「お疲れー!」
「また明日ねー!」

 百合達、3人は解散した。

 アパートに帰った百合はぐったりしていた。その日あった出来事が、断片的に頭の中で回る。

 友江の笑顔の晴れ姿、テーブルの花、美味しい料理、友江からの言葉、そして、濃い紫色のネクタイをしたはにかむ笑顔。その笑顔が一番印象に残り、頭から離れなかった。

 翌日、いつも通り出社し、仕事をする百合。それでもあのネクタイとあの笑顔が頭から離れない。百合は悩んだ。ひとり悩んでいた。

 会社の住所と電話番号、そして名前。それが頼りだった。時間を開けてしまったら忘れられてしまう、迷惑に思われてしまう。それだけは嫌だと思った百合。必死に考え悩んだ結果、航の会社に電話をすることを決意した。

 就業。静まったオフィス、誰もいない会議室。百合は緊張し、息が上がる。スマホの発信ボタンを押す。目を閉じる百合。

「はい、相原工場でございます。」

 声もテンションも高い女性が出た。目を開ける百合。

「あ、あの、佐藤航さん、いらっしゃいますか?」

 百合はそれだけ言うのが精一杯だった。

「はい、おりますけど…何かご用でしょうか。」

 百合は返事を急いで考える。

「あの、昨日結婚式で助けていただいて、そのお礼を言いたくて…。」

「はい…。」

 電話越しの女性は不思議そうに答えたが、航を呼んでくれた。

「少々お待ちくださいねー。」

 百合の緊張は続く。待ち時間が長く感じる。航が電話に出た。

「はい、佐藤です。」
「あ…。」
「…もしもし?」
「あの…昨日、結婚式で、ハンカチを貸した…。」
「ああ、あんたか!びっくりさせんなよ!どーした?困ったことあったか?」
「あの…。」
「どうしたんだよ。」
「あの…。」

 百合の緊張は続く。航から言った。

「…あぁ、何か困ってんなら、電話で話すより会って話したほうがいいよな。いつにする。オレはいつでも…。」

 百合は流れに乗る。

「今日は、だめですか…?」

 航は考える。

「オレも大丈夫だけど…、あんたは友江さんの会社だから…。じゃあ駅で待ち合わせて飲みにでも行くか。」
「はい!」
「じゃあ、駅でな。」

 舞い上がる百合。そのまま更衣室に向かい、着替える。

「あ、もうちょっとお洒落してくればよかった…。」

 そう言い残し、社を後にする。向かうは駅。足取りが軽かった。

 そして駅に着く。航を探す。

 見つけた。壁にもたれて百合を探している。前日のスーツ姿とは違い、その日はTシャツにジーンズ。カジュアルな服装。背の高い航はどちらも様になっていた。少し見惚れる百合。舞い上がっていたことが嘘のように、体が固くなる。少しずつ近づく百合。その百合に気づく航。

「おう、お疲れ!じゃあ行くか。」

 百合は何も言葉が出なかった。航についていく百合。少し歩き、入った店は小さな居酒屋だった。チェーン店にはない暖かい雰囲気が、そこにはあった。

「いらっしゃーい!おお!久しぶりだなぁ!」
「おう!元気だったか?おやじさん!」
「当たり前だ!」

 百合は航の会話を聞いていた。

「あんたもビールでいいか?」
「は、はい!」
「おやじ生2つ!」
「はいよー!」
「で?何困ってんだ?わざわざ工場に電話するくらいよ。」

 すぐに航は話し掛けてきた。

「あ…困ったこと…困ったこと…。」

 航は百合の顔を覗く。驚く百合。顔が真っ赤になる。

「あんた、何そんなにビビってんだ?」
「はい?!」
「昨日もそうだけど、何をそんなに怖がってんだよ。」

 そう聞かれ息苦しくなり、胸に手を当てる百合。

「私、少しあがり症で…。」
「それでか。…じゃあ人前に立ったりしたら…。」

 百合は目を閉じ、小さく首を横に振る。航はやさしく話し始める。

「そんなに怖がるなよ、拳銃向けられてる訳でもねぇのによ…。」
「け、拳…銃…?」
「…それは例えだ…。」

 驚く百合の緊張は高まる。

「そう怖がるなよ。気にすんな。…なんて言って変われたら苦労はねぇよな。」

 百合は航を見上げる。

「あんたの場合、人に慣れてったらどうだ?」
「人に…?」
「誰だって『初めまして』から始まって、そいつのことは全くわからねぇ。でも一緒にいるうちに、こいつはこういうやつだ、あいつはああいうやつだ、ってわかってくるだろ?」
「はい…。」
「数が多ければ多いほうがいいって訳じゃねぇと思うけど、『初めまして』から始められたら、そいつと始められるだろ。それを増やしていけば、人に慣れるんじゃねぇか?」
「慣れ…。」
「人に慣れていけば、そんなにビビることも減ってくんじゃねぇかなぁ。」

 他の誰でもない、航から百合のためだけの暖かい言葉。百合の心に染み入る。

 そして百合は、自分の本質を誰かに気づかれたのは初めてだった。しかもその相手が航。ふいに起こった、思ってもみなかったこと。百合の胸のどきどきは増すばかり。

「おい、聞いてるか?」
「は、はい…。」
「まずはそこからだな。」