常闇よりも深い人の世の裏側、幽世などと呼ばれるあやかしの世界……。
所謂異世界に該当するとも言える別の空間から、あやかしたちは人間たちの世界に忍び寄り、その心を奪おうと狙っている。
狗巻天地こと、大天狗もあやかしの長として、普段はこの幽世に自分の領域を作り、日々を過ごしていた。
大天狗は幽世に大きな屋敷を構え、そこの主として多くの妖怪を従え、世話をさせている。
あやかしの世界も人間社会同様に、ややこしい派閥などはあるが、大天狗の力の大きさはあやかし達も認めているので、よほどのことがない限り、縄張り争いなどで手を出してくる者はいない。
「大天狗さま、大天狗様っ」
騒々しく大天狗の居室に入り込んで来たのは、大天狗の部下である木っ端天狗だ。この屋敷の手伝いをさせている木の葉天狗だ。
力の弱い天狗で、召使いとしてこの屋敷に住まわせている。その姿は小さな少年で、人の年齢に例えるならば、小学生男児といった見かけをしている。
「騒々しいぞ」
自室の襖を開き、慌てて入って来た木の葉天狗に、大天狗は低い声で咎めると、小僧の天狗はギクリと表情を固めて、すぐに詫びを入れた。
「す、すみません。し、しかし鬼が……」
「鬼だと?」
木の葉天狗の聞き捨てならない言葉に、大天狗はぴくりと眉を持ち上げた。
その直後、木の葉天狗の後ろの襖から、ふてぶてしい笑みを浮かべた男がのっそりと部屋に入って来た。
「よう……、邪魔するぜ」
「ひえっ」
背後から入って来た男にすくみあがった木の葉天狗は、悲鳴を上げて部屋の隅に小さくなる。
大天狗は、無遠慮に上がり込んで来たその男の顔を睨みつけた。
冷淡な眼光を受けたその男は、ニヤっと不敵な笑みを浮かべたまま、大天狗をねめつけた。
「貴様……。ここが我が屋敷としって上がって来たのか。茨木童子《いばらきどうじ》」
「そう怖い顔しなさんな。ちょっとばかり話がしたくて顔を出しただけだ。ケンカ売りに来たンじゃねえよ」
粗野な言葉使いのその男、鬼と呼ばれた茨木童子は、ギラリと光る犬歯を剥きだして、野心的な顔を向けていた。
挑発的な表情で、鋭い眼光をしている。額には一本、大きな角が伸びていて、自身の性格を物語るように刺々しい。
茨木童子はあやかしの中でも有名な鬼の一人だ。
鬼の中の鬼、酒呑童子の部下の一人で、腕っぷしはかなりのものだと専らのウワサである。
事実、日本の伝承にも残っている彼は、かつて京都の娘を攫い、手籠めにしては傍若無人の限りを尽くしたとされている。
祓い屋に成敗されてから、おおっぴらには悪事を働くようなことはなくなっていたが、今もその女好きなところは変わっておらず、気に入った娘を弄び、その心を喰らっているのだとか。
ここはあやかしの中でも、天狗族の領域だ。
そこに鬼が上がりこむというのは、緊迫した空気を作り上げることになる。
「鬼と話すようなことはない」
「そう言うなよ。先日、この近辺で悪さをしてた、クズの小鬼が祓い屋にやられちまってな」
大天狗の居室に、ずかずかと入り込む茨木童子は、大天狗の前でふんぞり返る。
その態度に、本来ならば問答無用で追い出すところだったが、大天狗は彼の言葉にピクリと整った眉を動かした。
(小鬼……、空が先日祓った下郎か)
あの廃屋は、大天狗の縄張りにある。そこを根城にしていた、チンピラあやかしの小鬼が、星家の祓い屋に退治されたことを、大天狗は知っている。
もとより、人の領地で幅を利かせていた小者妖怪を潰すつもりではあったのだが、それを空が先に祓ってくれたというわけだ。
どうやら、あのチンピラ小鬼は、茨木童子の手下だったようだ。
「我ら天狗とことを構えるつもりでないなら、早々に去れ」
「まぁまぁそう言うなって……、話しを聞きてぇだけだ」
「なにを話すことがあるというのだ」
どっかりと、腰を下ろし、茨木童子は太々しい笑みを大天狗に向ける。
「最近、この辺りを担当してる祓い屋が、代替えしたそうじゃねえか」
「……」
