「お待たせしました…。」

 百合がシャワーを浴び、リビングに戻ってきた。百合は航の古着。

「やっぱりでかいな。」
「はい。」
「すっきりしたか?」
「はい。」
「怖かったか?」

 百合は顔を横に振る。

「いえ、怖くなかったです…。」

 安心する航。ほっとした百合。

「オレも浴びたい、シャワー。借りていいか?」
「あ、はい。どうぞ…。」
「オレも全部流す。昨日、雨に濡れたのも。」
「昨日、雨降ったんですか…。」
「少しな。」
「雨に濡れて、何してたんですか…?」

 一瞬、間が開く。航は小さな声。

「考え事…。」

 航の姿がいつもより小さく見えた。百合の心がきゅっと締めつけられる。百合はやさしく言った。

「バスタオル、出しますね。」

 航がシャワーを浴びている間。百合は袖をめくり、裾を上げ、自分の肌を見ていた。腕を見て、足を見て、また腕を見る。どこを何度見ても、肌は白かった。

「航さんの、おかげ…。」

 百合は自分の体を自分で抱きしめた。そこへ航が脱衣所から百合を呼び掛ける。

「おい!オレのTシャツ貸してくれ!長袖のやつな!」
「は、はい!」

 航がリビングに入ってくる。ジーンズを穿き、髪をタオルで拭きながら。上半身は何も着ていない。百合は素早く航に背を向けた。

「わ…たるさん…、はやく、服着てください…。」
「だから貸してくれよ。あるだろ?オレ持ってきたやつ。」

 百合はずっと航に背を向け、クローゼットからTシャツを出す。背を向けながらそれを渡した。

「なんだよ、そんなに嫌か?オレに貸すの。元はオレのもんだぞ?」
「早く…着てください…。」
「あー恥ずかしいのか、ビビってんのか。」
「ビビってません!」

 航はTシャツを着て、ふたりはベッドに寄りかかる。手をつないで。百合は気付く。

「航さん。ジーンズの裾、そんなに切れてたところありましたっけ…。」
「ああ、なんかいてーなって思ってたら切れてた。ここ。」

 航は裾を上げる。航のくるぶしの下、深い切り傷があった。まだ新しい傷。

「ひどい傷…。」

 百合は慌てて傷を消毒する。大きなばんそうこうがないため、応急措置として小さなばんそうこうをいくつも貼った。

「もっとちゃんと手当しないと…。」

 ぶつぶつ言う百合は気付いた。

「あれ…?ミサンガ…。ない…。」
「あ…言われてみればねぇな…。何でだ…?」

 ジーンズの裾、航の足。どちらも切れている。そして深い傷。

「航さん、どこかで足ぶつけたりしませんでしたか?ジーンズが破れるほど…。もしかしたらその時、一緒に切れたのかも…。」
「そんなの覚えてねーよ。いつから痛くなったかもわかんねーし。もし昨日だったら、それどころじゃなかったし…。」

 切れたのは、その『昨日』だった。後輩のアパートの部屋に飛び込んだ時。玄関の段差に足がこすれた時。

「もし…もしミサンガが切れたのだとしたら…航さんの願いが叶ったか、航さんを守ってくれたか…。どちらかです…。」

 航は少し考えた後、百合に笑顔を向ける。

「どっちもだ。」
「どっちも?」
「どっちも。」
「…それなら…よかったです…。」

 百合は小さく笑った、嬉しそうに。百合はそのまま話を続ける。

「昨日…。グラス…壁に向かって投げようとしたんです。その時、航さんの声がして、私を呼んでくれたんです…『百合』って…。それで目が覚めたように…。」

 小さな小さなため息をする百合。

「…もっとちゃんとした時に、名前、呼ばれたかったな…情けないな…。」

 百合はひどく悲しい顔をする。

「オレが悪い。」
「航さんは何も…。」
「悪いのはオレだ。」
「何がですか?どうしてそう思うんですか?」
「オレはあんたから逃げた。」
「逃げ?」
「『守る』って決めたのに、オレは逃げた。」

 百合は思い出す。航の先輩の店で、その言葉を聞いたこと。航は頭を両腕で抱えた。深い深いため息。懺悔をするように。

「…情けねぇ…。」
「それは…私がずっと隠してたから…。」
「そんなの関係ねぇよ…。」

 航から出る後悔と罪咎《ざいきゅう》。

「情けねぇ…。」

 百合はそっと航の腕に触れ、ゆっくり握る。

「航さんは、自分を責めちゃだめです。自分を責めちゃいけない人です。自分を責めなくちゃいけない人ほど、そんなことはしない。罪の意識がない…。航さんはやさしい人です。だから航さんは、自分を責めちゃだめなんです。」

 必死に訴える百合。航は頭から腕を離す。説得力も百合の愛情も、どちらも強く感じた。

「あんたは…ほんとにやさしいんだな…。」
「航さんのほうが、ずっとずっとやさしいです。」

 航は百合の腕を握り返す。

「どんなにでかいことになっても、すげー複雑になっても、離れない。…もう逃げない。」
「私も…もう逃げません…自分から…。」

 航のやさしい目。百合のガラス玉のように透き通る目。引かれ合い、吸い込まれる。

「ごめんな…。」
「航さんが謝らないでください。」
「百合。」
「ん?え?」
「好きだ…。」

 ふたりはキスをした。純潔な想い。