ほどよく飲んで、ほどよく食べて、百合と航、ふたりは帰ることになった。

「あの…ありがとうございました!」

 百合の口から自分の気持ちがやっと出た。夢のような時間だった。百合は既に夢見心地のようでいた。

「あんまり思い詰めんなよ。」
「はい…。」
「気をつけて帰れよ。じゃあな。」

 航は去っていく。夢見心地のまま、百合は帰ろうと歩き始めた。すると後ろから航に声を掛けられる。

「待て!」

 ビクッと驚く百合。その声で目が覚めた。

「オレも勉強しないとな。送る。家どっちだ。」

 また夢の中に入る百合だった。

 そして翌朝。百合はいつもより早く起きてしまった。ベッドの上。正座をし、目の前にはスマホ。

「起きたら、おはよう…起きたら、おはよう…。」

 航へのライン。するかしないか、本当にしていいのかどうか。朝早くから悩む百合。航に忘れ去られたくない、そう思った百合は送信ボタンを押した。

 おはようございます

 百合は深呼吸をした後、出社する準備を始めた。しばらくするとスマホが鳴る。百合はそわそわする。そっとラインを開いてみる。航からの返信だった。

 おはよ
 ずいぶん早いんだな

 航とラインができた、その喜び、嬉しさ。それだけで百合は胸がいっぱいになる。しかしそのすぐ後、百合は困り始める。この返信に返信すべきかどうなのか。わからない、ならわからないなりに素直に聞こう、そうすれば航に嫌われることはないだろうと、百合は思った。

 返事は、したほうがいいですか?

 あくびをする航のスマホが鳴る。百合からのライン。まだ少し眠い航。しかし百合の気持ちを考える。放ってはおけなかった。

 したい時はする
 したくない時はしない
 それでいい

 するとすぐ航に返信が来た。

 はい!

 笑顔になる百合と航。

 1日が始まる。その日、百合はいつもより心が軽く感じた。

 お昼。百合はいつもひとり。社内の休憩所。そんなに広くはない。大きなテーブル、テレビ、自動販売機、レンジ、冷蔵庫。とりあえずのものはある。近くのコンビニで適当に買ったものを休憩所で食べる。それが百合のお昼だった。休憩所は共有スペースであり、別の部の人間が複数いる。同じ経理部の人間は誰もいなかった。

 百合がいつものようにコンビニへ向かおうと社から出ようとした、その時だった。

「ねえ!」
「はい!」

 百合は声を掛けられた。 隣の部、総務部の女性社員だった。

「よかったら一緒にお昼行かない?いつも行ってる子が休みでさ、ひとりじゃ寂しいなって思ってたの!行かない?」

 百合は固まっていた。口も体も動かない。どうしたらいいかわからなかった。

 『人に慣れる』

 航の言葉を思い出した百合はすぐに答えた。

「は、はい!行きます!」

 向かった先は、すぐ近くにある喫茶室・ジョリン。百合は店内に入って少し驚く。とてもノスタルジックで、時代が変わったかのように感じる店内だった。

 席につく2人。

「今日は何にしようかなー。」

 そう言うその総務部の女性はとても美人だった。美人な上、綺麗な髪、上品なメイク、明るい表情。百合はメニューは見ずにその女性を見ていた。

「いらっしゃいませ。」
「今日はドリアで。あ、何にするか決めた?」
「はい?!」
「じゃあ同じ、ドリア2つで。」
「かしこまりました。」
「大丈夫。ここ、なーんでも美味しいから。」
「は、はい…。」

 緊張する百合。何もできない。

「ねえ!」
「はい!」
「そのリップどこの?そんな色、見たことない!」
「あ…パブロックジーっていうところの…。」
「えー聞いたことない!忘れないうちに調べよ!」

 彼女は生き生きしている。スマホを片手にするその姿も綺麗だった。彼女はテンションが高い訳ではない。彼女の明るさは、内から出ているもの。百合はその女性をぽーっと見ていた。

 料理が運ばれてきた。

「いただきまーす!」

 出来たてのドリアを冷ます女性。その間、百合に話し掛ける。

「ねえ、いつもお昼どうしてるの?」
「…休憩所で、ひとりで済ませてます。」
「え?ほんとに??」

 ビックっとする百合。その一瞬後すぐに彼女は言う。

「1日中ずーっと同じ建物の中にいて、息詰まらない?」
「息…?」
「そう!同じ空気の中に1日いたら苦しくならない?」

 百合には考えたこともないことだった。人混みはなるべく避けたい。それに一緒にお昼を過ごす人がそもそもいなかった。

 何も答えない百合に女性は聞く。

「名前、なんていうの?」
「降谷 百合です…。」
「ユリね!私が外に連れ出してあげる。」
「はい…?」
「外の空気吸わないと、体に悪いの。体に悪いってことは心にも悪いってこと。」
「はい…。」
「外に出れば、その脅えみたいな緊張、なくなるんじゃない?」

 驚く百合。この女性も百合の本質に気づいた。いつ、どの百合を見てそう思ったのか、不思議に思うほど彼女は自然だった。

「あー!冷めてきちゃう!ドリア、ほんとに美味しいから、食べよ!」

 彼女の言う通り、ドリアはとても美味しかった。

 食事が終わり、会計をする。

「今日は私のおごりね!付き合わせちゃったから!ありがとう!」
「…はい。」

 社に戻り、経理と総務、お別れの時。百合は礼を言いたいのに口も喉も動かない。それに気づく女性。

「無理も体によくないよ?あ、私は(あおい)。よろしくね!また明日ねー!」

 手を振り総務部へ戻る葵。

「…あおいさん…。」

 百合はまた夢見心地のようでいた。