大天狗は、凍るような瞳を、キラリと突き付けた。並みのあやかしならば、その眼光に射られただけで、心の音を止めてしまうようなプレッシャーがある。
だが、茨木童子はそんな大天狗の顔を真正面から受け、ギラギラしている野獣じみた目を交差させる。
「ちぃっと、その代替えした祓い屋に、挨拶してやろうと思ってな。天狗のシマってのは重々承知だが、ここで暫く活動させてもらおうと思ってよォ」
「……」
「一応、スジを通しに来たってワケだ。なんでも星家とかいう、なかなかいいウデしてる祓い屋だそうだな?」
「もう一度言う。早々に去れ」
空が狙いだと分かり、大天狗は一気に茨木童子に対して敵愾心が沸き起こった。
このような妖怪が、空に近づくというだけでも虫唾が走る。
しかも、ここは天狗の領域。そこに土足で入り込み、暴れさせろと言っているのだから、話にならない。
「最近、妙な話を耳に挟んだンだよなァ」
大天狗の言葉を無視し、茨木童子はニタニタといやらしい笑みと共に、思わせぶりに瞬きをしてみせる。
「大天狗が星家の祓い屋と戯れている……ってなァ」
「根も葉もない噂だな」
「フン……」
きっぱりと否定した大天狗だったが、茨木童子は鼻を鳴らして疑いの目を向けている。
「代替えして、新米の若い娘が祓い屋をしてるって調べは付いてるんだぜ。そんなぺーぺー相手に、大天狗ともあろうものが、毎度逃げ帰って来てる……そんな話を聞いてンだがよォ」
「ぶ、無礼ですよ!」
思わず、部屋の隅っこで震えていた木の葉天狗が、我慢できずに言い返した。
そんな木の葉天狗に、「あ?」とドスの効いた声で威圧する茨木童子。木の葉天狗はそれだけで、またキュっと小さくなって部屋の隅で固まった。
「旦那が手を焼いてるんなら、俺様が可愛がってやろうってだけの話さ。随分と美味そうな娘のようだからな」
下品な笑みを浮かばせた茨木童子の言葉に、大天狗はその刹那、神通力を発揮した。
閃光のような火花が弾け、茨木童子の顔面を念動力による衝撃で殴りつけると、粗暴な鬼は、ついにその笑みを消して襖の向こうまで吹き飛ばされる。
「うがっ」
襖を突き破り、廊下の向こうでもんどりうって倒れた茨木童子は、大天狗の神通力に汗を垂らして歯を食いしばった。
「あまり調子に乗るな。消されたいか」
「ぐっ……。流石、大天狗の旦那……。それだけの力があるなら、なんで星家の祓い屋を喰らわないんです?」
カッ! ――と、もう一撃神通力の閃光が迸る。
激しい音を立てながら、茨木童子は再度その顔面を念動力で殴り飛ばされていた。
「次は消す。我が前から去れ」
「くっくっくっ……。つええ……。それでこそ、旦那だ……! 腑抜けたんじゃねえみたいで、安心しましたぜ」
不敵な笑みを浮かべ、茨木童子は立ち上がった。
大天狗は殺気を膨らませ、その全身に妖気を立ち上らせ、神通力をいつでも放てるような状態だった。
大天狗は、部屋の奥からまるで動くこともせずに、茨木童子をねじ伏せて見せたわけだ。
おやかしの世界は弱肉強食。
縄張りを狙いしのぎを削るような社会なのだ。それはある意味、極道、任侠といったものに似ているかもしれない。
だからこそ、力を示せば相手は従う。
要するに舐められてはいけないのだ。
だからこそ、……空に惚れているということ周囲にバレるわけにはいかない。
「分かりました。祓い屋のことは置いておきます。しかし、暫くはオレも様子を見させていただきますぜ」
茨木童子の言葉の裏には、彼の上司……、鬼の首魁である酒呑童子の思惑が見えた。
この茨木童子は、偵察しにきたのだ。
天狗の威厳が沈んでいるのなら、この縄張りを奪えるかもしれないと考え、牙を研いでいるということだ。
(茨木童子は監視役ということか……)
大天狗は冷ややかな目を眇め、厄介なことになり始めたこの状況に、空の笑顔を思い浮かべる――。
このままではまずい……。
なにか対応しなければ、あやかしの長としての自分の状況も危険になるが、なによりも空の身に危害が及ぶ可能性があるのだ。
