてきた。
え、これって。え、え、まって。
急な出来事に心が付いてこれる筈がなく、焦っている間にも奏世はゆっくり近付いてくる。頭に乗っていた手は、いつの間にか後頭部に回され、力が少し加わる。
覚悟を決めてぎゅっと目を瞑ると、触れるだけの柔らかな感触が唇に伝った。刹那、世界は音がなくなった。
かと思えば今度は長い長いキス。ドキドキが唇を伝ってしまうほどの、キス。
「……キスシーンで俺より先に他の男にキスなんてさせるかよ」
「……え、知ってたの?」
「さっき言ったでしょ、栞菜の情報は全部チェックしてるって」
今度出演が決まったのは、小さな映画。全国の映画館で上映するか心配な程の、少し小さな規模。漫画が原作の映画で、原作では主人公の友人役の私は主人公の片想いする男の子にキスをされるという設定だった。
だから、脚本をまだ見ていなくても想定できる出来事。そこまで、奏世は知っていた。そして、妬いてくれた。
「役でも演技でも、本当は嫌だから」
そう言って今度は深いキス。
頭も心もクラクラして麻痺しそうな私を解放する気がない奏世に、日が暮れるまで捕まってしまうのだった。
【Silent】
音なしで撮影すること、またはその作品のこと。
「予告もなく、サイレントは訪れた」
最近分かったことがある。奏世はハグ魔だ。
「……あの、集中できません」
今度の日曜日に会いたいと奏世から連絡が来て、勉強しなくちゃいけないと返したら、邪魔しないから一緒にいたいと返ってきた。
奏世は私と違って、感情をそのまま表に出す。彼氏に一緒にいたいと言われて、きっぱりと断れる人はいるのだろうか。
夕方だけ、という条件で奏世はやってきた。
ローテーブルで勉強する私を後ろから抱きしめる形で奏世は座っている。そんな状態で勉強に集中しろと?
問題を解くのは諦めてプリント整理をすることにした。日本史の資料プリントをまとめてファイリングをしながら、奏世と少しおしゃべりを楽しむことにした。
「ねー、環奈」
「何?あと、耳元で喋らないで。変な汗かく」
「いいじゃん。環奈って夢とかある?」
「良くない。……夢?それは、女優の小鳥遊栞菜として?」
「んー、どちらでも」
夢、かあ。小鳥遊栞菜にも、髙梨環奈にも夢はある。
「カーテンコール、受けてみたいの。それが一つの夢かな」
「舞台、とか?」
「うん。舞台に出たことはまだないから」
「そういえば俺も舞台はないな。……確かに、カーテンコール受けてみたいな。スタンディングオベーションとか、浴びたらどんな気持ちなんだろ」
この夢は、マネージャーの古坂さんにしか話したことがなかった。
ドラマも映画も、ネットや口コミでしか評価は分からない。視聴率という数値でしか測れない。
だから、舞台には大きな魅力があった。観客の前で、観客の表情を見ながら演技が出来る。そんな場所で、カーテンコールを受けたらどんな気持ちなんだろうか。学生の間は舞台は中々厳しい。幾つかの劇場を回るようなスケジュールなら、学業が疎かになってしまう。
いつか、学生を終えたときに挑戦してみたい。
「そういえば環奈、高校卒業したらどうするの?」
「私は大学進学する」
「は、大学!?」
奏世が驚くのは分かっていた。これだけ女優業に専念していて、これ程までに奏世にライバル意識を向けている私のことだから、卒業後は女優業により一層専念するのだと思い込んでいたのだろう。
「なんで大学……?」
「……世界を、広げたいの」
確かに、高校卒業後そのまま女優業一本で行くのがいいのかもしれない。けれど、幼稚園の頃から芸能界にいて、普通の生活を送ったことがない。そんな私が、これからも芸能界だけで生きて、果たしていいのだろうか?まだまだ知らないことだらけではないのだろうか?
そう考えて、私は自分の世界が狭いのだと感じた。視野も狭い、世界も狭い。もっと色んなものを見て、色んなことを経験して、色んなことを勉強したい。
小鳥遊栞菜だけでなく、髙梨環奈も成長したい。そうすれば、きっとどこかで演技も成長出来るかもしれない。
「そ、っか。だからこんなに勉強してたんだ。気付かなくてごめん」
「謝らないで。今は仕事も控えてもらってるから勉強の時間も結構取れてるんだ。」
夢も、選ぶ道も、人それぞれだ。
私は自分で決めた道に、誠実でありたい。
「……じゃあ、環奈自身の夢は?」
「……そ、それは」
髙梨環奈としても、夢はある。けれど、それを言葉にするのは少々難しい。
私たちの関係を知っているある先輩に言われた。甘える彼女役を演じてると思って頑張ってみたらどうかと。素直になれないなら、その時だけ“髙梨環奈”が演じる。そう思って、自分の素直な気持ちをちゃんと伝える。
それを聞いた時、目から鱗だった。それは自分を飾るのとは違う。素直になれない自分が素直になりたい自分を演じるように考える。
今、それを実行する時ではないか。いつも素直に思ったことを口にしてくれる奏世に、たまには私も素直にならなきゃいけないんじゃないか。
素直な私を演じてみる。甘えるようなことを本当は言いたい私を、演じてみる。
「か、奏世とずっと一緒にいたいの」
「……え?」
「奏世とこれからもこうしてくっついていたいし、奏世と色んなところにいってみたいし、奏世の隣にいるのは私がいい」
恥ずかしい、恥ずかしい。顔が熱い。
でも、ちょっとだけ嬉しい。
ここまで素直になれた、自分が嬉しい。
「え、ちょっと環奈……可愛いこと急に言うの、反則」
奏世が私を正面から抱きしめる。いつもよりちょっと強くて、いつもよりちょっと温かい奏世のハグ。
こうやってハグするのも、奏世とがいい。奏世とじゃなきゃ嫌だ。
そう言ったらきっと、奏世は今度こそ真っ赤になってしまうだろうか?
【バージンテープ】
いかなる信号も全く記録されていないテープのこと。
「これからのまっさらな未来、二人に幸あれ」
-fin-