食事はきれいに完食。ビールを飲む航。

「航さん。どれが一番おいしかったですか?」
「んー。厚揚げにチーズ乗っかってんのも、エビとか色んなもん炒めたのも、なんか手の凝ったサラダも、卵焼き、焼き鳥…。」
「どれですか?」

 航は考えることなく言った。

「全部。」
「え?全部ですか?」
「全部だ。何でだよ。」
「今日で、航さんの好み、何かわかるかなって…。じゃあ、量は?物足りなかったですか?」
「いや、こんくらいでいい。」
「はい…わかりました…。」

 百合は静かに笑った、嬉しそうに。それを見た航は言う。

「そんなにオレに気を使うな。いちいち気にしてたら疲れるぞ?」
「疲れません。航さんのためなら。」

 百合のストレートな言葉。航の心に沁みる。

「お皿、片付けますね。」

 テーブルはペアグラスとネームプレートだけ。ふたりはベッドに寄りかかる。

「航さん…また、来てくれませんか?」
「ここにか?」
「はい。お弁当の時もそうだったんですけど、メニューを考えるのがすごく楽しいんです。時間を忘れるほど楽しくて。こんなに何かに夢中になれたの、初めてなんです。だから…。」

 航は百合のやさしく頭をなでる。

「ありがとな。いつも。」

 『ありがとう』に『いつも』が足された。その『いつも』がずっと続くようにと、百合は願った。

「それにしても、ここはほんとに静かだな。」
「そこがいいんです…。」
「あんた実家には帰ってるのか?」
「え?」
「オレは一人暮らししたこともねぇから、よくわかんねぇけど…。」

 百合は呼吸が浅くなる。

「いくらひとりっ子でも、親はいるだろ?実家が恋しくなったりしないのか?」

 どんどん浅くなる呼吸、百合はずっと言葉を探す。あちこち目線を動かし、手を強く握った。その手は震えている。どう見ても不自然な姿だった。航にばれたくない百合。航に少し背を向けた。

「親はどんな人なんだ?いい子の真面目ちゃんだから、厳しい親なのか?それとも逆に優しい親か?」

 百合の息が詰まる。息がうまく続かない。強く握っていた手がしびれ始める。静かな部屋、百合の乱れる息が航に伝わる。ばれてしまった。航は急いで百合の前。しゃがんで肩に手を添える。

「…どうした…?苦しいか…?」

 航がどんな声をかけても症状は止まらず悪化する。息が苦しい百合は目を開けられない。体の震えと目眩、百合の体が揺れる。

 航は百合を抱きしめる。百合の呼吸が止まるよう強くきつく抱きしめた。そして百合の顔を抱え、唇で百合の唇を押さえる。息を止めようとした。百合の目が開く。

「オレが見えるか…?オレはここだ、ここにいる…安心しろ…。息を吐け…。」

 しばらくして症状が治まる。航には安心と不安、どちらもあった。航は百合の肩をしっかり掴む。百合の頭は航の肩。同じように百合は言った。

「航さん、ごめんなさい。」
「謝るな。何も考えるな。」

 航は考えていた。前回と今回の過呼吸。その原因。ヒントは見つかったが、それ以上はわからない。しかしまた『何か』を直接聞くことはできなかった。百合の体と心の負担、それが大き過ぎると航は思った。航は眉間にしわをよせ唇を噛む。

「落ち着いたか?」
「はい…。」

 やさしく航は言った。

「オレの部屋の物、この部屋に置いてもいいか?」
「え?」
「オレの部屋、物が多いんだよ。」
「物って何ですか?」
「そうだなぁ…例えば…、もう読まなくなったけど捨てたくないマンガ本とか雑誌、それとCD…。あとはベースとアンプ、それから工場で使える工具とか。」
「それじゃこの部屋、ただの荷物置き場になります…。」
「冗談だよ。でも部屋は寂しくなくなるぞ。」

 航の言葉で気付く百合。自分の部屋には何もない。無駄なものも、そうじゃないものも。何もない部屋。空の部屋。心をごまかすものが何もない。だから居心地が悪いのかもしれないと感じた百合。悲しい顔をした。

「そんな顔すんなよ。冗談だって…。」
「いえ、大歓迎です。何でも持ってきてください。」

 航は驚く。

「…ほんとに持ってきたらどうする。」
「航さんの言う通りです。寂しくなくなります。」

 少し考える航。

「ほんとは寂しいって思ってたのかよ。」

 百合が体がぴたっと止まる。

「寂しい思いなんかしてんなら、なんで今までオレに言わなかった。なんでオレに…。」
「違う…。」

 航が言い終わる前に、百合は言った。しかし言葉が続かない。

「違います…違うんです…。私…。」

 百合は勇気を出そうとする。しかしそれと比例して、息が苦しくなる。百合の息が浅くなり始めたことに航は気づく。

「航さん…私…私は…。」

 百合が何かを言いかけたその時、航は百合の肩をやさしく抱きしめた。

「次持ってくる。オレの荷物。」

 百合は航の腕の中。目を閉じ、ゆっくり答えた。

「はい…。」