(空……、お前だけは何を犠牲にしても……護るからな……)
所謂異世界に該当するとも言える別の空間から、あやかしたちは人間たちの世界に忍び寄り、その心を奪おうと狙っている。
狗巻天地こと、大天狗もあやかしの長として、普段はこの幽世に自分の領域を作り、日々を過ごしていた。
大天狗は幽世に大きな屋敷を構え、そこの主として多くの妖怪を従え、世話をさせている。
あやかしの世界も人間社会同様に、ややこしい派閥などはあるが、大天狗の力の大きさはあやかし達も認めているので、よほどのことがない限り、縄張り争いなどで手を出してくる者はいない。
「大天狗さま、大天狗様っ」
騒々しく大天狗の居室に入り込んで来たのは、大天狗の部下である木っ端天狗だ。この屋敷の手伝いをさせている木の葉天狗だ。
力の弱い天狗で、召使いとしてこの屋敷に住まわせている。その姿は小さな少年で、人の年齢に例えるならば、小学生男児といった見かけをしている。
「騒々しいぞ」
自室の襖を開き、慌てて入って来た木の葉天狗に、大天狗は低い声で咎めると、小僧の天狗はギクリと表情を固めて、すぐに詫びを入れた。
「す、すみません。し、しかし鬼が……」
「鬼だと?」
木の葉天狗の聞き捨てならない言葉に、大天狗はぴくりと眉を持ち上げた。
その直後、木の葉天狗の後ろの襖から、ふてぶてしい笑みを浮かべた男がのっそりと部屋に入って来た。
「よう……、邪魔するぜ」
「ひえっ」
背後から入って来た男にすくみあがった木の葉天狗は、悲鳴を上げて部屋の隅に小さくなる。
大天狗は、無遠慮に上がり込んで来たその男の顔を睨みつけた。
冷淡な眼光を受けたその男は、ニヤっと不敵な笑みを浮かべたまま、大天狗をねめつけた。
「貴様……。ここが我が屋敷としって上がって来たのか。茨木童子《いばらきどうじ》」
「そう怖い顔しなさんな。ちょっとばかり話がしたくて顔を出しただけだ。ケンカ売りに来たンじゃねえよ」
粗野な言葉使いのその男、鬼と呼ばれた茨木童子は、ギラリと光る犬歯を剥きだして、野心的な顔を向けていた。
挑発的な表情で、鋭い眼光をしている。額には一本、大きな角が伸びていて、自身の性格を物語るように刺々しい。
茨木童子はあやかしの中でも有名な鬼の一人だ。
鬼の中の鬼、酒呑童子の部下の一人で、腕っぷしはかなりのものだと専らのウワサである。
事実、日本の伝承にも残っている彼は、かつて京都の娘を攫い、手籠めにしては傍若無人の限りを尽くしたとされている。
祓い屋に成敗されてから、おおっぴらには悪事を働くようなことはなくなっていたが、今もその女好きなところは変わっておらず、気に入った娘を弄び、その心を喰らっているのだとか。
ここはあやかしの中でも、天狗族の領域だ。
そこに鬼が上がりこむというのは、緊迫した空気を作り上げることになる。
「鬼と話すようなことはない」
「そう言うなよ。先日、この近辺で悪さをしてた、クズの小鬼が祓い屋にやられちまってな」
大天狗の居室に、ずかずかと入り込む茨木童子は、大天狗の前でふんぞり返る。
その態度に、本来ならば問答無用で追い出すところだったが、大天狗は彼の言葉にピクリと整った眉を動かした。
(小鬼……、空が先日祓った下郎か)
あの廃屋は、大天狗の縄張りにある。そこを根城にしていた、チンピラあやかしの小鬼が、星家の祓い屋に退治されたことを、大天狗は知っている。
もとより、人の領地で幅を利かせていた小者妖怪を潰すつもりではあったのだが、それを空が先に祓ってくれたというわけだ。
どうやら、あのチンピラ小鬼は、茨木童子の手下だったようだ。
「我ら天狗とことを構えるつもりでないなら、早々に去れ」
「まぁまぁそう言うなって……、話しを聞きてぇだけだ」
「なにを話すことがあるというのだ」
どっかりと、腰を下ろし、茨木童子は太々しい笑みを大天狗に向ける。
「最近、この辺りを担当してる祓い屋が、代替えしたそうじゃねえか」
「……」
大天狗は、凍るような瞳を、キラリと突き付けた。並みのあやかしならば、その眼光に射られただけで、心の音を止めてしまうようなプレッシャーがある。
