荘厳な雰囲気に包まれる早朝の神社で、黒髪の少女が白装束に身を包み、瞼を下ろしていた。
 その日、少女は十六の誕生日を迎えていた。
 しかし、その様子は浮かれたバースデイパーティーからは程遠く、神聖なる気配に包まれていた。
 冷たく磨かれた床に正座で座り、静かにその手を合わせている。

(そら)よ。今日、この日より、お前を祓い屋である(ほし)家を継ぐ者として認める」
「はい」

 空と呼ばれた少女は、そっと顔をあげる。
 そこには彼女の祖父であり、祓い屋として名をはせた星秀隆(ひでたか)が神妙な面持ちで立っていた。
 皴だらけであり髪は全て白髪となった秀隆ではあるが、その祓い屋としての実力は衰えてはいない。

「では、星家襲名の証として、我が神社に伝わる三種の神器を渡そう」

 秀隆はそう言うと、背後に置いてある木箱を手に取ろうと、腰をかがめようとした。

「あだっ、あだだだっ……!」
「おっ、おじいちゃん! 大丈夫!?」

 秀隆は腰に走った激痛に先ほどまで纏っていた厳格な雰囲気を吹き飛ばし、情けない声で腰の痛みに涙目になっている。
 空は、そんな祖父の身体を気遣って、立ち上がると秀隆の身体を支えてやる。

「もう……、ギックリ腰やってるんだから、大人しくしてればいいのに……」
「馬鹿もん! 我が星家に代々伝わる、あやかし退治の秘宝である三神器の継承の儀式ぞっ!」

 数日前のことだ。
 秀隆は、趣味である釣りに出かけて、大物を釣り上げようとしたその瞬間に、ギックリ腰になってしまった。
 そんなわけで、寄る年波には勝てず、秀隆は祓い屋家業の引退を決意した。

 空の実家である星家は、神社だ。その明星寺(みょうじょうじ)は、代々祓い屋家業を続けていた。
 小さな寺ではあるものの、由緒だけは正しく、令和の時代がやってきた現在において数を減らした『祓い屋』を請け負っている。

「祓い屋として……生半可な態度では……あいててっ!」
「分かったから、おじいちゃんは、ちょっと安静にしてて」
「分かっとらん! 空、祓い屋は凶悪なる闇の住人……あやかしを祓うためにその命をかけるべくして……」

 秀隆は腰痛に顔をしかめながら、今年高校生になった少女である孫娘の空に、祓い屋家業の何たるかを、しつこく言って聞かせてきた。
 いつものことだが、空は何より祖父の腰痛のほうが気になってしまって、とりあえず、秀隆を座らせた。

「あやかし退治……、妖怪祓いのお仕事を、おじいちゃんから私が受け継ぐ。その覚悟はきちんとしてます」
 空は祖父を気遣いながらも凛とした表情で、そう答えた。
 あやかしとは、この世の影に隠れ、人の心を食らう存在だ。
 あやかしに心を喰われてしまうと、夢や希望を失って、人生に張り合いを感じず、ストレスを溜めるばかりの人間になってしまう。
 昨今、ストレス社会と言われている原因は、あやかしの跳梁跋扈のせいなのだ。
 あやかしに心を喰われた人々は、世の中に希望や夢を抱けず、苛立ちと焦燥感に駆られて過ごしてしまう。
 だから、祓い屋があやかしを退治しているのである……。

 ……が、その祓い屋も随分と数を減らした。
 文明を発達させた人々は、幻想的なものを忘れていき、蔑ろにしていった。
 いつしか、あやかしなどは存在しないなどと言う風潮で満たされてしまったため、それを退治する祓い屋も必要とされなくなったからだ。

「人の心を食べてしまう妖怪を退治する力が、私にはあるんでしょ?」
「うむ……」
「もうおじいちゃんも年齢的に無理だし、お父さんは普通のサラリーマンで、霊力はまるでなかった。私が継ぐしかないんだから、覚悟はしてたよ」

 霊感がなければ、そもそも闇に隠れるあやかしを見つけ出すことができない。霊視の力を幼いころからもっていた空は、昔から祖父に祓い屋として育てられてきたので、今更ガッチリとした儀式などされなくても十分に祓い屋として星家を継ぐつもりでいた。

「では……その箱の中身を受け取れ」

 秀隆は、木箱を指さした。
 檜で出来た箱は、年代を感じさせる。
 空はそっとその木箱の蓋を開けた。

 中には、三つの神器が収納されていた。
 一つ目は祓い屋としての装束。剣道着に似ている。あやかしたちの誘惑を跳ね除ける加護があるそうだ。
 二つ目は、数珠だ。これもどこにでもあるような数珠のように見えたが、霊力を込めることで破邪の光を放ち、妖怪を浄化することができる武器になる。
 最後は経典だった。掌サイズのレザーソフトケースに入れられていて、一見すると紳士ものの財布のようにも見えるが、ソフトケースの中身は退魔の説法が書き込まれた神聖な本だ。

「これが星家の三種の神器なんだね」
「装束はお前のサイズに合わせて新調した。新品だが、ありがたい霊糸を編みこんである由緒ある神器だ」
「わぁ……ありがとう、おじいちゃん」

 十六歳の女の子が受け取る誕生日プレゼントにしては、どうにも堅苦しいものではあったが、空は素直にお礼を述べた。
 その顔を見た秀隆も、嬉しそうにウンウンと頷く。

「よいか、空。我ら祓い屋は、あやかしを退治しなくてはならない宿命にある。彼奴らはいくらも湧き出てくる。決して油断するなよ」
「大丈夫、私だって下等な妖怪なら、自前のお札で退治したことがあるもん」
「お前の霊力の強さは認めるが、それでも気を付けねばならぬ相手がいる。それが、星家と因縁の関係にあるあやかしの首魁である、大天狗だ」
「大天狗……?」

 星家は代々祓い屋家業を営んで来たが、そこには敵対する好敵手とも呼べる妖怪がいたそうだ。
 それが、あやかしの首魁とされる大天狗だった。
 真っ黒な翼を持った畏怖すら感じさせる美形を宿した青年の姿をしていると、秀隆は語った。

「大天狗は、星家の霊力を狙っている。奴はそんじょそこらの妖怪とは比べ物にならぬ力を持っている。もし出くわした時は十分に気を付けるんだぞ」
「うん……分かった」

 こうして、星空はあやかし退治の仕事である祓い屋として、星家を受け継いだ。
 高校生の空は、祓い屋家業との二重生活で気が休まることがない慌ただしい毎日が繰り返されることになった。
 しかし、自分の力で世直しに少しでも貢献できるのならと、空は自分の仕事にやりがいを感じてもいた。

 そうして、祓い屋として活動を始めて数日が過ぎた頃だった――。
 その、大天狗と出くわしたのだ。
 急に素行が悪くなった青年がいると依頼を受けて、その心に食らいついているあやかしを祓うために人気を払った裏路地での出来事だった。

「その人の身体から出て行きなさい、下等な妖怪!」

 あやかしに憑りつかれた青年を追い、路地裏に追い詰めた時、聖なるお札を投げつけると、その青年に憑りついていた妖怪が悲鳴を上げて逃げ出した。
 それを追おうと駆け出した時、目の前につむじ風が舞い上がった。
 突風にあおられ、空が顔を腕で覆うと、その刹那、旋風の中から真っ黒な翼を付けた高身長の男が出現したのだ。

 その服装は時代錯誤も甚だしく、修験者のような姿に下駄を穿いていた。
 漆のように艶やかな長い髪をなびかせ、白磁のような肌をした、妖しい魅力に包まれた青年――。

「星家の祓い屋……。娘が跡を継いだか」
「あ、あなたは……まさか……!」

 身長は一八〇センチはあるだろう。色気に塗れた黒真珠のような瞳が、空を見下ろしている。
 その雰囲気で只者ではないとすぐに分かった。

「大天狗……!」
「その通り……。フッ……、なかなか似合っているではないか、小娘」

 余裕たっぷりの笑みを浮かべ、空の装束姿を見つめた天狗は、美声で低く笑う。

「あなたがあやかしたちのボスなの!?」
「いかにも」
「だったら……私があなたを退治すれば、私の高校生活も楽になるわね!」
「高校生……。青春の時期か」

 空にとって、花の女子高生の時期は祓い屋家業同様に重要なものだ。
 祓い屋を兼業している以上、満足に高校生活を楽しめない。十六歳の女の子と言えば、もっとも華やいだ時期のはずだ。
 友情、夢、そして恋……。
 青春を謳歌するためにも、この大天狗をなんとしても退治しなくてはならない空は、数珠に霊力を込め、ぞっとするほど美形の大天狗に凛々しくも立ち向かった。

「……そうか。青春……、もうそんな年頃になったのだな……」

 風の音にかき消える程静かな声で、大天狗はなにやら呟いた。空を見て、なにか思案しているのか、奇妙なことだが、感慨深げにしている。

「な、なにを企んでるの!」
「我が求めるものは、お前の心だ……」
「私の、心を食らうつもりね……! そうはさせない……!」

 あやかしの首魁の思惑は、やはり星家の清らかな魂を宿した空の心らしい。
 相手は格上のようだが、易々と奪わせるわけにはいかない。
 空は相手の隙を伺いながら、数珠の霊力を集中させた。いつでも攻撃できるようにしていたが、相手は随分と余裕の表情でこちらを見つめている。

「いい顔だ……。空、と言ったな」
「わ、私の名前、知ってるの……?」

 名乗った覚えはなかったが、大天狗は空のことを知っている様子だった。

「慌てる必要はない。これから、じっくりと時間をかけて、お前との逢瀬を楽しませてもらうぞ、星家の娘よ」
「っ!」

 言葉と共に、旋風が吹き荒れる。大天狗の周囲に舞い上がった小さな竜巻は、彼の漆黒の羽を舞い散らしながら、壁を作るように空の間に立ちふさがった。

「また会おう、空……!」
「あっ、逃げるつもりっ!?」

 楽しげな大天狗の声が風に紛れて遠ざかる――。
 空はその風の向こうへと手を伸ばそうとしたが、突風は一瞬でかき消え、そこには鴉に似ている黒い羽が一枚落ちているだけだった。

「大天狗……あれが……私の宿敵……!」

 あやかしの首魁とされる妖怪、大天狗。
 その強大な存在感に、空は背筋に汗をかいてしまっていた。
 実際のところ、今日は退いてくれてホッとしていた。
 相手はかなりの実力を持っているようだ。

「……でも、私は負けない……!」

 倒すべき好敵手の顔を思い出し、空は決意を固めた。
 いつか必ず、あの余裕に溢れた笑みをひっくり返してやろうと。

 祓い屋の少女、星空。
 彼女とあやかしの長である大天狗との、奇妙な物語はここから始まる……。