だが、茨木童子はそんな大天狗の顔を真正面から受け、ギラギラしている野獣じみた目を交差させる。
「ちぃっと、その代替えした祓い屋に、挨拶してやろうと思ってな。天狗のシマってのは重々承知だが、ここで暫く活動させてもらおうと思ってよォ」
「……」
「一応、スジを通しに来たってワケだ。なんでも星家とかいう、なかなかいいウデしてる祓い屋だそうだな?」
「もう一度言う。早々に去れ」
空が狙いだと分かり、大天狗は一気に茨木童子に対して敵愾心が沸き起こった。
このような妖怪が、空に近づくというだけでも虫唾が走る。
しかも、ここは天狗の領域。そこに土足で入り込み、暴れさせろと言っているのだから、話にならない。
「最近、妙な話を耳に挟んだンだよなァ」
大天狗の言葉を無視し、茨木童子はニタニタといやらしい笑みと共に、思わせぶりに瞬きをしてみせる。
「大天狗が星家の祓い屋と戯れている……ってなァ」
「根も葉もない噂だな」
「フン……」
きっぱりと否定した大天狗だったが、茨木童子は鼻を鳴らして疑いの目を向けている。
「代替えして、新米の若い娘が祓い屋をしてるって調べは付いてるんだぜ。そんなぺーぺー相手に、大天狗ともあろうものが、毎度逃げ帰って来てる……そんな話を聞いてンだがよォ」
「ぶ、無礼ですよ!」
思わず、部屋の隅っこで震えていた木の葉天狗が、我慢できずに言い返した。
そんな木の葉天狗に、「あ?」とドスの効いた声で威圧する茨木童子。木の葉天狗はそれだけで、またキュっと小さくなって部屋の隅で固まった。
「旦那が手を焼いてるんなら、俺様が可愛がってやろうってだけの話さ。随分と美味そうな娘のようだからな」
下品な笑みを浮かばせた茨木童子の言葉に、大天狗はその刹那、神通力を発揮した。
閃光のような火花が弾け、茨木童子の顔面を念動力による衝撃で殴りつけると、粗暴な鬼は、ついにその笑みを消して襖の向こうまで吹き飛ばされる。
「うがっ」
襖を突き破り、廊下の向こうでもんどりうって倒れた茨木童子は、大天狗の神通力に汗を垂らして歯を食いしばった。
「あまり調子に乗るな。消されたいか」
「ぐっ……。流石、大天狗の旦那……。それだけの力があるなら、なんで星家の祓い屋を喰らわないんです?」
カッ! ――と、もう一撃神通力の閃光が迸る。
激しい音を立てながら、茨木童子は再度その顔面を念動力で殴り飛ばされていた。
「次は消す。我が前から去れ」
「くっくっくっ……。つええ……。それでこそ、旦那だ……! 腑抜けたんじゃねえみたいで、安心しましたぜ」
不敵な笑みを浮かべ、茨木童子は立ち上がった。
大天狗は殺気を膨らませ、その全身に妖気を立ち上らせ、神通力をいつでも放てるような状態だった。
大天狗は、部屋の奥からまるで動くこともせずに、茨木童子をねじ伏せて見せたわけだ。
おやかしの世界は弱肉強食。
縄張りを狙いしのぎを削るような社会なのだ。それはある意味、極道、任侠といったものに似ているかもしれない。
だからこそ、力を示せば相手は従う。
要するに舐められてはいけないのだ。
だからこそ、……空に惚れているということ周囲にバレるわけにはいかない。
「分かりました。祓い屋のことは置いておきます。しかし、暫くはオレも様子を見させていただきますぜ」
茨木童子の言葉の裏には、彼の上司……、鬼の首魁である酒呑童子の思惑が見えた。
この茨木童子は、偵察しにきたのだ。
天狗の威厳が沈んでいるのなら、この縄張りを奪えるかもしれないと考え、牙を研いでいるということだ。
(茨木童子は監視役ということか……)
大天狗は冷ややかな目を眇め、厄介なことになり始めたこの状況に、空の笑顔を思い浮かべる――。
このままではまずい……。
なにか対応しなければ、あやかしの長としての自分の状況も危険になるが、なによりも空の身に危害が及ぶ可能性があるのだ。
(空……、お前だけは何を犠牲にしても……護るからな……)